令和6年 京都で学びの後に。
(令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室、3年次 3期(10月)の報告と一緒に書いていたら、長くなってしまったので 分けます。)
さて、学校で使った花材などで最終日は、お世話になった友人宅に お花をた〜くさん!部屋中に飾ります。


そして今回、学校が終わった後に、京都でお世話になっている友人と久しぶりに一泊旅行へ行くことにしました。目的地は淡路島。
淡路島へ向かう道中、「ちょっとだけ寄り道‥」と徳島まで。京都から車なら直ぐなのね~~鳴門公園で鳴門の渦潮を海上散歩なかなかの迫力!友人が選んでくれた淡路島の Air bndは景色が最高ですこぶる快適 。夜は「さと味」で美味しいお魚のお造り。ベラ・タイ・鮑、天ぷらやお寿司も堪能!車海老の頭と尻尾は塩焼きにしてもらいました〜締めは穴子の押し鮨。ここの茶碗蒸しが魚の出汁が引き立って絶品でした♡


淡路島は若狭、志摩と並び、日本古代から「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、平安時代まで皇室、朝廷に海産物を中心とした御食料を貢いだ国。人徳天皇の項には毎日飲む水までもが、この島から水までもが朝廷に運ばれていたそう!朝廷お墨付きの淡路島の食材!
なんといっても淡路島は古事記、日本書紀に綴られた国生み神話ゆかりの地。最初に誕生したのは「おのころ島」。古事記・日本書紀によると、おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神は、日本列島を次々に産んでいく。その中で最初に生まれた島が「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」こと、淡路島であると記されています。おのころ島神社へお参りしたら、近くに天の浮橋(あめのうきはし)もある。『神代の昔、国土創世の時に二神はお立ちになり、天の沼矛(ぬまほこ)を持って海原をかき回すに、その矛により滴る潮が、おのずと凝り固まって島となる、これが自凝島(おのころじま)。二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先ず淡路島を造り、次々と大八洲(おとやしま)を拓かれた』と記載されています。天照大神を祭る「葦原國(あしはらこく)」の神話の伝承地は、畑の真ん中にポツンと。
その後、瀬戸内海国立公園「成ケ島」へ、渡し船で5分。ここは照葉樹林の森、池、干潟、岩礁、砂地、塩沼地、アマモ場など多様な自然環境が残されています。ハマボウやハママツナなどの貴重な海岸植物、ハクセンシオマネキやアカウメガメなどの貴重な生物が生息する尊い自然が残る宝島だとか。
最後に素敵な建物が気になる「農家レストラン陽 燦燦」へ。建築家 坂 茂氏の設計でした。坂 茂氏の「禅坊 靖檸(せいねい)」は、北淡路の森に突如現れるヨガと座禅のリトリートとして有名です。この島は、「パソナ」の会社が移り色々と開発が進んでいるようです。
東京へ帰ったら色々大変だけど、この久しぶりで楽しかった旅行を胸に、頑張ります〜〜感謝♡
そして、翌日月曜日は28日!大徳寺で利休さまの月命日で開かれる月釜が開催される日。毎月28日に大徳寺の何処かの塔頭で開かれている「月釜」は、初心者からプロの方までどなたでも参加できる素晴らしい茶会です。
私の師匠は過去三回、玉林院で開かれました。その時、 半東として参加させていただいたことがありますが レベルが高くて、とても勉強になるので京都に来るときに上手く日程が合えば伺うようにしています。
といってもなかなかその機会には恵まれないのが現実ですが。今回はバッチリ!参加しない手はありません。笑
京都在住の蓮心会京都支部長、私の表千家短期講習会卒の同期、蓮心会社中の料理長金子さんの二人は日帰りで参加。4人で「興臨院」「瑞峯院」「聚光院」「玉林院」の四席席入りすることができました。
聚光院では皆で利休さまや茶の湯にまつわる方々の墓参りをしたり、お茶人冥利に尽きる幸せな時間をたっぷりと過ごしました。各席で2服戴くので、4席分のお抹茶8杯と4種類の主菓子と干菓子(汗)。もう甘いものは… と思っていたのですが…

大徳寺の塔外のお寺を散歩していたら、何やら美味しそうな醤油と白味噌の香り…その先を見ると お団子を焼いているではないですか!こんな美味しそうな匂いの前を素通りできるわけがありません。勿論いただきましたよ〜〜
よく学び、よく遊んだ10月下旬。東京に帰ったらまた怒涛の日々に流されてしまうことは必須ですし、来月の七夕華展もあり、大変ではありますが、エネルギーをたっぷり吸収しましたので、乗り切れそう?
次は、旧七夕華展の報告でしょうか。納会や、来年の初釜の試作もしなければ。
あっという間に今年も幕を閉じますね。無事に一年を過ごすことができることに日々、深く感謝しています。
日々の稽古や、生徒の作品、またプライベートもInstagramとF.B.にアップしています。(上記は11月13日に Instagramにアップしました。)
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よかったらご覧ください。
令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室、3年次 3期(10月)の報告
令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室。3年次3期は 10月21〜25日に開催されました。
あ〜(汗)… 3年間で終了する総合特別科。この3期が終わると 残る一期しかありません!今期も悔いのなき様、しっかり学びましょう!
1日目は、「40世専定宗匠」の残された絵図を元に、自由研究。私は「茶の木」と「小菊」の二種生けを選びました。


