蓮心 表千家茶道教室 池坊いけばな華道教室

西武新宿線沿い西東京市田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道教室

「華道ワークショップ」の報告

2017年4月7日 Category: blog
 2年前、私が茶道と華道の稽古を始めてから、30周年を迎えることができました。
その記念に 導いてくださった全ての方へ感謝し、この「道」の素晴らしさを 少しでも伝えることが出来たらと、一般の方へ向けた『華道ワークショップ』を開催しはじめました。
 池ノ上のギャラリーを借り、池坊いけばなの「歴史」、「花形」、「生花」、「自由花」を4回にわけて講義と実技で伝えてきました。
毎回とても好評で やりがいがありました。
何より伝えるための勉強が自分自身の再勉強となり、とても充実した2年間でした。
しかし時間が割けなくなったのでお休みしすることを決めた時 『実は目の前にいる私の社中にこそ
一番伝えたい、是非聞いて貰いたい』と思っていたことに気付きました。
そしてその ちょうど同じ時、田無社中での「蓮心会 茶会・華展」に参加した茶道の生徒達から、
『華道にとても興味をもったので華道について教えて欲しい』との要望がありました。

 まさに『啐啄同時(そったくどうじ)』! 「碧巌録」の教えです。
 鶏が、生んだ卵を暖める。そして ヒナが殻の内側から『出たいよ〜』と殻をつつく。
 ずっと見守っていてた親鶏は、その瞬間を見逃さず 外から『出ておいで〜』と殻をつつく。
 鶏の親子に例えられるように、親子、師匠と弟子の“機縁の熟し”の大切さの教えです。

  以下のリンクもありましたのでご参照を。
http://www.eonet.ne.jp/~jinnouji/page9/houwa/page178.htm

さて、ワークショップのテーマは、『日本文化“華道”を知ろう』 。
 ① 華道の歴史、いけばなの起源から
 ② 「花を飾ること」と「建築様式」
 ③ 池坊いけばなの「華道」と「茶花」の違い、またフラワーアレンジメントとの違い
 ④ 実技:「茶花」「生け花」

平安時代の「寝殿造り」から鎌倉時代の「鎌倉建築」、そして室町時代の宋文化を積極的に取り入れた「書院造り」。時代と共に建築様式が変化し、時代に求められて文化が育まれる。
その意味を分かりやすくまとめたビデオをながしてから、レポートを配り詳しく説明。
足利義満の「北山文化」、義政の「東山文化」を伝えずして現在の茶道・華道は語れないのです。
華道の歴史=(イコール)日本の歴史なのです。面白そうでしょう?

1月は、大勢参加して下さりました。
1月の実技の茶花は、赤白の梅や木蓮、雪柳、木瓜、赤芽柳、そして椿等。
   
生け花の花材は、若松・千両・アイリス。水仙の生花も。 

1月に参加出来なかった方からのリクエストで3月にも開催。
3月の実技の茶花は、山茱萸・桃、そして椿など。 
生け花の花材は、桃・スイトピー・麦。 

 未経験者も稽古している社中も、それぞれに楽しみながら学んだ充実の一日でした。
参加者の皆さんから、『今までより茶室の茶花に深く関心をもつようになった。』『いつも通る道でも季節の草木に気付くようになった。』『簡単そうにみえる茶花でしたが、数本の枝花を選ぶのに これほど悩み大変なことだとは思わなかった。』など、多くの感謝の声をいただいています。

人生、まだまだ語れる年齢ではありませんが、私は多くの方に支えられ導かれ育てて頂いたのだとつくづく気付かされます。
また、一所懸命生きていれば、どんなことがらも 必然であったのだとも。
日々、感謝しています。

しかし、一日は「あっ」という間に時間が過ぎてしまうものですね。
でも焦らずじっくり学んでいきたいと思います。

来月5月に池坊いけばなの本部華展が開催されます。
28日の午後、華展ツアーをしますので(質疑応答出来ます)、ご希望の方はお申し込みください。
参加費は華展のチケット代のみです。


日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/


西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

「蓮心会茶会&ミニ花展」の花展の写真追加

2017年3月23日 Category: blog
昨年10月23日に開いた田無稽古場初の「蓮心会茶会&ミニ花展」の写真の追加です。
いまだに近所の方々から 『この間は素敵な会に招いてくださり、ありがとうねえ〜〜』と、つい最近のことのように声を掛けてくださるので 我々もなんだかそんな時間がたった気がしないのですが、、いえいえ、もう 5ヶ月経ちましたね。。
詳しくは「その他のお知らせ」2016年11月11日 に報告していますのが、その時 花展の写真が揃わず掲載出来ていなかった写真です。お待たせしました!
掲載順にいきます。銅器に込み藁で立てた「古典調立花」、亜希さん。

素敵な色合いの糸菊をメインにした「立花 正風体」、和歌子さん。

御玄猪(おげんちょ)に花配りで 石化エニシダと竜胆の「生花 二種生け」、美和子さん。
杜若と庭の砥草・紅葉したドウダンツツジで「生花 三種生け」、王さん。

ストレチアを主役にした「生花 新風体」、勇さん。

水盤にコスモスを主役にした「自然調自由花」、劉さん。

細いガラスの花器にアスパラガスとピンポン菊の「自由花」、燕さん。

変形花器にダリアをメインにニューサイランの線を生かした「意匠的自由花」、順平君。

黒く丸い小さな変形花器に緑から黄色〜オレンジ〜赤と、秋の植物の持つ繊細で綺麗な色を生かした「自由花」、瞳さん。

私は、「杜若 生花一種生け」を古銅に 勿論、配りで生けました。

総計10杯。花形もバラエティに富み、この花展は本当にお客様に大好評でした。

そう、そして この花展をきっかけに、茶道の社中から『華道のことをもっと知りたい!』との声が上がり、今年1月と3月に、田無の稽古場にての「華道ワークショップ」開催とつながったのです。

その華道ワークショップの報告も楽しみにしていてくださいね~~


日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/茶道教室-華道教室-438381252917488/