専定(せんじょう)宗匠が活躍された 1820(文政3)年、宗匠は『挿花百規』という本を刊行されました。
40世専定宗匠という方は、いわゆる「天才」。理屈ではなく、心の目で植の見本質を見抜き、それぞれの植物の「出生(しゅっしょう)」を生けることができる方。出生とは「それぞれの植物が内在し持っている性格」です。
その宗匠が、『ボクが 皆んなが理解できる様に、生花の 100のルールブックを作るよ。そしたら みんな、分かるでしょ?』というのがこの『挿花百規』。
『いやいや、宗匠、絵本として見るにはとても素敵!しかし、この内容は凡人の我々には直ぐには理解できかねます・・・』という世界。「一見簡単そうに見えても、とても簡単には真似出来ませんし、とても難しい」のです。よく調べてみると実際、『この本は簡単に、真似してくれるなよ〜』と、書いてあります。笑
この本の絵図の内容のほとんどは基本的に「前副(まえぞえ)」です。
現在の生花の教えは、基本的に「後ろ後方」が「副」ですので、少し混乱してしまうかもしれません。しかし、これを学ぶと「生花( しょうか)」という「形」が、今の型に構成されてくるその片鱗を窺うことができます。
「生花( しょうか)」が生まれ始めたのは、寛永 3(1750)年 36世専純の頃。この頃『水際(みずぎわ)』・『花器から命が発生する姿』の発明があり、「抛げ入れ」から「いけばな」へ発展していきます。
生花の型には、「真(しん)」「副(そえ)」「躰(たい)」という『三儀』の役枝の働きがあり、大切にその働きを心得なくてはいけません。
40世専定・41世専明の時代から、「真」は『人(じん)=ひと』、「副」は『天 (てん)』、「躰」は『地(ち)』、と伝えていくようになります。
それまでの時代は、「真」は「天」。すなわち「自然界」が中心。「副」は「人」でした。「天」が真ん中、すなわち「人」中心の考え方ではなく、「草木」の姿が決定する、今の『新風体』の考え方に近かったのです。
皆さん、ついていけてます?笑 いつでも教室でお伝えいたしますよ~~
2日目は、「木瓜」の「上・中・下段」の変化形。

下の花材から枝選びをします。ここが一番大切。

木瓜、「躰」の花。

「変化形」とは、『生花別傳』で、『上・中・下 三段流し枝』で、「真・副・躰 又は あしらいを強く働かすこと」。「花律の変化」を生けます。



3日目は、初日と同じ「専定宗匠」の絵図から「秋の燕子花」。


生けた燕子花は次の日、見事に花を咲かせました~~

他にもいくつか「秋の燕子花」の絵図があります。


ため息がでるほど、素敵です!木瓜などもそうですが、特に燕子花は、生けてもいけても奥の深さを痛感させられます。
花を生けることは、「型」も大切ですが、なるべく本数を少なくして陰陽をよく見る「見立て」が大切❗️
何より 自分が手にした枝から発想するセンスが必要。
『植物に環境を与える』
その枝をどう生かせるか、
生きている環境を作ってあげる。
環境を取り戻す = 立つ枝、横になびく枝。環境から切り離された枝に環境を提供する。
先生の名言
『フォーカスを合わせ、ノイズを消す』
4日目は、「自由課題」。3年生になると、自由課題が増えました。今まで学んできた成果を発揮していきたいです。
私は、来月11月に開催される池坊旧七夕華展で、この教室から「選抜席」に選ばれるという誠に光栄な機会を頂きました。なので、一杯でも多くその練習をしたいと思ったので「木瓜」の一種生けにしました。


5日目は、毎期「三種生け」か「新風体」の自由選択。私は「三種生け」を。
本当は、「株分け」を学びたかったのですが、今回は「分けない方が良い」とアドバイスいただきました。

「山茱萸」の赤い実と、「岩シャジン」の白花、とっても可愛い♡

一度、アップしたブログですが、あまりに長すぎるので分けて投稿することにします… 笑^^
続きをお楽しみください〜〜
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西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子
七夕と梶の葉
毎年 7月、「天の川」のお菓子を見て “七夕” を思い浮かぶ方は多いのですが、「梶の葉」を表現した主菓子をいただきながら 『あぁ、七夕ですね。』と、ピンとくる生徒が増えないことを残念に思い、(超簡単にですが)今年7月 Instagramに『 “七夕” イコール “梶の葉” 』の投稿をしました。
その内容(前編)は下記の通り。↓
七夕の歴史は古い時代の中国で、七月七日に行われていた「乞巧奠(きこうでん)」という儀式に因みます。
「七夕乞巧奠」とは織姫にちなんで、金銀の針や色糸などを供えて天の二星に織物技術や、詩歌の上達を願う行事。
七夕の夜に習字や詩歌の上達などの願い事を、芋の葉上の朝露で墨をすり「梶の葉」に書く風習が日本に伝わりました。七夕には “習字上達の願い” も含まれ、昔は七夕の短冊の代わりとして梶の葉が使われていました。
乞巧奠では、願いをしたためた梶の葉を水を張った「角盥(つのだらい)」というタライり浮かべることで願いを天に届ける慣わしだそう。


七夕「梶の葉」の飾りもの。なんと、メルカリでも流通していました!
師匠に梶の葉に墨で書かれた暑中見舞を見せていただいた時の感動は今でも忘れられません!

… と、いうゆうことで、今まで「七夕」イコール 「梶の葉」なのだ。と、私自身なんとなく分かった「つもり」でいました。
さらに調べると、梶の葉は「柏」と同じように『神前に供える供物の食器や祭具の「弊」としてつかわれ神聖な意味合いを持つ植物』だからだそう。
ふむふむ。「…?」。
はて。「神聖な意味合いを持つ植物」と書いてあるが、「 ” なぜ ” 、梶の葉が 神聖な意味合いを持つ植物なのか」は、どこにも書いていない。
そもそも、紙を作る代表は「楮(こうぞ)」…『何故、七夕の行事は “楮” ではなく “梶の葉” でならなくてはならないのか??その意味は?』
この疑問から私の、わかったつもりでいた「梶の葉」の謎ときの旅が始まった。
その矢先、『倭文(しずり) 旅するカジの木』という映画が上映された。
勿論早速観に行く。

なぜ人は衣服をまとうのか… 化学繊維が人間の体を覆い尽くす現代に〈衣〉の神秘的な始原を追って、台湾、インドネシア・スラウェシ島、パプアニューギニア、そして日本。日本の神話に秘められた大きな謎を解き明かすために北村皆雄監督が五年の歳月をかけて完成させたドキュメンタリー映画です。
「衣・食・住」の中の「始めに”衣”を造る手立てであった”紙から布へ”」と繋がる歴史は実に面白い世界だと識る素敵な映画でした。しかし、私の「何故 梶の葉なのか?」の疑問はまだ謎のままです。
この映画の監督・製作は私の大親友、阿部櫻子ことチャックの元上司・職場。映画上映中、チャックのギャラリー「ディープダン」でこの映画に出てくる布が三日間限りで展示されていた。そのご縁でこの映画に出演していた “紙を糸にして布を織る作家” の妹尾さんとチャックと一緒に “中国少数民族の衣装とアフリカのクバ王国の布のコレクターでギャラリスト” の梅田さんのギャラリー兼、別荘がある茨城 笠間(友部)へ、「今年5月に開催された『アフリカ クバ王国の布展』の展示をまだ観ることが出来る」というので行くことに。
車窓からは蓮(蓮根用)畑が一面!

都内から1時間半でこんなに素敵なところへ来られるのね〜
梅田さんのギャラリーのすぐ下には魯山人の別荘が移築された「春風萬里荘」がある素敵な一軒家。
『ここはパラシュートで落ちて偶然見つけたような土地なのよ』と、(80歳にはとてもみえない)チャーミングに語る梅田さん。
アフリカ・クバ王国の布への熱い解説をしていただきながら拝見できた幸せな時空間。



ちなみにアフリカのクバ王国の布も、ラフィア椰子の木の繊維でできた樹皮だった。
『この布の模様、私たちには不思議な幾何学模様に見えるけれど、実は調べてみると顕微鏡で見た人間の細胞の形とそっくりだと分かったの。きっと、彼らにはそれがみえるのだろうと想像出来るわよね』との話に深く腑に落ちる私たち。

きっと現代の文明社会では忘れられてしまった「見えないけど大切な なにか」がまだ生きているのだろう。自然と共に生きている人の想いを感じ、布フェチな私としてもとても興味深かった。
なにより “自分が好きなことを追求し続けてることを貫き通している方々” の語る言葉は一つひとつが優しく重い。
梅田さんのギャラリーの脇にも気がつけば梶の木らしいものが生えているという。映画に出演していた妹尾さんが目をキラキラさせて『私、梶の木などの見分けの目はこの映画でかなり肥えましたから』と見に行く。

梶の木も楮もヒメ楮も同じクワ科の血縁仲間。パッと見た目では良くわからないが、梶の葉の裏は、毳毳(けばけば)しているので触ると良くわかるそう。梅田さんの家の木はヒメ楮でしたが、葉の形は梶の葉と変わらなかった。

40年位前から中国少数民族などの古い服や布が大好きで収集している梅田さんは、偶然この笠間の土地と出会ったと言うが『倭文‥』の映画にあったようにこの常陸の土地は織物の神と星の神が戦った神話にある石井神社が直ぐ近くにあり、やはりこれは”縁”に導かれたとしか思えない?
映画で日立市の大甕(おおみかみ)神社が撮影されていた理由が少しずつ解かれていくようなワクワク感!早速、皆で石井神社へお詣りに。

石井神社の御祭神は健葉槌命(たけはつちのみこと)。日本書紀などに「開拓(武運)の神」と記述がある。健葉槌命は、倭文の里(那珂市)で倭文織(しずおり)・機織りを伝えていた神、産業の神としても信仰されている。
そして、石井神社がここへ鎮座した由来が書いてありました!

『神代の昔、天つ神が豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)を平定する際に、この地方を支配していた天甕星(あめのみかぼし)・香々背男(かかせお)だけが従わず、討伐に派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)経津主神(ふつぬしのかみ)に対して、巨大な石となり抵抗した。二神の命をうけたここ石井神社の御祭神、織物の神である倭文神・健葉槌命は、久慈郡・大甕(おおみかみ)の山でその巨石を蹴り飛ばし、天甕星を退治した。割れて三方向に飛んだ石の一つが石井の地に落ち、天甕星の祟りを恐れて倭文神・健葉槌命をお祀りした。』
そう。この落ちた石が祀られているのが、布コレクター梅田さんが偶然見つけたギャラリーのすぐそばの石神神社、なのです!偶然ではなく、引く寄せられたのでは?
神話のロマンに心踊る私たち。
沢山素敵なエネルギーをいただき、ご縁に感謝。来訪を約束し、ギャラリーを後にした。
帰り道、「何故 “梶の葉” なのか?」の謎がまだ解けない私に、”映画監督” チャックが持論を話してくれた。
『綿や絹が生まれる以前、楮や梶の木を剥いで採れる繊維はとても貴重だった。その剥いだ繊維を砧のような道具で叩き柔らかくし、細く頑丈な糸を作り、染める布に加工するまでの技術は、今の時代でいうIT技術やA.I.のようなものだった。だから布をを持った者がその時代、権力を持ち、その地を支配していたのだろう。布を作るという技術は、その時代の先端の技術だった。
いつの時代も先端を征する者が強いとされるのだ。今ならGoogle?これからはA.I.とかか? その神様たちが、倒されたのは、布より新しい鉄などの技術が現れたせい』と、チャックは説明した。
映画の中のラストシーンで踊る人たちが、大甕神社の神話を抽象的に表現していたのだと、チャック先生のお陰で整理ができました。
流石です!チャック監督!!
五節句の中の四番目の「七夕」という行事。何故か昔からとても興味が湧いて仕方がなかった。今回、今までと違う視線で学べたことをとても嬉しく思う。また今後も沢山の気づきがあるだろう。楽しみで仕方ないです。
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令和6(2024)年「朝茶」茶事報告
令和6(2024)年に蓮心庵で開催した「朝茶」の茶事報告です。猛暑の候に、朝方の涼しい時間の茶の湯を愉しむ茶事です。7時半席入。朝茶はいつも「続き薄」のスタイルです。
玄関に、短冊 『澗水湛如藍(かんすい たたえて あいの ごとし)』
十二代 兼中斎筆です。