西武新宿線沿 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

「桃の節句」

2017年3月3日 Category: blog
「灯りをつけましょぼんぼりに、 お花をあげましょ桃の花・・・」 萌え出た草木が勢いづき、「いや生(お)い茂る」弥生(やよい)月。 梅や水仙など、冬の厳しい寒さの中に懸命に開く草木から、連翹や菜の花など明るい花草木が目につくようになりました。そんな自然界の徐々に移りゆく姿に気付く時、心も朗らかに温かい気持ちになりますね。 三月三日の「ひな祭り」は、「桃の節句」ともいわれ、ひな人形や桃の花を飾り 女の子の健やかな成長と幸せを祈りお祝いする行事です。 桃は中国原産で、古来から邪気を払い長寿を約束する仙木、仙花とされています。 桃の花の美しさは「紅(くれない)にほふ」と讃えられる女性の象徴。雛祭りには欠かせませんね。 この時季、茶道では「桃花笑春風」「柳緑花紅」に代表される語句の掛物を掛け、茶花は桃に合わせて菜の花、姫土佐水木などを床の間へ生けます。 海松貝(みるがい)模様の炉縁、貝合わせ香合、菱餅形の水指や蓋置きなど 春らしい道具や、雛祭りに関連する室礼(しつらい)を楽しみます。 お菓子は「引千切(ひきちぎり)」と云う蓬餅を引きちぎった様子の主菓子 や、雛あられ、貝尽くしの干菓子などが茶室を華やかに盛り上げます。 「春の野」と云う主菓子もこの頃の定番です。 華道では、桃の花やスイトピー・麦を合わせた自由花や、生花では桃の一種や桃と菜の花で二種、 また桃に雪柳、ラッパ水仙などで三種も素敵です。 他にも赤目柳や木蓮、山茱萸、小手鞠などの枝ものにフリージアや春蘭などの春の草花を取り合わせて楽しみます。 華道の生花(しょうか)を学んでいると良くわかるのですが、桃は木に面白い特徴があります。 伸びた枝先が途中で留り、その直ぐ下から新たに横枝が丸く伸びていきます。それを繰り返して育っていきますので、桃の木は遠くから見ると「丸〜るい」イメージなのです。 梅や桜や木瓜などとは枝ぶりが全く異なります。 さて、毎年雛祭りが近づくと 子供の頃に母と一緒に過ごしたひと時を懐かしく思い出します。 我が家のは 小さな雛段でしたがその小ささが好きで、箱から一つずつ人形のパーツをとり出して丁寧に組み立てていきました。(この写真はイメージです) 近所のお姉さんの家のお雛様は大きくて、皆 一番上段の「お内裏様」と呼ばれる花嫁花婿のような男雛、女雛に夢中でしたが、私は何故か 上から二段目の三人官女が持つ長柄の銚子や、三段目の五人囃の小鼓や笛、また脇にある桃や橘の木などの小道具がとても好きでした。 今思うと、家のは桃ではなく桜の花だったと記憶しています。あらためて日本人形屋さんを覗いてみると桜が多いように思います。桜も「魔除け」「邪気払い」の力を持ち、橘は「不老長寿」を願う役割もあるとのこと。どちらも健やかに過ごすための象徴なのですね。 この五節句の一つ、「雛祭り」が今の様に設定されたのは江戸時代中期。 五節句には 一月七日[人日]、三月三日[上巳]、五月五日[端午]、七月七日[七夕]、九月九日[重陽] が ありますが、この頃に一般庶民の間でさまざまな文化が繁栄したのですね。 ひな人形もこの頃から「座り雛」となり、嫁入り道具となったことで豪華なものが作られるようになったそうです。 「雛まつり」のルーツを私なりに少し調べてみました。 古くは「上巳(じょうし)の節句」と云い、旧暦三月上旬 巳の日、古代中国(後漢)ではこの日に水辺で身体を清め、酒に水を注ぐ祓禊(ふっけい)(みそぎはらえ)の儀式があったそうです。 それが平安時代に日本に伝わり、和紙で人の形を切り抜いた形代(かたしろ)を作り、それで身体を撫でたり、息を吹きかけたりして身についた穢れを移して川に流す風習となったようです。 『源氏物語』の須磨に巻にも、源氏の君が祈祷師を頼んで人形を海に流すという件がありましたね。 また、この「水」と「酒」の厳かな儀式を娯楽にしたのが「曲水宴(きょくすいえん)」で、今も京都上加茂神社などで庭園の曲水に盃を浮かべ、流れ着くまでに詩歌を詠むという雅な遊びが催されています。 「流し雛」の風習は、今でも鳥取県や奈良県、兵庫県、岡山県などの地域で行なわれていて、 その様子をテレビで見たことがあります。 とても幻想的な風景でした。 実は日本でも、古代から農耕儀礼として人の形に作った「人形」を撫でて自分の罪や穢れを移し、息を吹きかけて海や川に流す風習や、幼子に病気や災いがふりかからぬよう天児(あまかつ)・這子(ほうこ)と呼ばれる「人形」を枕元に置いて災厄を移し負わしたり、お守りにしたりする独自の風習があったそうです。 また同じ頃、貴族階級の幼女たちは、男女一対の「人形」や「調度品」でままごとをする「ひいな遊び」がさかんでした。(「ひいな」は「雛」のことで、小さくて可愛いものをさします。)いつの時代も女の子が人形を好んで遊び、紙製の人形に衣装を着せて、その美しさを競い合ったあこがれの縮図だったのでしょうね。 こうした中国伝来の邪気を払う風習、平安時代の宮中行事「曲水の宴」、そして日本古代からの民族事例が合わさって、女の子の健康と幸せを願う気持ちを「人形」に託して祝う形が現代の「雛まつり」の原型ではないか、ということがわかりました。 このように 紐解いてみると、「人の穢れを移して海や川に流すことで災いを取る」という本来の意味が潜んでいることがわかりました。 その昔、一所懸命組み立てた可愛いお飾りなのに、急いで片付けてしまうのは偲び惜しいと グズっていた私ですが、『お節句が終われば早く片付けるように』『早く片付けないと縁遠くなる!』と云われてきた意味に合点がいきました。 (正直に白状すると、片付けはちょっと面倒くさいとの理由もあったのですが・・汗;) では、飾る時期を早めればいいのでは?と、調べてみると、地域で様々なしきたりが残っているようです。一番ピンときたのは、二十四節季の「雨水(うすい)」に飾ると良いとの説。今年(H29)の雨水は二月十七日でした。 雨水とは 雪が雨に変わる、雪や氷が解けて水となる。という意。「水温(みずぬる)む」と云う言葉が茶席でもよく聞かれる時節です。「雨水に雛人形」、来年は覚えておくことにしましょう。 さて、おひな様を飾る時「男雛、女雛、右か左か?」が不安になる方多いですよね。 関西と関東で逆だとか?さて、どちらなのでしょう。 その答えは京都の地図を理解する必要があるようです。 まず、内裏(だいり)雛は、京都御所「紫宸殿(ししんでん)」を模して完成されたものです。 その紫宸殿から見た左、右を根拠に考えられますので、「向かって右に男雛、向かって左に女雛」。そして左大臣は向かって右、右大臣は向かって左。また 左近の桜は右に、右近の橘は左に飾ります。『左近の桜・右近の橘』。 京都の人々は御所を中心に暮らしてきましたから、銀閣寺のある向かって右の方が左京区、嵐山の方が向かって左で右京区なのです。 左京は東に位置し、太陽が昇る「陽」の方角、右京は西で太陽の沈む「陰」の方角でもあります。 陰陽道の思想も根強い京都、「邪気を払う」ことをとても重視しているのです。 雛祭りゆかりの食べ物である「菱餅」も、陰陽道では女性の象徴であり、紅は桃花の「魔除け」、白は遠山の雪で「清浄」、緑は母子草やよもぎで、草葉の強い香りが邪気を払い「健康」を表すと信じられていたそうです。 「雛あられ」は貴重な米粒を使い、加熱してふくらませ紅白黄などの糖蜜をまぶしたもの。祖先の少女を雛祭りに参加させる道しるべにしたというやさしい言い伝えもあるとか。 奥が深くて探求し尽くせませんね! 中国では、この日は どのように過ごすのでしょうか? 今度、中国の方に聞いてみることにしましょう。 日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/ 西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子

中国から茶道体験に。

2017年2月21日 Category: blog
このブログの最後に「日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などを(たまに)アップしています。よかったらご覧ください」 と、記し気軽に携帯から日々の華道の作品やイベントなどを更新していますが、 先日『FBは見ることが出来ないからブログを楽しみにしています』とのお声がありました。 このブログは携帯から投稿出来ないので頑張って家で更新しようと思いました。 ..しかし、無理はできませんので、のんびりムードなのですが・・お許しください。 書きたいのとは山とあるのですが。。 今日はそのFBに記載した嬉しい茶道体験者のお話を。 1月中旬、ホームページの問い合せフォームから「茶道体験」の申し込みがありました。 内容は『中国から内の友達が日本に来るので茶道が大好きな人なので体験させてあげてほしい』と書かれていました。 時は上野華展真っ最中、生け込みの日でした。非常に忙しくタイトに時間に追われていましたので、返信を直ぐに出来ませんでした。 華展も無事終わり、次の日に主人とランチをしていると..『そういえば、突然中国の方が二人みえたよ』 との報告。『え..?』 HPに申し込みのあった次の日のことです。 私は生け込みで早くに家を出ているので 主人は何も分からず『ご予約はなさいましたか?』と 訊ねると、その方達はニコニコしながら『連絡したけど、返事ないから来たよ』とのこと。 私のホームページには、住所を最後まで記載していないので、どうやってこの稽古場まで辿り着いたのか??驚きました。 この情報過多の時代、便利さと危険が隣り合わせです。 私のこのホームページを見て、来たいと思って下さったのは本当に嬉しいですが、 私が「体験可能」と記載している意味は、「私という先生と、 そして この環境で良いかを判断をしてください」という意味であり、海外旅行のかたに体験をして頂く意味とは少し違います。 なので、実は断ろうと思いました。しかし、何故、辿りつけたのか??疑問だけ残りました。 兎に角、その謎を知りたくて 次の日私から連絡をとりました。そしてそれを訊ねたところ、『記載してある情報まで来て、何人にも尋ねた』とのこと。 そして もう明後日には中国へ帰国するので、どうしても体験したいとのこと。その勢いにおされ、丁度次の日が稽古日だったので参加していただくことにしました。 お会いしてみると、とても素敵なお二人! 男性の方は日本に10年位在住していて、 女性は中国で小学生の先生をされていて、中国茶道を学校で伝えているそうです。 言葉の壁は有りましたが、私が伝えたいことと、彼女が知りたいこと、感じたいことが一致したようで、とても満足していただけました。 この嬉しいサプサイズに、私も感動しました。 直ぐに彼女から「この体験の感動を詩に書きました。感謝の気持ちを伝えたい。」とメールを頂きました。 今度、私のとこで学んでいる中国の方に翻訳を頼むとにいたしましょう。 許可があったので下に記しておきます。 附诗: 与友再拜松门处 千家茶道高森师 釜沸气散如仙境 茶道插花课中时 聆听师言观师导 仿若梦回大唐时 茶自利休唐传来 日本似若珍宝惜 三十二年习茶史 日行夜修不停绝 二十四年教茶史 桃李满天继绝学 程序繁杂礼法诚 和敬清寂现本真 品茗吃点不二心 赏画观器敬美言 茶道本是修心事 花道则是自然成 三生恭敬展茶道 情随茶浓人亦近 申酉戌时如白驹 临行依依难舍别 观音茗缔师生情 中日茶道一家亲 离别朝松门一拜 难忘今宵品茗时 日本定会再有期 松门再见更繁枝 今天,是中国的年三十,是全中国人民最重视的一天,全家老少欢聚一堂,共度团圆日,祈福新年日。此刻,妙在中国重庆,遥祝老师新年快乐,鸡年大吉,身体康健,吉祥圆满。期待我们的再次相见! 爱您的中国学生:妙妙 2017年1月27日 素晴らしい美人さんなんです。 これからも、日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしていきます。見れる方はお楽しみください。 https://www.facebook.com/ 我が家の茶会の報告も、写真がそろい次第 投稿しますからね。お待ちくださいませ。 西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子

2017年の日本の美術館情報

2017年1月16日 Category: blog
今年は日本の美術館で魅力的な展覧会が目白押しです!嬉しいので記載する事にします。
先ずは、茶の湯関係から、
・「茶碗の中の宇宙 楽家一子相伝の芸術」 
 東京国立近代美術館 3月〜5月
 (京都国立近代美術館では昨年12月〜2月開催中)
 千利休の意を体して楽茶碗を生み出した、楽家歴代の名椀を東京で一斉に見られます。

・「茶の湯」
 東京国立近代美術館 4月〜6月
 これは、京都国立博物館「千利休展」から27年ぶり。(懐かしいです!)
 室町時代から近代までの茶の湯の歴史を博捜する貴重な展覧会!