この句は、『山花開似錦 (さんが ひらいて にしきに にたり)』
春の山は気が満ちて吉野の春景色を美しい、また春が過ぎれば 山は緑に覆われて、まるで錦のよう。という意味の句に続いて、
『澗水湛如藍 (かんすい たたえて あいの ごとし)』
谷川の水は 青々として 淵いっぱいに 藍のように湛えて流れゆく。という何とも素晴らしい自然の風光が浮かぶ詩文の名句です。
しかしこの句は単なる景色を叙した詩句の意味だけではありません。
実は『碧巖禄 (へきがんろく)』の第八十二則にある大龍智洪 (だいりゅう ちこう)の公案で、
『僧、大龍に問う 色身(しきしん)は敗壊(はいえ)す、如何なるか是れ堅固法身。龍(大龍)曰く、山花開いて錦に似たり 、澗水湛えて藍の如し。』です。
修行中の僧が大龍に『私たちのこの肉体と精神からなる現身(うつしみ)は死ねば直(じ)きに腐敗し、焼けば灰になってきまいましすが、金剛不滅といわれる堅固法身(法身仏のような清浄無垢で不生不滅)は、その場合どうなるのでしょうか』と、問いたことに答えたのがこの句なのです。
大龍和尚は、この修行中の僧は「金剛不滅といわれる堅固法身」の意味をまだ深く理解していないとみて、『今、美しく咲きにおうているが、一夜の嵐に吹きちってしまうあの山桜が、そのまま堅固法身の当体じゃぞ』と、示したのです。
深い公案なので解説するのは難しいのですが、わたしには「一瞬として同じ姿でとどまることのない大自然の営みのなかの美こそ、私たちと同じ生きている命の姿なのだ」と、云われているように感じました。
私たちも、大自然の営みも一瞬として同じ姿でではない。今日の日を一期一会の会にしたいとの想いをテーマに、この短冊からスタートです。
寄付の掛物は、大徳寺 立花大亀老師筆『滝』

煙草盆は 輪島櫛形 宗芳作。火入は青楽瓜形 和楽作
この酷暑の中、瀧が落ちてくる風景を想像して、少しでも凉を感じていただけたら。という想いと、「この瀧の水の流れと同じように、茶の湯の道は間断(かんだん)なく流れつづける」ことを感じていただきたいと選びました。
本席の掛物は、永源寺 (篠原)大雄老師筆
『朝看雲片々 暮聴水潺々(あしたにはみるくもへんぺん くれにはきくみずせんせん)』
朝、空を見上げ雲の片々を見、夕暮れに庵へ帰り谷から潺々と沸く水の音を聴く。山奥で暮らす理想郷を描いています。が… ここは茶人。「市中の山居」というように、たとえどんな環境にいても、この心境で暮らしたいものです。
この永源大雄老師の 托鉢へ行く修行僧の後ろ姿の画賛は、稽古を始めた頃、師匠宅で拝見し、とても感動し憧れていたので、長い間探し続けてようやく見つけました。

炭点前の炭斗は、菜籠。香合は、源氏蒔絵(観世水) 不窮斎(高野竹宗陵)作。
茶懐石の献立は、
飯物に、平目昆布寿司。白板昆布を甘酢で炊いてバッテラ寿司のように乗せました。自家製辣韮(らっきょう)を細かく刻んで混ぜ、辣韮の甘酢とレモン汁でスッキリしたシャリを作りました。茗荷酢漬と、京都産すぐきの漬物を添えて。
銘々皿は、だし巻玉子、琥珀寄せ(小倉・南瓜・人参・針生姜)、ミニトマトのお浸し、隠元の生湯葉巻、冬瓜葛煮、花蓮根、枝豆、高野産の水茄子、青楓生麩。兎に角、素材の味が引き立つよう心がけます。

皆さん、盛り付けの綺麗さにうっとり。しばし眺めていました(笑)
懐石のメインディッシュである煮物椀は、玉蜀黍豆腐に 蓴菜、苦瓜、青柚を添えて。

お口直しの小吸物は、シャインマスカットと向日葵の種。
八寸は、鱧の白焼と、薩摩芋の栂尾煮。日本酒を変えてマリアージュ。
皆さんの幸せそうなお顔から、見た目にも、お口にも五感で味わえたことが伺えます。
茶懐石の最後は、主菓子。亀谷万年堂製の「岩清水」です。岩の間から湧き出る澄んだ水を表現しています。掛物の中から出て来たようだと感じていただけると嬉しいのですが… 。
主菓子をいただいた後、露地へ移ります。露地には足元の苔にも、木々の葉にも打ち水がされていて次の間へ移る前のひとときを心静かに過ごしていただけたと思います。残念ながら今年は写真を撮りそびれてしまいました(涙)
亭主の喚鐘の音を合図に、後座へ席入りします。

後座の室礼を拝見します。
風炉先 腰地 網代 兼中斎花押
風炉釜 宗心花押 松竹文真形釜 十二代 加藤忠三郎作
利休形 真塗長板
水指 高取 十四代 (亀井)味楽 蓋 塗師 鈴木表朔
茶入 備前 小西陶古 仕服 円文白虎朱雀錦
今年は二日間とも桔梗朝顔が咲いてくれました。これは奇跡です!花入れは、瓢箪。
いよいよ茶事の目的である お濃茶です。今年初めて、楽茶碗をお披露目しました。
茶杓 大綱和尚「引く人も引かるる人も水の泡 浮世なりけり淀の川舟」(大徳寺黄梅院の大綱宗彦の詩) 三玄院 藤井誠堂老師のお手作り
茶碗 十四代 楽吉左衛門 覚入 黒 銘「永寿」十三代 即中斎箱
替 蛍狩 清流之絵 平 尋牛斎画賛
茶器 琉球螺鈿 中次
建水 鉄黒様 弥三郎
蓋置 表千家好 竹 一双の内
御濃茶 猶有斎好 特別挽上 楽寿の昔 柳櫻園詰
干菓子を出して、続いて薄茶も召し上がって頂きます。
御薄茶 而妙斎好 栂尾の昔 祇園辻利詰
御干菓子 薄琥珀朝顔の花 味噌煎餅 垣根の絵 亀谷万年堂
御干菓子 象彦
京都限定の「夏越し川」という御干菓子を戴いたので蒼いガラスの器に載せて頂きました。ありがとう!Yurikoさん^^
煙草盆 即中斎好 一閑 鱗透溜 五代 (川端)近左作
火入 祥瑞
莨入 琉球
きせる 如心斎好 二代 清五郎
無事にお開きになったのは11時半前。あっという間でした。
ダイナミックに刻々と移り変わる大自然の営みを想像し感じていただき、皆さんに「山里の茶室」の茶境を味わっていただけたら、とのテーマを元に玄関の句から始まった今年の朝茶。皆さん、茶事に慣れてきたとこもあり、朝茶らしくサラッと短時間ながらも、ギュっと茶の湯の醍醐味が濃縮された素敵な茶事となりました。
半東の皆さんは、滝のような汗を流しながら良く、よく頑張りました。数ヶ月前からの露地の手入れ、繰り返した試作などの準備から本当にお疲れ様。私は皆さんを本当に誇りに思います。ありがとう。
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令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室、3年次 2期 7月の報告
令和6年、京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室 3年次 2期 7月の報告です。今期は 清祥会支部が主管する池坊巡回講座と日程が重なったので、初日から参加することができず、3日目からの授業でした。
初日は、初伝七種傳のひとつ「牽牛花(けんぎゅうか)」朝顔のことです。
“当意即妙の代表” と云われています。蔓物なので、垂れる性質を生かして向掛、横掛、釣船、二重切の上の重などにいけます。私は船の花器へ生けました。


蕾は真か副に使うのがよい。
古く万葉の時代には桔梗のことを朝顔といっていて、平安時代の頃から今の朝顔となったそうです。
花は早朝に咲いて午後にはしぼむ 命の短さを思うと はかないともみられますが、朝な朝なに花を咲きかえる新鮮な輝きをめでて 格別の祝儀席には生けないそうですが、普通の祝儀花として生けて良いとされています。
『朝な朝なに咲きかえて…』とは、浮き世の移り変わりの無情感をも感じますが、「開花より蕾」 “今日より明日” という人の想いが素敵ですね。
牽牛花の蔓は “左巻き”と、知っていますか? 面白いですね。蔓ものの植物は自身で自立できないので、何かに巻きついて成長します。その性状を生かして、竹の小枝か萩の枯れ枝などに 左巻きに纏(まと)いつけて扱います。
開花一輪、翌朝咲くべき蕾一輪を見せていけるのがよいとされ、開花を「躰」の部分に、蕾を適当に配します。
『前日に生けて夕方戸外で夜露に当てておくと、翌朝は葉も花を上向いて自然の理に合った出生通りに巻き伸びて、生き生きとした花の姿になっているので早朝 床の間に戻し入れて飾ると良い。』はい。本当にそうなのです!


茶道の朝茶事で朝顔を生けることはあっても、生花をで生けるのは初めて!憧れていたので 学べて嬉しかったです。朝茶の時の花にもするのですが、花入れに冷水を少し注いでおくと長持ちします。
2日目は「七夕七種」。
旧暦の七月七日の七夕の一日だけ許される変化形の生花です。(建前ではね^^)
奈良時代、万葉集で山上憶良が詠んだ和歌に『秋の野に 咲きたる花を指折り かき数振れば 七種の花』
『萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝顔の花』(前記の通り朝顔は桔梗)
やはり、この七種が理想です。穂がでたススキを「尾花(おばな)」と言い、七夕七種の生花にはこの「尾花」を生けます。

生け方は、真に「尾花」二本。葉を前後に振り出します。「萩」は後ろ、陽方の副に。この二つは垂れものです。通用(つうよう)ものでもあり、本数に規制はありません。
「女郎花」「藤袴」は似たような植物ですが 生きている世界で高さが少し違うので、それを表現するように中段に。女郎花はとても背が高い植物です。
躰は「撫子」か「桔梗」。
「朝顔」「葛」は、蔓もの。朝顔を使う場合は萩に纏わせたり、葛の先端を女郎花にかけたりして使うことが多いです。
置きいけに限り、花形は行。基本的には通常とら変わりなく、七種それぞれの風情の特徴を生かして、秋の気分をあらわし、趣き豊かにまとめます。
それにしても、京都で学ぶ花材(地下の花市さんが仕入れしてくださる)は、東京とは比べられぬほど全てが大ぶりで野趣味溢れていて、それらの植物を手に取り剪定しているだけで、大変勉強になります。
・・・
茶道や華道、能などを学んでいると、世界の中で、日本は特殊な芸術のセンスを持っているな、と つくづく感じます。
『日本の美のルーツは四つある』と、日本の免疫学者、東京大学名誉教授の多田富雄さんが書いておられると先生から教わりましたので、自分でも調べてみました。
まず一つには 『アミニズムの文化』
『自然崇拝、自然信仰である。日本では古来より絶対的な神は持たず、自然の中に無数の神を見つけ、それを敬ってきた。ゆえに日本では一神教は育たず、宗教対立で戦争を招くことはなかった。』
「八尾万(やおろうず)」の神を敬う多神教。
自然に思いをいたす、「自然崇拝・自然信仰」は、池坊の教えと同じですね。
二つ目は『豊かな象徴力』
『俳句や和歌は事実の記載ではなく、たった一言で世界を表現する。日本の芸術はこの象徴力のおかげで世界が尊敬する美を作り出した。能・歌舞伎や茶道・華道に至るまで豊な象徴力に支えられている。』
“リアリズムではない魅力” 。説明するのではなく表現する。他にも 俳句、和歌、狂言、歌舞伎 など。深い想像力が必要ですね。俳句も感情よりも季語が大切なところが面白いです。
西洋の芸術の成り立ちと違うな、と思うところは、日本では身分の高い方も芸を人生の傍において “道”として自分を高めていくために学んでいたところです。立花も天皇など地位が高い立場の方が池坊の坊主に習い立てていて、立花会点付けの会に天皇も参加し学んでいました。西洋で「立ち場が高い方が位の低い人から学んでいた」なんて話、聞いたことがありません。
やがて、力を持ってきた商人が立花(りっか)を略した生花(しょうか)を 床の間に生けられるようになります。
生花は立花のように華やかな姿ではありませんが、“数少なきはかえって趣き深し” と逆転の発想で、少ない種類の花でも品格があり、床の間に飾っても引けをとらない「型の美」を作り出したのです。
三つ目は『「あわれ」という美学』
『滅びゆくものに対する共感や弱者への慈悲など あわれなものへの思いが日本の美の要素になっている。強さ・偉大さ・権威などを価値とする外国とは異なる日本独自の価値観である。それは日本人の心の優しさ、美しさ、デリケートさの根源である。』
滅びゆく者への共感、人の世の無常、不完全な美。完全なものは壊れていく「もののあわれ」。思うようにならないものを笑ってしまう「おかしみ」…
日本は負けている方を応援する美学なのです。室町時代から戦国の影響で民衆が虐げられてきました。それが「人の世の無常」「もののあわれ」「不完全な美」の美学を生んだのです。私が能を学んで最初に知り、感動したのは「弱者が主人公」ということでした。
また桜の花びらが散るゆく姿、紅葉し朽ちていく美しさ、冬に葉が散る寂しさに美を感じるのは、実は日本独特の感性なのです。
そして、四つ目はそれらを技術的に包み込む『匠の技』
『美術はもちろん、詩歌や芸能でも細部まで突き詰める技の表現がある。「型」や「間」を重んじる独特の美学である。それはまた日本の優れた工業技術のルーツでもある。』
上記三つの日本の美学の特徴を、美術はもちろん、詩歌や芸能までも、細部まで突き詰め、技術的に包み表現する匠の技があります。
「型」「間」を重んじる独特の美学、優れた技術のルーツを日本人は持っています。
この四つの特徴が、日本の美しさを世界でも独自なものにしていてきたし、日本人の行動の規範にもなってきた。と書いていました。深くうなずけますね。
授業で先生が『キリスト教は「人は罪深いもの」という教えなので、教会で懺悔をしますが、日本人は懺悔しない。「それで良いんじゃない?」と肯定して生きていく。非常に変わっているよね。』と、笑っておっしゃっていましたが、本当ですね。こうしたお話を聞くとその歴史の違いが良くわかります。
最終日は新風体か三種生けかの自由選択でした。今回は「唐糸草(からいとそう)」を主役に生かしたかったので、同じ小さなピンク点が爽やかな花と合わせて ガラスの沓形花器に、新風体を生けました。二つともフワフワした花材(花の名前思いだし次第記入します)なので、黒い葉で作品の空気感をひき締めました。