仏像ファンにはたまらない、
・「快慶展」
 奈良国立博物館 4月〜6月
・「運慶展」
 東京国立博物館 9月〜11月
 この二人の素晴らしい作品をじっくり見比べ味わえる機会です。

・「海北友松(かいほうゆうしょう)展」
 京都国立博物館 4月〜5月
 室町時代〜桃山時代〜江戸時代前期の狩野派が時代ごとの権力者との関係を結びながら
 画壇の覇権を握っていく過程を追う大河ドラマのような特別展!

・「国宝」展
 京都国立博物館 10月〜11月
 絵画、書跡、彫刻、工芸、考古の各分野から約200点。
 雪舟の国宝指定作品6点の一挙公開、長谷川等伯<松林図屏風>、
 その息子久蔵の<桜図>の競演など! これでもかとばかりに名品が揃うそうです!

 春秋は京都へ。花展もありますし、楽しみが増えました。

先ずは、今月東京都美術館で開催される池坊いけばな展を満喫することからはじめましょう♡
 そうそう、
 6月3日から映画『花戦さ』では華道界の天才「専好」主役の時代劇映画が封切りされます。
 専好役は野村萬斎。華道の歴史を一般の方に広く伝えられたら嬉しい事です。

日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/茶道教室-華道教室-438381252917488/


西武新宿線沿 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

京都花展の報告 など

2016年11月27日 Category: blog
先日お知らせした「旧七夕会池坊全国花道展」の報告です。 img_20161114_195142
「花の力」がテーマの今年度。実は来年2017年6月3日に全国ロードショーされる映画『花戦さ』の中で、「専好」役の「野村萬斎」さんが『花の〜、力やぁ〜〜』と おっしゃるシーンがあるのです。
鬼塚忠さんの小説を実写映画化したこの映画は、戦乱で荒れ果てた京の都を舞台とした時代劇。
花を生けることで人々の心を救う専好が、刀ではなく花を手に取り、時の権力者・秀吉へ戦を挑むさまが描かれています。
それが、超豪華メンバーなんです! 秀吉役に市川猿之助・信長に中井貴一、前田利家役は佐々木蔵之介、千 利休役に佐藤浩市などなど。
野村萬斎さんは、皆さんご存知の狂言師のプロなので、専好さんがちょっとだけ喜劇的に描かれているような気がしますが、華道の歴史がこうした映画になるのは歴史上初!!
とても楽しみな映画です。詳しくは→ http://natalie.mu/stage/news/210591

京都高島屋会場は、この映画のプロモーションのような企画になっていました。
その時代に花を生ける「花僧」達の状況が再現されているようで、とても興味深かったです。
img_20161114_195142  img_20161114_194955  img_20161114_195115
昔は剣山なんて無かったから、藁を洗い束ねて「込み藁」を作り「立て」ていました。
  img_20161112_163207 

   さて、私の作品はこちら →→ img_20161113_113446 
全くという程準備が出来なかったのですが、現場での花材との出会いを大切にした花を生けました。
毎回のことですが、花を生けるということは様々なことを学ばせてもらえます。
特に花展はで、自分の理想と今の現実の実力が明らかにつきつけられるのです。
 結果、誰が何と云おうと 自分自身が納得する作品を生けることができましたが、課題にも沢山気づくことができました。
こうして華道を通して少しづつ人間として成長していけることを、とても幸せなことだと思います。

 花展の後、京都在住の友人と小豆島へ旅行に行きました。
日本三大渓谷として知られる「寒霞渓(かんかけい)」の見事な紅葉に大感激。
  dsc_1548  dsc_1547  dsc_1550 
  こうした自然の花を見ること、感じることは私にとって花を生けることと同様に大切な時間です。
東京では曇りで見えなかったというスーパームーンも綺麗に見え、朝日の景色も素晴らしかった。  dsc_1541  江戸時代から続く菌で作る醤油蔵へも→ dsc_1592 
ホテルでも素晴らしい出会いがあり、感動とともに何ごとも「好きなことを謙虚な姿勢で 素直に、とにかく続ける大切さ」を改めて感じることが出来ました。
そういえば、今日生徒に『先生は、王貞治や、イチロータイプの“努力家が出来る天才”だ。』と云われました。好きなことを続けてきただけなので、自分ではわからないけれど。
「苦労と思わず続けられる才能がある」そうです。確かに。(笑)

来年一月に東京都美術館で「東京連合会支部花展」が開かれます。
社中と一緒の会期 1月22日(日)、23(月)に出瓶します。
なので社中の希望もあり、1月9日(祝)に我が家で「華道ワークショップ」を開催します。
今回の花展で私は初めて「掛け生花」を担当します。学ぶ喜びは一生続くのです^^。

日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/茶道教室-華道教室-438381252917488/


西武新宿線沿 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

「蓮心茶会&ミニ花展」の報告

2016年11月11日 Category: blog
unspecified「大寄せ茶会」と「ミニ花展」を 平成28年10月23日(日) 我が家にて開催致しました。 “日本文化の素晴らしさを一般の方にも紹介すること” を主旨とし、企画から会計、設営・準備、全ての運営を社中で行いました。
とにもかくにも、社中にとっては全て初めての体験。数ヶ月前から普段の稽古場には緊張感がピリピリとみなぎり、社中一同一丸となってその日を迎えました。
   unspecified-2 unspecified-1
開催前日、師匠から色紙が届きました。京都東山 建仁寺の管長様にわざわざ書いて頂いたとのお手紙。色紙の言葉は、『慈陰(じおん)』 慈悲陰覆の略。
『我々は大慈悲を被り、そのお陰を受けています。
歴代の祖師方が正法を連綿と伝持してきたお陰で、法に接することができます。
父母の深い慈しみを受けて成長してきました。そのお陰で今の自分があるのです。
多くのひとびとの恩恵を受け、そのお陰で生活しています。』味わい深い意味のお言葉とともに、
お手紙には『武蔵野茶会と重なってしまい どうしても行かれないけれど成功をお祈りしています。』深く感謝、感動。朝の挨拶で社中に『正子先生がこちらにいらしてくださると思って頑張りましょう!』と紹介して玄関に。

『開催したもののお客さまいらっしゃらなかったら寂しいね・・』なんて始めは危惧していたのですが、開始時刻とともに初回から満席!  unspecified-4 unspecified-3
茶席は10名〜18名が席入りしていただき、11時から4時の間に7席!
なんと、総勢80名近いお客様がいらしてくださったのです!
  unspecified-6 unspecified-5
花展会場も、絶えることない大賑わいで、嬉しい悲鳴!?

銅器に込み藁で立てた「古典調立花」、素敵な色あいの糸菊をメインにした「正風体立花」、御玄猪(おげんちょ)に花配りで石化エニシダと竜胆の「二種生け」、杜若と庭の砥草・紅葉したドウダンで「生花三種け」、ストレチアを主役にした「新風体生花」、水盤にコスモスを主役にした「自然調自由花」、細いガラスの花瓶にアスパラガスとピンポン菊の「自由花」、変形花器にダリアをメインにニューサイランの線を生かした「意匠的自由花」、黒く丸い小さな変形花器に緑から黄色〜オレンジ〜赤と秋の植物の持つ繊細で綺麗な色を生かした「自由花」、私は「杜若生花一種生け」を古胴に配りで。花形のバランスもバッチリ。総計10杯。