「生花 新風体」は 専永宗匠より 1977(昭和32)年、① 生活環境の変化、② 花材の多様性、③ 自由と多様化を求める心 から発表されました。
発表される前までは、「現代生花・三種生け」と呼ばれていたそうです。
生花三種生けのスタートは、『違いのあるものを取り合わせる・それぞれが違うものの出会いの対比』から。
古くから伝承されているものも大切に伝承しながら、それと共に、時代の変化に適応した新たな風を入れて伝えられてゆくこと。伝統文化を学んでいると決して古いものを学んでいるのではなく、「いつも、“今” を学んでいる」という感覚を持ちます。“伝統とは今の積み重ね” なのだと実感します。
「型」はあっても命ある草木は一つとして同じ枝葉はなく、大切なのは個性を受け入れて 生かすことです。
『和をもって 尊しと成す』。聖徳太子が云われたと伝えられているこの言葉、実は『個性を持つそれぞれが、ぶつかり合える状況が発展的なのだ』という当時としてはかなり “新しい考え方” なのだそうです。素晴らしい!
実技に入る前に、先生から『新風体は、正風体からの制約が解かれて、色々自由が許されているけど、「今の私たちがどう感じるか」「違和感が無いようにすること」が大事』、また『挑戦しすぎると、崖から落ちるからあまり変わったことはしないほうが良い。』と、教わりました。
先生、私は「崖から落ちるかも… ってことに気づかず、気がついたら超えちゃってた(汗;)」ってタイプですが、大丈夫でしょうか… 笑
池坊の学びについて書きたいことは、まだまだ沢山ありますが、今回はここまでにします。
次回 3期は 10月中旬。11月は京都七夕華展があり、なんと私は生花教室の選抜席に選ばれました!古典立花の教室でも選抜席に出瓶させて頂きましたが、大変名誉なことでございます。はい、頑張ります。
日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.にアップしています。(個人的な投稿も。)↓
Instagram↓
ttps://www.instagram.com/sado_kado_ritsuko/
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子
令和6年5月 蓮心会京都ツアー、6月清祥会研究会の報告
年に 6〜7回は滞在している京都。沢山のご縁があるので、いつか蓮心会の社中と一緒に 京都旅行をしたいと思っていました。いつも京都で滞在先にしている友人が素敵なギャラリーに引っ越しをしたことを機に、初めて「蓮心会京都ツアー」を企画しました。
5月下旬、大阪で開かれた池坊全国大会へ社中一人と傍聴した後、一緒に京都へ移動し、翌日、社中4名と蓮心会京都支部長のAtsukoさん、そして京都の茶家へ嫁いだ Shioriさんと合流、私を入れて7名で決行しました。
先ず、表千家北山会館で「茶の湯への誘い展 茶の湯 小間と広間 – 風炉」を観覧しました。「風炉」の時期に取り合わされる小間と広間の道具の一例、不審庵と残月亭の起こし絵図、茶事で使われる喚鐘(かんしょう)や銅鑼(どら)、茶室を構成する要素のひとつである「畳」の制作道具や素材なども展示されていました。また千家十職の奥村吉兵衛の表具の技法や障子紙、襖紙の紹介されていました。さらに、不審庵模型への入席体験、そして今回新たに設置された組立式小間への席入りも楽しみました。

そのあと、大徳寺へ移動し「泉仙」大山院店にて精進料理の昼食を頂きます。
紫野・大本山 臨済宗大徳寺は、利休はじめ茶人が参禅し、茶の湯文化と とても縁が深いお寺です。丁度この時期に「本坊特別公開ツアー」が開催されているとの情報をShioriさんから頂いたので、初回はここ大徳寺をツアーの軸にしました。
大徳寺は鎌倉末期、宗峰妙超(大燈国師)が紫草の繁る洛北の野原に “大徳” という小庵を開創され、その後 花園・後醍醐天皇の帰依をうけ勅願所となり、嘉暦元年(1326)の法堂完成と同時に龍宝山大徳寺と命名されました。現在は22寺の塔頭と2寺の別院があります。

「本坊特別公開ツアー」の内容はボランティアのガイドさんと一緒に「伽藍特別公開」〜「三門・金毛閣(外観)」〜「仏殿」〜「法堂」で狩野探幽筆「雲竜図」〜「唐門」を巡るという内容です。
先ずは、大徳寺最古の建造物の一つで重要文化財の「金毛閣(三門・山門)」を訪ねました。ここは応仁の乱で焼失後、大徳寺中興の祖 一休禅師 の参徒で連歌師 宗長の寄進により一階を創建され、その60年後、利休によって現在の二階二層門となりました。楼上は(通常上がることは出来ない)広い一室で、釈迦如来像や利休寄進による羅漢像が安置されています。天井龍は長谷川等伯筆。この楼上に利休木造を置いたことから秀吉の逆鱗に触れ、利休切腹の因と云われています。当時の利休木造は、利休と一緒に六条河原に晒し首となり川に流されて消息不明となり、現在の像は裏千家にある立像画を元に造られたそうです。私は表千家の短期講習会へ参加した35年前にこの楼上を拝観させていただきました。説明を聞きながら昨日のことのようにその感動が甦りました。

国宝「方丈」の前の特別名勝庭園(前庭は天祐和尚・東庭は小堀遠州作)は修繕中でしたが、庭石が積み上げられている姿も珍しく貴重に拝見しました。この石は三波石といい、群馬県藤岡市周辺で産出される青緑色の結晶片岩だそうです。美しい白い縞が入っているものもあり、反射でキラっと光ります。
三門・仏殿・法堂などの伽藍が中国風なのに対し、方丈は一山住職の修行生活の場となっているようですが、大徳寺の方丈は特別に大燈国師の塔所雲門庵を中心としています。京都の豪商後藤益勝の寄進により再建され、襖絵八十四面は狩野探幽斎筆で、重要文化財です。また方丈前庭は天佑和尚、東庭は小堀遠州の作庭で特別名勝庭園になっています。
方丈を抜け、同じく重要文化財「法堂(はっとう)」へ向かいました。開山大燈国師三百年遠諱の際、江月和尚の勧化により小田原城主 稲葉正勝・正則父子の寄進によって再建され、当時の唐様の遺構として貴重な建物です。これも重要文化財、天井の「龍」は狩野探幽の若い時の筆になっています。真下で手を叩くと龍🐉の鳴き声がビリビリッと身体に響き降りてきて、沁み入りました🐲✨

ツアー最後は方丈前庭にある国宝「唐門」を尋ねました。村上周防守が聚楽第の遺構を譲り受け、明治になって明智門があった今の場所に移築されました。この唐門は彫刻や金具の豪華さ、豊富さに特徴があり、 日照東照宮の日暮門の模型となっています。あまりにも見事な門なので観ているうちに日が暮れてしまうから日暮門と名がついたとそうです。確かに、ずっと見上げていても見飽きることがありませんでした!
そして今回のメイン イベント! Shioriさんの縁で「瑞峰院」へ向かいました。
瑞峯院は室町時代の九州豊前豊後の領主、キリシタン大名大友宗麟公が、大燈国師に帰依し創建された寺です。「独坐庭」と言う枯山水、茶席の前に「閑眠庭」の庭があります。 茶室「餘慶庵」 は表千家八代目啐啄斎宗匠好みの席の写しになっています。六畳台目、次の間、八畳の下座床、廊下をへだてて四畳半向う切りの席があります。



今回は唯一現存する二畳待庵を、有志が集まり復元して建立された「平成待庵」を拝観します。 普段は席入りは出来ませんが特別に予約して、御住職のお話を聞きながらShioriさんが届けてくれた「聚楽」の主菓子とお抹茶を戴いた後、「平成待庵」を心おきなく見学することができました。

これだけ贅沢に見学してもまだ少しだけ時間があり、私が一番好きな塔頭「黄梅院」 も拝観することができました。


社中は「苔」に夢中!

わたしはこの「黄梅院」 の波型スライド杉木の窓が大好きです↓

上が閉じている時、下が開けた時。
帰り際に大徳寺の横、「松月」(味噌菓子“松風”で有名)で美味しい“福耳(松風の端)”も頂けて、無事、第一回蓮心会京都ツアーは大満足な一日となりました。
京都在住の方々の協力無しではここまで出来なかったと思います。深く感謝します!本当にありがとう。大事な宝物のような思い出となりました。
いつかまた、企画し開催したいと思っています。
この後 6月には、清祥会研究会が開催されました。今回のテーマは「立花・正風体」。池坊研修学院の秋野仁(しのぶ)特命教授から素晴らしい「道」の講義をしていただきました。大感動したので、ここへ記しておきます。
👇秋野先生の名言集👇
☆ やる気と根気に「なにくそ」という肥料を!
☆「型」があるものは意識しなくてもその型が出来るようになるまで稽古をし続けると「勘」が育まれる。余裕が生まれると「魂」が入れられる。
☆『人にほめられるような 大きな美しいはなではなく だれからも足をとめて 見られなくてもいい 本当の自分自身の花を 咲かせたらいいのだ それを神さま仏さまに 見てもらえばいいのだ』 (坂村真民さんの詩「小さな はな でいいのだ」)
☆「規矩性」と「自由性」の狭間に芸が生まれる。
☆ (何事も) 数多く失敗して 自分の”五感”を使い、感じて覚える‼️
日本の芸道、能・日本舞踊・茶道・歌舞伎・歌道など全てに通ずる「守 破 離」の世界、 心の修行、人間性を磨き、自分自身の人間形成を成形していく「道」。
死ぬまで修行できる「道」を持ているということは、とても幸せなことだと思うのです。人生がとても豊かに感じます。これは、お金では買えません。
“華道の勉強” というと、 “どう活けるか” などの技術論になりがちですが、一番大切なことは「技と心」・「道」の教えなのです。秋野先生、 深い講義をありがとうございました!