 アッと云う間に時間が過ぎて、気がついたら一分の休憩もなく夕方閉会時刻。
 まさに、『誰ひとり、欠けても成功しなかった』奇跡の一日。

 初回の茶席では、長年の兄弟弟子である友人が正客を勤めてくださり、末席には今回の茶会・花展の幹事を担った社中のご両親様、中程に社中とその友人の有名なオペラ歌手という13名の客組。正客に座ってくださった友人は、ここ 田無に移った初期の頃から我々を見守ってくれているので 『その当時から比べ庭の苔が素晴らしく育っていること、それと共に社中の成長が素晴らしい!!』と、自分のことのように喜んで下さり、それを聞いて社中のご両親さまからは『苔は、その家の主人を見て育つ、と近くの寺の住職から聞いている。先生の普段の行いが 言葉ではなく全て語っている。』と お話くださりました。前の日まで這いつくばって銭苔とりなどを頑張っていた社中は『最高の褒め言葉です〜〜』と涙が溢れ止まりません。率先して歌ってくださる筈だったオペラ歌手の方は『とても感動しているので私は歌うのを遠慮したい』とのことながら、皆で請うと『では、自分の一番好きな日本の歌で、短いけれどとても難しい曲を歌います。』と、「かあさんの声が聞こえる」というオペラを歌って下さいました。
 今思い出すとその時、空から天使が舞い降りてくるような感覚があり 『ああ、今日はきっと好い一日になるに違いない。』と、感じた私でした。
初回に魔法が降りたお陰か 社中一同緊張も少し解れてどの席も素晴らしく感動的で、和やかな会ばかり。『久しぶりに頑張って着物を着ました!』『茶会は生まれて初めてです!』『昔、昔、私の娘時代を懐かしく思い出すワ〜』等など。
なによりご近所の方々が皆さん、いらして下さり 楽しんでくださる様子がとても嬉しかったです!
丁度10年前、ここ田無に越してきたときに『いつの日か、ここで茶会と花展を開きたい。そして近所の方にいらして頂きたい』と、漠然と夢見た私を思い出しました。
その時は、『いや〜、そんなの夢の夢だよね〜?』と思った私でしたが、、
継続の力。そして素敵な社中皆の力。
夢は計画し、地道な毎日の積み重ねの上にあるのだとしみじみ実感しました。

『いらしてくださったお客様が、お家に帰り忙しい毎日に戻ったときにフッと 「ああ、なんだか素敵な時間だったな・・茶道、華道って、以外に面白そうだな・・何より皆さんの笑顔が素敵だったな・・」と思い出してくれると好いですね』 と挨拶した私でしたが、今回は もてなした私たちが 日常に戻り、「つくづく良かった幸せだったな・・」と思える会となったようです。
勿論、まだまだ進行形の私たち。幼い会です。けれど、この最初の一歩のお陰で今後の課題が明確になりました。確かな手応えのある大きな一歩でした。

この日を糧に、社中一同さらに日本の伝統文化「茶道・華道」を学んでいくことを、それぞれの胸に誓えたと 信じます。
いらして下さった皆様、本当にありがとうございました。


日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/茶道教室-華道教室-438381252917488/


西武新宿線沿 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

「大使と共に茶事と懐石を学ぶ@駒場迎賓館」

2016年11月10日 Category: blog
今年10月2日(日)旧加賀藩・前田家別邸の和館茶室にて、「グァテマラ大使夫妻と共に茶事と
懐石を学ぶ@駒場迎賓館」と茶会が開かれました。 14522125_1111873825569764_22384980_o
私は茶道講師として、
・茶道の歴史
・流派の違い
・茶道で大切にしている心・客の心がけ
・茶会の種類
・お茶の頂き方と、その所作の意味
・茶道の楽しみ方 などを(わかりやすく?)説明しました。
皆さん、興味深く聞いてくださりました。14522493_1111873542236459_1237769891_o
特に、グァテマラ大使からは『何百回でも聞きたいくらい勉強になった!Muchas!Gracias!』と
スペイン語で絶賛くださりました。大使は真剣に人の話をお聞きになる、とても素敵な女性でした。

当日は社中が二人、大活躍。14522469_1111873705569776_1252354261_o
お茶席体験の後は、精進料理を頂きながら懐石のレクチャー。

参加者は15名、満員御礼。貴重で充実したまさに、芸術の秋の一日でした。
IACから詳しいレポートが届きました。是非ご覧下さい。

http://iactokyo.jp/2016/10/11/「グァテマラ大使と共に学ぶ茶事と懐石@駒場旧/

日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/


西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

「華道」セッションアンケート

2016年7月26日 Category: blog
2016年6月初めに女子大で「華道」の授業をさせて頂いた時のアンケートが届きました。
レポートは任意のものなのに、参加者約30名ほぼ全員が提出してくださりました。
生徒の皆さんの真面目さと理解の深さに感激です。とても全ての文章を掲載することは出来ないので、残念ですが昨年同様、文章の最初と最後、途中など省略させていただくことをお許しください。また、(略)も略させていただきます。

*華道は、私が思っていた以上に長い歴史を持つ伝統芸能であることも知りました。安土桃山時代に権力を象徴するような非常に雄大で勇ましい大砂物、大自然の景観を理想化した立花など、どれも魅力的でこれまで考えていた華道のイメージがすっかり変わりました。これまで華道とは、茶道同様に様々な作法や掟があり、私たちには難しいと思っていましたが、とても親しみやすく、ぜひ初めてみたいと思いました。

*華道のはじまりが神や仏に奉ったことからとは知らなかった。華道は花が主役であり、花の命を大切にしたり、そういった精神が素晴らしいと思った。時代によって形は異なっているけれどその時代に合わせて変化して、精神は変わらずいまに受け継がれていてすごいと思った。最近では外国人でもこういった文化に興味を持ってくれているので、外国人にとっても魅力的な文化なのだと思った。 華道や茶道は日本が誇れるものだと思った。日本人なのに、華道のとこを全然知らなかったので少し恥ずかしく思った。 日本史などでやったこととかが今日出てきてさらに深く知ることができて良かった。宋の文化を取り入れたことがきっかけで、こうして日本の文化として残っているのは凄いと思った。 いままで、日本の文化にあまり触れて来なかったので、今日の授業で少し興味を持った。日本人としてこういった文化や精神を大切にしていきたいと思った。このような素晴らしい文化や精神をこれから先伝えっていくことが大切だと思った。

*「フラワーアレンジメント」の和訳が「華道」で同じものだ、と考えていた。しかし、大きな違いがあることを知って驚いた。 また、正月に門松を飾る意味など全然、知らなかった。というよりも、なにも考えたことのなかった。しかし、神様を呼ぶためと知って、納得した。 この講座を聞いていると、日本史(室町時代)を勉強し直しているようであった。このことにより、文化を学ぶということは日本国の今までの歴史を学びなおすということになるだろう。

*活かすということはつまり生命を吹き込むことであり、華を活けるとは華に命を吹き込むことなのか!と気付きました。これを踏まえて、華道とは、花が生きた状態で表現をする、花の奥底に眠る美しい生命の力をそのまま魅力として活かす芸術であると考えました。フラワーアレンジメントの作品も部屋の装飾のいいアクセントになったりと魅力的なものですが、華道の作品は、自分の心の奥まで華の生命力、表現力が浸透する不思議なものでまたまた全く異なる魅力的なものであると感じました。演劇における自分と華道における花の役割がとても似ているなと思いました。いつか自分の表現力を駆使して華道に取り組みたいと思います。

*華道は日本の歴史や考え方に深く根付いたものであるということが、歴史を紐解くなかからもフラワーアレンジメントとの違いの説明からもわかりました。西洋の人を中心に飾り立てる文化と比較し、日本の そのもの自体の美しさを大切にするという考え方、日本人のつつましさ、奥ゆかしさを感じました。「情」という点で西洋より深く、その点においてはどこよりも人、そして自分の感覚を大切にしていると感じました。だからこそ美に対して短歌や俳句を興じたり、それが後世にも胸を打つものとして語り継がれているのだと思いました。また、建築様式との比較ですが、西洋と日本の様式の違いには「隙間」があると書かれていたことを思い出しました。余白=余韻と考える日本の考え方はあらゆるものに表れていると感じました。 今回の生ける行程をみる中で特に印象に残ったのは、生い茂った楓の葉を何枚も取っていたことです。葉が少ないほうが空間的に隙間が生まれすっきりとして綺麗でした。選んだ花を数秒眺めただけで、どう生かすか考えて、いらないものを遠慮なく切り落として作りあげていく先生の姿は当然美しく見えた反面、来年いやというほど取り組むであろう会社の人事部の方々との面接・採用と同じように感じ、少しだけ怖さを感じました。同時に花と人間が決定的に違うのは「ことば」で自分をいかようにも魅せられるということに気づきました。改めて自分は人にどうアピールして行きたいか自問自答していました。

*華道についてほとんど知識がなく、それほど興味もなかったが、今回の講義を受け、華道の奥深さに魅了されました。さす花(挿す、指す)は動作つまり、行動を表し、いける花(生ける、活ける)は生命を表しているのではないかと高森さんがおっしゃったときはじめは何を言ってるのか理解できなかったが、話を聞き、歴史などをお話しされて、納得でき、とても理解が深まりました。安土桃山時代の書院造りに「大砂物」は力強さがあり、なおかつ可憐でとても印象に残りました。また、宇宙の森羅万象、世界を花瓶の上に再現、見立てようとした「立花」、花一輪の深さを見つめる「生花」の知識を初めて知ったのですが、華道は奥深いととても興味がわきました。
実際にお花を生けてみて、どこに配置したらきれいで、どうやったら思う位置に配置できるのか、どの位置でお花を切ればいいかなどいろいろ考えながら生けるのはとても難しかったけど、とても楽しくまた生けてみたいと思えました。先生からもお褒めの言葉をいただき生け花に正解はなく、心をこめ楽しく生ければ素敵な作品が生まれるのではないかなと思いました。

*高森先生の講義を通して、華道には自分が思っていた以上に深い歴史があることを学んだ。これまでは、華道の断片的な知識しかなかったので漠然とした一種類のものとして捉えていた。しかし、華道は、日本の歴史や当時の建築様式と密接にリンクし、時代ごとに様々な華道の形をもっていたということがわかった。例えば、宋文化を積極的に取り入れていた室町時代に、書院造りを飾る目的として立花が始まり、その後、立花は生花に転身し、草花に生命を見いだすことに価値を置くようになった。その後、近代化とともに男性の社会進出が進むと、華道は女性の教養という位置付けになった。このことに関して、私は花の華やかなイメージから華道は女性の領域にあるという認識を持っていたので、もともとは男性にたしなまれていたということに非常に意外性を感じた。

*花をいける(生ける、活ける)ということ、花を(指す、挿す)ということ、こんなにもシンプルなのに、こんなにも難しいことなのか、と思うワークショップでした。そして、その文化が、先人たちによって受け継がれてきたこと、時代が変わって,様式が変わっても、華道も常にそれと平行して、しかしながら根本は変わらずに生きてきたこと、文化の深みを感じました。花と共に居ることを「文化」にした日本の趣きが好きだ、とも思いました。日本人とは、本当に繊細で、地味を美に変化させることが上手いんだなあと考えます。そしてもうひとつ、関心させられたのが「日本人は『間』を大切にする」というお話です。私たち日本人は、空間を美しいと感じれる感性を知らず知らずのうちに宿しています。この感性って実は、とっても誇りに思えるものではないでしょうか。池で、獅子脅しが一定の間隔でカコーン、と音を鳴らすまでの間や、生け花の間。それを美しいと思える感性を大切にしたいです。

*日本の文化である「華道」についての講義を受けて、華道は人が人を思いやるように、花のこともどう生けたら美しく・魅力的に見えるか考えながら生けるということを学びました。華道は花の命が主役であり、花はもちろん葉・茎・蕾などを大切にすることで目に見えないところにも重きを置いていることがわかりました。さらに華道は空間や余白を大事にしているのでフラワーアレンジメントとは全くの別物だと再認識しました。また華道の歴史では室町時代に宋文化を積極的に取り入れ書院造ができ、この造りにより屋内が明るくなったため屋内にまつるものが増え、生け花が普及していったことを知りました。華道の歴史の深さや良さに気づけた講義でした。ワークショップでは、受講生の何人かが生け花を体験しているのを見て、それぞれ選んだ花や葉も違って本当に自分が好きなように表現できるものだと感じました。高森先生のお力も借りて皆素晴らしい作品を短時間で仕上げていて驚きました。

* 今回の講義を受けるまで、私の中での華道に対する印象は、茶道と同じように伝統的で敷居が高いものだった。また、私たち女性がするものだという印象を持っていたが、芸術的センスが問われるため、挑戦しにくいと感じていた。しかし、今日の講義の中で初めて知ることも多くあり、これらの印象はかなり覆された。 以前から華道が伝統的な文化であることは認知していたが、具体的にどのような変遷を経て現在の形になっているかは今まで全く学んだことがなかった。だが今回の授業を通して、戦争期を境に、生け花の文化の担い手が男性から女性に変わったことや、何帖もある畳の上に置くような大きな作品から、小さな作品が生み出されるようになったことなど、花道が遂げてきた変化を知ることができた。今まで敷居が高く、親しみが全く持てなかった花道が、これらの歴史を学ぶことによって心的距離が縮まったように感じた。 さらに、実際に先生や友人が目の前で生け花を実演しているのを見て、とても感銘を受けた。先生方の手助けがあっての上だが、私と同じ学生の皆さんの作品は美しく趣深いものだった。特に印象的だったのは、学生が完成させた作品に先生が少し手を加える、それもただ葉を横向きから縦向きにするだけで、その作品にたちまち立体感が生まれたことだった。そうして出来た作品は、花道に全く精通していない私からすればプロの方によるものと思うほどに綺麗であった。素人が生けたものであっても、ほんの少し手を加えるだけで花が活き活きとし、生命を感じられることに私は感動した。しかし同時に、そのひと手間で大きく変わってしまうというところに瞬間性や儚さも感じた。こういったところに、日本人だけでなく海外の方も含めて多くの人が生け花の魅力に惹きつけられるのだと思った。

*生け花は花の命が主役で、枯れている部分や蕾を使うことで過去、現在、未来など時間軸まで表現できるというのは素晴らしいと思いました。小さい頃や中学生くらいまでは、フラワーアレンジメントのような人工的できれいなものが好きでしたが、ここ数年は生け花のような自然美のようなものに心がひかれるようになりました。色々な経験をしたことで変化していったのかと感じました。私は、中学生の頃学校の授業で、週に1回1時間華道の時間がありました。 一生懸命やるのですが、どこかバランスが取れず、「空間の美」というものがなかなか上手くできませんでした。 この授業の中で先生が学生が生けたものを少し位置を変えるだけで作品の雰囲気ががらりと変わったのがとても印象的でした。

*日本に華道について知っていましたが、文化として成立しているのは日本だけであり、時代の変化と共に変容を遂げながら今日に残っていることの素晴らしさと奥深さに驚嘆しました。華道の中で使われる「いける(生ける・活ける)」という単語に意味があり、「さす(指す・挿す)」とは使い分けている点で、日本語を大切にしているのだなと感じました。時代の流れの中で池坊が発端となり「飾る文化」に「生ける文化」が加えられ、今の華道のもとが作られ続いているという流れを学び、日本の歴史との強い結びつきがあったのだと知り、驚きました。実際に生け花をやってみると、見ているだけではわからない、“生ける”ことの難しさ、想像通りにはいかないもどかしさを感じることが出来ました。

*なぜ『華道』の授業なのだろうかと疑問に思っていました。しかし当日現れた先生を見た瞬間、意味が瞬時にわかったような気がしました。美しい着物を着た、いかにも気品が漂う、物腰柔らかそうな女性がそこにはいました。まさに日本の女性とはこういうものだ、という雰囲気を体現されていたお方でした。 先生の口から語られた、華道についてのお話しは初めて聞くことばかりでとても新鮮でした。私は習い事で書道や、大学から部活で箏曲を始めたのですが、畳文化の習い事に親しんでいたものの、花を活ける華道と言うは全く別の分野という存在でした。 花を活ける文化というのは”日本だけ”というのは、その意味や歴史を聞くと納得できるものでした。 室町時代に宋文化を取り入れ、徐々に日本の和室の原型が出来ていき、六角堂池坊が、「命を活ける文化」として日本の華道の原型を誕生させた。 のちに自国の文化として大成したと言えど、日本はやはり中国の影響無くしては語れないのだと思いました。 華道がどうして日本独自の文化になり得たという答えに私は、日本人には花を見つめる心があるからかなと感じました。先生がフラワーアレンジメントと華道の違いについて質問されたとき、全く答えが浮かびませんでした。フラワーアレンジメントは西洋のイメージがあり、華道は日本のイメージです。それは人間が主役か花が主役か、で異なるというと答えに胸が打たれました。前者は花の一番綺麗なところだけを用い、後者は葉も茎もつぼみも用いるとのことでした。華道は”花の命”を表現する文化と言っても過言ではなく、その儚さをいつくしむ心が日本文化らしいと感じました。  そしてワークショップで、先生が活けてくださった花を実際に見ました。紫陽花を用いていたのですが、一番綺麗に咲いている花の部分だけではなく、虫に食われた葉の部分や、茎を巧みに使い、見事花瓶の中に、美しい風情を感じられるよう表現されていました。花の咲いている綺麗な部分だけでなくとも、このように上手く活ければ花に命が宿ったように活き活きと輝きを感じられるのだということに、華道の素晴らしさを感じた瞬間でした。 この授業を通じて、自分の中にあった華道の堅いイメージが払拭され、いつか機会があれば私も体験してみたいなと思いました。

*今回の授業は個人的にとても興味がありました。茶道の経験はあったので華道もやってみたかったからです。実際に華道を体験してみて感じたことは自由に花を主役に生ければいいんだということです。今回はアジサイを主役に生けました。花の高さや葉っぱの生かし方が特に苦戦しました。先生のアドバイスを参考に綺麗に花を生けることができたのは本当にいい経験になりました。一番印象に残ったのは、フラワーアレンジメントと生け花は主役が違うということです。花を主役にする生け花は昔からあるもので部屋を明るくするものであることは今の価値観でも変わりはないと感じました。花は命あるものなので生けた後より生けた瞬間を楽しむものなんだなあと、この経験を通じて学びました。日本の文化に触れる機会はなかなかないのでこのような授業に参加できて本当によかったです。

*今回の授業は個人的にとても興味がありました。茶道の経験はあったので華道もやってみたかったからです。実際に華道を体験してみて感じたことは自由に花を主役に生ければいいんだということです。今回はアジサイを主役に生けました。花の高さや葉っぱの生かし方が特に苦戦しました。先生のアドバイスを参考に綺麗に花を生けることができたのは本当にいい経験になりました。ワークショップで一番印象に残ったのは、フラワーアレンジメントと生け花は主役が違うということです。花を主役にする生け花は昔からあるもので部屋を明るくするものであることは今の価値観でも変わりはないと感じました。花は命あるものなので生けた後より生けた瞬間を楽しむものなんだなあと、この経験を通じて学びました。日本の文化に触れる機会はなかなかないのでこのような授業に参加できて本当によかったです。

*講義を受け、華道という文化そのものについて非常に理解が深まったと同時に、日本文化についても考えることができた。華道について、これまではその長い伝統からどことなく保守的で敷居の高い印象を持っていた節があり、植物を操る人造的な芸術だと思い込んでいたが、今回の学習でそれらが全く払拭された。まず、日本における華道文化の起源は室町時代に遡り、さらにその原点は中国にあるということだが、それ程長きにわたってこの文化が日本において継承されてきた理由について考えてみると、そこには自然を愛し、美の原点は自然の中にあると捉える普遍の美的感覚があるのではないかと思う。表現技法である「立花」や「生花」は、自然の景観、あるがままの姿を屋内で再生させることを実現しているからだ。植物そのものが持つ美しさを最大限に活かしながら、ひとつずつ大切に生けていくという過程に非常に感銘を受けた。また、現代に至るまで、伝統を重んじながらも新しい表現や技法を取り入れ、常に進化し続けているという自由で柔軟な部分も華道文化の継承や発展に大きく貢献しているのではないだろうか。国際化が急速に進んでいく今日を生きていると、自分を取り巻く環境には国境がなくなりつつあるように感じることがある。それは異文化と共生していくという点では良い影響を及ぼしているが、一方で自分自身のアイデンティティーや文化に対する認識を薄れさせてしまうこともあるように思う。そのような時にこそ改めて自分たちの文化に実際に触れることが重要で、そうすることによって私たちは再びその大切さや偉大さに気が付くことができるのだと感じる。

*華道の講義を受けて、華道は高貴で近寄りがたいイメージという今までのイメージが変わり、挑戦してみたいと思うようになった。「花を飾ること」と「建築様式」は密接に関わっていて、華道は命を生ける文化であり、花をいけることや花をさすという動作に色々な意味が含まれていることがわかった。また、華道の花を主役として花を人に見立てているところに日本文化を感じた。講義後のワークショップでは、少しの素材だけで作品を作ることができること、シンプルなところが逆に良さとなっていること、活ける位置を変えるだけで作品全体に大きな変化が出てくることなど様々なことを感じ、華道の楽しさに触れることができて楽しかった。

*今回の授業で日本の伝統文化である「華道」について学べたことは、私にとって色々な発見があってとても良かった。「さす花」は漢字で表わすと挿すや指すであり、「いける花」は漢字で表わすと生けるや活けるであることを知った。ここには大きな違いがあり、「さす花」は行動を示していて、「いける花」は人を思いやるように花の生命をいかしていることを示している。言葉の表現ひとつでここまで意味が変わってくるのは日本語の醍醐味であり、英語のように他の言語に比べて言葉の表現力があるから、日本人には趣深い心があると思った。華道の歴史がこんなにも古くからあるものだとは思わなかったし、その時代の文化に合った形で華道は活きてきたのだなと思った。 全体を通して、今まで華道について学ぶことがなく日本の伝統文化の一つという認識であったが、授業を受けて日本人特有の奥深さや風情が出ていて決してなくなってはいけない文化だなと感じた。どうしても現代では、ウェディングのときなどにフラワーアレンジメントで装飾をしたり、海外の文化を取り入れたりしていることから、なかなか自分から行動しない限り華道に触れることは少なくなってきているが、日本の文化の原点に立ち返ることも重要なのではないかと思った。

*今まで私は花を綺麗に配置を考えて飾り、自然に無造作に生えている庭とは違い、置物として見ることができる作品にすることを生け花なのだと考えていましたが、それは全く違うのだと気付かされました。生け花は花自体が主役であり、花の命に趣を置いていることを知りました。なので、常に一番花として良い状態を保とうとしたり、全ての方面から見て、綺麗である必要はないのだと感じました。花の命は蕾の若さから花開いて成熟した雰囲気、そして、老いて散るこの時間の経過までもが華道では表現として扱われることに、昔も今も変わらない日本人の心を感じることができました。桜に日本人が心うたれたり、花見として桜を見に行くことが恒例となっているのかと考えた時に、この華道が大切としている花の命と共通したものを私は感じました。日本人は人の一生、生まれてから老いて散るまでに思いを馳せるのだと思いました。そして、花を見て自分自身の人生について振り返ってみて、花と自分を重ねるのだと考えました。華道は人の人生を表している貴重な芸術であり、その芸術を見て感じることにより、私達が人生について考える機会を与えられているのだと思いました。このような人の人生と重ねることができる華道では、花一輪の生について人を思いやるように大切に扱うということを学びました。現在の花の状態だけでなく、未来や過去の見えない部分についても考えて生け花をしているのではないかと考えました。また、花を考えるという面から、花のイメージについても考え、生け花をしているのだと考えました。人も人それぞれその人のイメージというものがあると思います。それは人と花の共通点の一つであると思いました。そして、華道とフラワーアレンジメントとは大きな違いがあることに驚きました。 今日学んだ、生け花の特徴は人の言語の特徴に似ているように感じました。私達は会話において間というものを大切にしていると思います。常に一定で抑揚無く話すのではなく、間をあけることや抑揚をつけることで、何を言いたいのかという話題の中心を捉えることができると思います。これは生け花の空間の作り方と似ていると考えました。何をメインにするか、そして、メイン以外のものをどのような活かし方をするかと考える過程は私達の会話における言葉のつむぎ方に非常に似ていると感じました。メインの大きな花にあたるのは会話上で話題にしているトピック、そしてメインを引き立てる花は、ニュアンスなどを変える言葉に似ていると思います。例えば飴が5つしかないと5つもあるでは、飴が5つ並んでいる写真を見たりすることには違いはありません。しかし話している人がその写真をどのように受け取っているか、ニュアンスは真逆と言えるでしょう。ここで言う「〜しか」と「〜も」はメインの話題、つまり飴というワードではないが、大きな影響を与えていると考えられます。これが生け花でいうメインの花でない、草や葉や茎などの活かし方と同じあると感じました。また生け花の余白、空間は作者の心の表れであるととれると感じました。その余白を大切にすることにより、想像の余地を与えられていると考えました。これは日本文化独特の特徴であり、会話においても余地を残す、言葉を濁すなど、相手に委ねる部分があり、共通点があると感じました。 生け花だけが作品ではなく、置かれる空間も含めて作品なのだと思いました。それは私達が発話状況、環境、相手などを考えて言葉を変えたりする試みと似ていると考えました。発話状況を知ることにより理解が一つに定まるということはよくあり、会話に環境がどれだけ影響力があるのかと考えさせられることがよくあります。 今回の授業で生け花を実際にさしている場面を見学して、動作、行動を感じることができました。ゆったりとした時間の中でも、メリハリのある行動がとても印象的でした。

*空間を重要視するのが日本独特の美なのだと分かった。そして、「華道」は花の部分だけでなく蕾や葉や茎、さらには枯れている所も使用していけるのだと知った。それは単に綺麗に活けるだけではなく、蕾になり、花が咲き、やがて枯れるという花の一生を表現しているのだと思い、本当に花の命に重きを置いており、花に心を尽くしていることがよく分かった。また、以前「華道」をについて扱ったテレビ番組で講師の方が「花をいける際に左右対称にするのはあまりよくない」というようなことを言っていた。その時はよく分からなかったが、今回の講習を聞いて、左右対称にするとやはり人工的な感じが出てしまい、自然で生き生きとした花の良さが十分に表現できないからなのではないかなと思った。 ワークショップでは、基本的な花のいけ方やさらに美しくいけるためのポイントなどを学べたことが大きな収穫だった。例えば花瓶にいける際に花が滑って安定しない時は茎を切って花瓶の中につっかえ棒のように入れて花を安定させると良いということや、楓は少し茎を弛ませ、枝の下の方の葉を取り、枝の分かれ目をきれいに見せるいけ方を学ぶことが出来た。どれも特別な知識や技術は必要としないアドバイスで、簡単に取り入れられるものだと思った。メインの花から選び、それに合わせて2,3種類の草花を選んでいけていくのが基本的なやり方のようだが、端から見ていて私には美的感覚が無さ過ぎて何をどう合わせるのが良いのか分からず、すごく難しそうだと感じた。しかし、私は高校の3年間茶道部に所属しており、その時も入った当初は作法についてもお茶の道具についても全く分からず覚えるのが大変だったが、作法や道具のことを学んでいくと徐々に楽しさに変わっていき、お茶会に行っても緊張はあったが楽しめるようになった。なので「華道」も初めの内は感覚が分からず難しいかもしれないが、慣れたらきっと面白くなるだろうしはまるだろうなと思った。

*華道というものが、花を「生ける」芸術だということがわかりました。 花弁の部分だけでなく、葉や茎の部分を使うことで、若い花の瑞々しさ、枯れゆく花のわびしさなど、花のさまざまな生き様を切り取り表現しようとした「華道」、人間を引き立てるために花の持つ力を用いた「フラワーアレンジメント」、両方の違いも知ることができました。

*これまで私は「花をいける」ということについて深く考えたことが全くありませんでした。それゆえに始めは「華道」と聞いてもただ単純に花をうまい具合に綺麗に生けていく、というイメージしか浮かびませんでしたが、華道の主役は花そのものであり、空間や余白を大切にすること、そしていつでも満開の花を使うわけではなく、蕾や少し枯れてしまった部分も使うことで過去や未来も表現し得るという大きな違いにとても驚きました。「華道は、花の持っている自然の中の美しさを最大限に表現するもの」という高森さんの言葉がとても印象に残っています。実際に、ワークショップでは2〜3種類ほどの決して多くない種類の植物でとても洗練された作品が創られていましたが、それがまさに花を「生ける(活ける)」ということなのだと考えました。 華道のような日本文化が何百年も受け継がれているということは、実はとても凄いことであり、大切にされるべきものであると思いますが、私たちは普段それに気付くことはあまりありません。しかし、例えば元旦に多くの家庭で飾られる門松が神に向けた家の目印であり、家が長く繁栄し、続いていくようにという思いを込められて受け継がれている文化であるように、気付かないだけで、日常生活の中にも日本文化を見ることは出来ます。今回の講義・ワークショップは私にとって、文化に止まらず、当たり前のように倣っている日本の習慣も受け継がれてきたものだということを考え、これから様々な文化や習慣に日常的に興味を持とうと考える機会となりました。

*まず、華道とフラワーアレンジメントの区別が恥ずかしながらついていなかったが、全くもって質の違うものであることを学んだ。 草花それ自体の持っている持ち味を十分に生かし、時には余白部分も生かすという華道の考え方は、日本的な「美」の考え方を凝縮しているように感じる。花の命を生かす、「いける」という考え方も含め、今まで考えたことのなかった世界が広がっていた。つい華美で装飾の多いものに魅力を感じてしまうが、シンプルな美をしっかりとしっかりと受け止められる人間でありたい。 また、華道において華やかなものが悪であるというわけではないのが魅力的な点であるとも感じた。見せていただいた自由花の写真などはとても華やかであった。華やかであることもまた、花の魅力であり、それぞれの花の魅力を生かすことが重要であるという考え方が深い。これは、花を人に例えるという考えとつながっているように感じた。人も、華やかな人もいれば楚々とした人もいる。それぞれによさがあり、その良さを最も引き出すスタイリングがある。これは人も花も同じことであるだろう。最近「量産型」という言葉を聞く。確かに、大学でもよく似た女の子たちを見るように思う。もっと一人一人の良さを生かすことができるように思うのは私だけだろうか。折角すっきりとした美人なのに目を無理に二重にしている人を見ると、なんとなくもったいない気がしてしまう。華道においては花の良さを人に例えつつ生かすという発想があるのに、昨今人のよさのモデルは画一的になり、花のようには生かされないというのは大いなる矛盾をはらんでいるように感じる。華道の考え方が広がれば、もっと世間は生きやすくなるのではと考えてしまった。 そして、華道が歴史を吸収してどんどん変わっているというのが、興味深かった。日本の美の概念は時代、特に為政者の意向を反映し、華やかな物と簡素な物の間を移り変わっている。そしてついには、庶民が価値観を決定する社会になっていく。華道はその間を軽やかにくぐり抜けて、現代にいたるまで新たな美の形を作り続けているのだと思うと、その時代その時代で華道の新たな形を作り上げた人たちに対して尊敬の念が芽生える。また、今後は先生の様な方たちが形を守りつつ発展させていくのだろうと感じる。今の日本の在り方を華道はどのようにうつすのか、50年後、100年後、華道はどのような形になっているのか興味深いと考える。

*今回、初めて華道というものに触れました。今まで、華道というのは格式が高く、私たち一般人はなかなかやる機会がないものだと思っていました。しかし、今回授業で講義を受け、もっと身近なものだと感じることができ、機会があれば自分もやってみたいと思いました。いくつもの花の組み合わせで成り立っていると思っていた生け花も、1輪の花と花瓶だけでもしっかりとした作品として成り立っていて、花の「生」というものを強く感じました。日本の伝統文化である華道。おもてなしの精神が存分に詰まっているように感じました。私は日本人でありながら、自分の国の文化をよく知りませんでした。グローバル化が進む中で、他国のことばかりを気にしていましたが、まずは自分の国の伝統や文化を知ることが第一であると気づかされました。日本の良さをもっと知らなければ、他の国の人に伝えることもできません。

*花が大好きで華道にも以前から興味がありましたが、実際に目の前で花を生けるのを見るのは初めての体験でした。冒頭のさす花、いける花の話で「”花を挿す・指す”という言葉にはどちらも手へんが使われており動作を表すのに対し、”花を生ける・活ける”という言葉は生命を表すのだ」という言葉が印象的でした。 花の命が主役で余白や空間という概念を重んじる華道の違いに日本人らしさが表れているなと思いました。私は葉や茎、つぼみ、時には命の終わりを迎えようとしている枯れ葉をも用いる華道のほうに魅力を感じました。そのように感じるのはやはり日本で生まれ育った証なのだろうかと思うと同時に、花を主役に”花を生かす”という華道の文化を誇りに思いました。このような気持ちになれたことで改めて花や日本が好きになり、とても有意義な講義だったなと思いました。 最後に、高森先生が「異文化交流をする際には、まず自国の文化を知り、その魅力を外国の人に伝えることが出来なければならない。そのためには日本に留学に来たつもりでたくさんの事に興味をもって、積極的に学んでいってほしい」とおっしゃっていました。日本に留学に来たつもりでという表現にとても納得したので、まだまだ知らない日本の文化を積極的に学んでいきたいです。

*『花を生けるとき、多くの花材の中から選び、必要なものを判断し、決断して切ったり矯めたりを実行し、自分の作品を造りあげています』という部分に感動しました。 わたしが華道を習っていたころは(本格的な華道ではなくあくまでも子供たちに文化を触れさせるための目的だったのかもしれませんが)、幼かったということもあり、花を生けることに細かいことは何も気にしていませんでした。 しかしそのような表現を聞き、わたしは当時の自分はもっとひとつひとつ考えながら生けていたら今の自分の物事への考え方は違っていたのではないかと思いました。 外国への憧れが強い日本人ですが、やはり自分も含めて、まずは母国について何かひとつでも深く語ることができるようになるべきだと感じました。 せっかく、海外から注目されるような独特な文化を多くもっている日本なので、もっと自国を好きになっていきたいと思いました。

*今回の華道セッションを受けるまで、生活の中で華道について深く知る機会はほとんど無かった。恥ずかしながら、華道は和風に生けた花でフラワーアレンジメントは華道を洋風にしたようなものだとしか考えていなかった。 華道は変わりゆく花々の姿をその時々に楽しみながら長期的に花の魅力を味わうという印象を受けた。 花開いた様子のみが中心となるのではなく、つぼみの段階や枯れ始めている段階についてもまた違った趣を感じることができる。また、それぞれの花の育ってきた環境や、その花から感じるとることのできるイメージをありのままに表現し、その花らしさを作品に活かすということから、華道は人生と似ているのではないかと感じた。人生も若い頃があって今という時があり、やがては年老いていくが、その時々で良さがあり、大きな時間の流れの中で味わいが変化していくのであると思う。このように、生命の一生を長期的に見て、過ぎていく時間の中に美しさを見出そうとするという点で、人生と華道は似ていると感じた。 日本の文化として華道について知り、実際に華道をなさっている高森先生がどのように花々の個性を活かして生けていくのかという様子を拝見したことによって、日本人として世界に誇れる日本文化について触れ、自然を大切にし、自然と共に生きていく日本の文化の特性について気が付くことができた。華道は世界に誇れる日本文化であるということを実感したので、より深く華道について学び、実際に体験する機会を持ちたいと感じた。自分は比較文化副専攻を履修しているが、文化比較という視点からも自然の流れを大切にする日本文化として華道をとらえ、西洋的なフラワーアレンジメントとは違う点を学ぶことができたので、非常に貴重な経験になった。

*今回、華道のワークショップでの経験は私にとって初めてのものであり、貴重な時間でした。私は今まで華道はテレビでしか見たことがなく、私自身お花が好きでよく近所で摘んだりして花瓶にさしますが、「花をいける」ということを意識したことはなかったです。しかし、この講義を受けて「華道とは何か」「花をいけるとは何か」を学びました。華道の歴史は長く、長い間日本の生活を飾ってきたのです。それは「命を生ける文化」へ受け継がれています。私が一番印象に残っているのは「さす花」と「いける花」の違いです。 華道では「いける花」、生ける、活ける、つまり「生命」を大切にしてるのです。華道での主役は人ではなく「花」です。どうやっていけたらこの花は一番輝くのか。どの向きが一番きれいに見えるのか。この花の美しさを引き出せるのか。私は華道の事はまだあまり知らないけれど、高森先生が常に花の事を思い、考えていけていて、だからこそ美しい作品になるのだということはすぐにわかりました。そこには花に対する「愛」を強く感じ、華道において、センスや才能よりもまず大切なのは花に対する愛情なのではないかと感じました。こんなにも美しい文化が日本にあることをとても誇らしく思いました。

*今回、言語文化論の授業で華道の講義を受けて、自分自身の日本文化に関する知識のなさを再認識しました。日本の小学校や中学校、高校では歴史の授業を通して華道や茶道、書道などの日本文化について学びますが、実際に体験する機会はほとんどないので、今回の華道の講義はとてもよい機会になりました。現在国際化やグローバル化が叫ばれている中で、私たち日本人は欧米の文化を学び、取り入れることに必死になり、自国の文化を積極的に学ぼうとすることはほとんどありません。他国の文化をより深く理解するためにも、自国の文化を学ぶことはとても重要な意味を持つのです。また、日本人にとって日本文化を知るということは日本人としてのアイデンティティの形成においてもとても重要です。このように考えると、今回の華道の講義はとても有意義なものになりました。一時間半という時間では少し物足りない部分もありましたが、偉人たちが作り上げてきた日本の文化を、少しでも知り、また体験できたことはとても良い経験になりました。

*高森梨津子氏の華道、それは私の思っていた「格式の高い、由緒ある日本伝統的な芸術」とは異なっていた。私は華道とは時代に受け継がれる伝統芸術でその一端を知るだけでも深い教養と知識、見聞が必要であると思っていました。なぜなら、直接的に日本文化を体現する芸術であるからです。今や世界に注目される、趣があり美しい日本文化はそれを生んだ国日本の人々が背負い世界へ正しく発信しなくてはならないものであると感じています。よって華道を知ることはそれだけで敷居が高く感じていました。しかし、この授業で高森先生が話してくださったこと、そして実際に身近な東京女子大学に咲く花を花瓶に生けてみる、これらを通して華道の美しさ、親しみやすさを感じました。また、とくに印象的だったのは、数名が教室の前に出て皆を代表して花を生ける際、挙手して名乗り出る学生は至極控えめでなんだか自信がなさそうだけどやってみよう。そんな風に思いながら前に進んでゆきましたが、いざ実際に花瓶に生け始めるとなんと生き生きとした表情、そしてその無駄のない美しい自然体の動作に驚きました。完成すると皆に見せておりましたがなんと自信に満ち、すっきりとした表情をしているのでしょうか。私は華道の見えない力を感じました。


私の講義の後に東京大学の大学院へ留学しているYさんに「華道」のテーマでプレゼンテーションしていただきました。Yさんは4年間違う流派で華道を学び、そして池坊華道と茶道を学びに私の教室へ通っています。その内容は本当に素晴らしく、講義を聞く同じ大学生へも過大な刺激があったようです。その感想は私のことではないので憚れるのですが、代表して3名分のみ記載させていただきます。

*日本は古来より中国の影響を大いに受けており、中国から取り入れた多くの風俗・風習が、現代に及ぶまで私たち日本人の生活に深く浸透している。中国と日本は言うまでもなく非常に密接に結びついている関係にある。今回の講義では、日本の文化について関心を抱いてくださっている中国人の方と一緒に華道について学んだことで、両国の深い結びつきをより身近なかたちで感じることができた。また、Yさんの諸活動に関するお話を聞いて、中国出身の彼女が日本の文化に対して興味を持ち、学んでいるということについて非常に嬉しく思った。また、同時に、日本文化が他国の人々からも評価されているということで、改めて自分の文化に誇りを持つことができた。この経験は、私自身にとって非常にすばらしいものとなったと思う。多文化を有する人々と混ざって華道というひとつの文化を見つめることで、「日本に特有の文化」という側面に焦点を当てて理解を深めることができたからだ。この体験から、異文化間での交流を通じることで、人々は相互の文化を理解するだけにとどまらず、自身の文化に対しても認識を深めることができるのだと思った。まず私自身については、高森先生やYさんのお話を伺って日本文化に対して新たな思いが芽生えた。一方、Yさんは日本文化としての華道を学びながら、華道の原点であり、かつ自国の中国が持つ文化に対して改めて誇りに思うだろう。互いの文化の共通する部分、そうでない部分について理解し合いながら、今後も中国と日本の文化交流が更なる発展を遂げていくことを望んでいる。

*Yさんのプレゼンテーションは実にすばらしかったです。東京大学のTEDに参加したと知り、いかにうまく言葉を操り人を説得させるプレゼンをしてくださるのだろうと思いましたが、想像以上に楊さんの華道に対する想い、感じたことが自分のことかのようにストレートに伝わってきました。華道を通して感じたことの中で、人と人とが助け合い、皆で華道をするという言葉に感動しました。そののちの、楊さんの好きな言葉、「己事究明」にははっとさせられました。己自身の真実を究明することが華道でできる、そう気づかされ、華道の尊さを感じました。

*Yさんは、自分の国の良さを知った上で日本のことを学んでいて、私よりも日本の良さを知っているように思いました。日本と中国を繋ぐ架け橋になろうとしている姿はとてもかっこよかったです。そして、Yさんがしきりに口にしていた「縁」という言葉。様々な縁を大切にしている楊さんのように、私も縁を大切に、そして繋がりを大切にしていきたいと思いました。


非常に長くなってしまってすみません。読んで下さった方、ありがとうございます。
二年にわたり、大学で講義をするという貴重な体験をさせてくださった先生に深く感謝いたします。
「池坊」の看板を背負うかぎり、間違ったことを伝えてはいけないと 私も非常に勉強しました。
何年学んでも尽きないこの世界。きっと、ゴールというものはないのかもしれません。
けれど、だからこそ学び続けていく姿勢そのものが大切なのだと信じています。
学生のころ、全く勉強などせず野山水辺を遊び廻っていたわたし。もしかしたら「今」学ぶために体力を蓄えていたのかもしれません(笑)。「遊び」の中には沢山の“発見”や“気付き”があります。
忙しい毎日だからこそ、少しだけ自然を感じて生きて行きましょう? 実は目の前にまだまだ沢山 “自然” はあるのです。


日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/


西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子

女子大学で華道講師

2016年7月25日 Category: blog
 今年6月 昨年に引き続き、西荻窪にある女子大学にて「華道」の講師を務めさせて頂きました。
先ずは、許可を得て学生と一緒に花材を採集。  花採取
広い構内。色とりどりの紫陽花や荻、一見地味だけど味わい深いお花が沢山あります。

講義は、
① 何故、花をいけることが「日本文化」?
② 「華道」と フラワーアレンジメント との違い
③ 「花を飾ること」と「建築様式」
この三つのポイントを軸に、池坊は「一輪の花の中にある私たちと同じ貴重な命を扱う教え」だと伝えました。人が人を思いやるように草木を思いやる。どんな環境で行きてきたのか、光を好むのか陰を好むのか・・
そして、形だけではなく どのように生けたらその命が輝くように見えるのかを大切にしている、と。

古今東西、世界中の人が花をいけています。
しかし、この花を生けることを「文化」「道」として伝承しているのは “日本”だけです。

ではこの日本で「花を生けること」が いつ、どのように「日本文化」として成立して行ったのか。
今年作ったビデオを上映し、説明しました。
   レクチャー4 レクチャー5
平安〜鎌倉〜室町〜安土桃山〜江戸〜〜現代までの時代の流れを7分のビデオで説明するのはかなり無理がありましたが、時代背景と共に人の心の求めることが変化し、それが建築物・文化に表わされるようになってきたということは伝わったようです。
「華道」の歴史は、そのまま「日本の歴史」なのです。
講義の後に生徒が 身近な器に実際に花を生ける実演を。私はほんのちょっとだけ、手直し。
     実演

今年は、私の講義の後、家に稽古に来ている中国からの留学生Yさんが「華道と私」を“縁”というキーワードでプレゼンテーションしてくださりました。同じ学生としてのYさんが真摯に「日本文化」を学ぶ姿に学生達はとても刺激をうけたようです。

後日、この「華道セッション」授業のアンケートが届きました。
とても感動する内容ながらかなりの長文なので、おって紹介させていただきます。


何も知らなかった私を育てて下さった師匠がいてくださり、今の私がいます。
その、恩返しのためにも 伝えて下さったことを そのまま手渡すことのお手伝いが少しでも出来たなら、こんな幸せなことはありません。
そして今回このような貴重な機会を作って下さった女子大学の先生に深く感謝致します。
ありがとうございました。


日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。
https://www.facebook.com/高森梨津子-茶道華道教室-438381252917488/

西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子