続いて京都池坊中央学園、生花教室の報告に続こうと思いましたが… 長くなるのでここで一旦報告を終えますね。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子
「ボンジュール現代文明」へ 花を生けました。
令和6(2024)年 4月中旬の週末、いつもお世話になっている京都在住の友人が、寺町にあるギャラリー「ボンジュール現代文明」のお家へ引越しすることになりました。京都中央研修学院の授業が終わったばかりでタイミングバッチリなので 勿論 引越しのお手伝いを。そして、引越し祝いに 🌸花をいけました🌸

ここ「ボンジュール現代文明」で去年2023年10月に私が華道稽古を開いた報告を、今年1月4日に投稿していますので記憶に新しいかと思います。
このギャラリー「ボンジュール現代文明」の住人ご夫婦とは 10年以上前に東京で 出会いました。ここへ引っ越すことになった京都在住の友人が紹介してくれた縁です。その時東京に住んでいた彼女は田無の私の教室へ華道を習いにくるようになり、京都へ戻るまで稽古は続きました。
建築家である彼女が ご主人のご実家である この築百年近い町屋を、彼女の手で完全リノベーションし、一階を様々なイベントを催すギャラリーとして運営しています。本当に全て素敵な空間なのです!
先ずは、玄関入ったところの大きな床の間に、ウエルカムフラワー🌸として桜をドーンと。山桜です。 額には『福は内 鬼は外』の言葉。

大きな陶器の花入に、山桜を抛げ入れました。

その横には、小さく白山吹と沖縄シャガ、そして河原撫子を。

奥の部屋の床の間には、山なしの枝だけを壺に抛げ入れ。

玄関横の道路側の窓の前に、山桜の傳花を籠に。

シルエットも素敵だけど電気をつけても良い感じ🌸


青磁のような綺麗な壺に、山吹や撫子などを抛げ入れます。
西洋の花でも、花と葉があれば「生花(しょうか)」になるのです。床の間の横の違い棚に。

実は私、この少し前に腰を痛めてしまったので、重い荷物を運ぶという大切な引越し作業ができず、出来ることといえば、引越し作業を手伝いする友人たちへ大量のおにぎりを作ったり、お留守番をしたり、荷物の指示を出したり、この花を生けることくらい。とほほ…
無事に作業終了後、いまだに薪で焚いている銭湯へGo! 見上げると桜の奥から満月が!笑って私たちを見守っているようです。

授業で勉強した花たちを思いっきり生かすことが出来とことに感謝🌸
この素敵なギャラリーで、いつか「華展」を開催することができたら なんて素敵なんでしょう?と、新たな夢も生まれます。笑~~
こんな素敵なお家に住める友人はとてもラッキー!そして、今後京都ライフをそこで過ごせる私もスペシャルラッキーなのです♡
で、まずは蓮心会の皆さんにこの場所を見てもらいたい。と、思いついたのが『蓮心会京都ツアー』。
はい。このツアーは 5月26日(日)に開催し、無事に楽しく大成功でした!この報告は、私のInstagramで報告しましたよ~~。
https://www.instagram.com/sado_kado_ritsuko/
第一回蓮心会京都ツアーです。よかったらご覧ください。
京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室 3年 4月一期報告
京都池坊中央研修学院 総合特別科、石渡雅史先生の生花研究室の三年目。一期 (4月8日〜12日) の報告です。
あっという間に三年目となる生花教室、今年一年しっかりと悔いなきよう学んでいきます。
1日目は、「生花別傳 二方面生花」。花材は、山茱萸。御玄猪に生けました。



「二方面生花」とは、一瓶の花器に正面でも、逆正面からでも成り立つ生花です。床の間ではなく、後ろからも観られる空間での表現方法で、古くは書院、また現代の洋室にも生かすことができます。基本一種、または二種で整えます。
真の向きは通常 副と向き合いますが、二方面では二方向に働けるように横に働きます。「 副の座」を働かすことが特徴的です。
これ以上は「秘事」なので、稽古でお伝えしますね~~
2日目は、「竹の花入 」(草の花形)、花材は自由。
ということで、私は「出船 」を 山茱萸で生けることにしました。


このblogでも報告しているように今年は「釣船」を徹底的に学んでいます。
軽い、手軽なもので “趣” を演出する。
一見簡単そうに見えるけれど、それがもの凄く難しい。
しかし それが、生花(しょうか)の醍醐味✨
Creating elegance with light, simple items.
It may look simple at first glance, but it’s actually incredibly difficult.
But that’s the joy of Ikebana Ikenobo✨
『植物と対話する』
いけばなの面白さは、その一言につきるのかもしれません。
私たち池坊人は『なぜ、花を生けるのか』を、いつも自分に問いています。
池坊の美の哲学は『枯れた姿も美しい』。
絶えず変化続ける 生きているものの 美しさ。
命が変化する姿をよく見つめ、変化し続ける草木の風興に 知と美を求める。
そう。人間は、考える生きもの。
専永宗匠のお父様、44世 専威宗匠のお言葉、
『華道の最終目的は、人生の陶冶(とうや)にある』。
ピンと来なかった皆さん、「陶冶」という言葉を調べてみてください。きっとよく理解できるのではないかと思います。
人生を「錬る」とは。なんと深い教えでしょう!
そして、「“美しい” を目指すのは人間のみ」という原点から考える 雅史先生の生花教室では一年目から、皆で考える ある“お題”があります。
そのお題とは、『 美しさとは…? 』です。
「池坊にとって “美しい” とは 何か」 。
思い返すと 2年前、一年目 授業の初日、先生から想像していなかったこのお題に 私たち生徒は一人ひとり順番に答えていきました。このお題、実は私も稽古を始めてから『なぜ、花を生けるのか』と自分自身に向けてずっと問うてきたことでもありました。
日々、そんな事をつらつらと考えながら過ごすことは楽しいことでもあります。
その授業の日の朝も、桜吹雪の中を歩いて学校へ行きました。桜吹雪が舞う中を歩くことはとても美しい景色と自分が一体になるようで、それはとても「幸せ」を感じる時間でした。
「美しいな…」と 自分が感じる とき は? 皆さんも考えてみてください。
「気持ちが安らいで、幸せだなぁ、」と心が豊かに感じるとき?
単純に夕焼け、蓮の花、星の輝き、朝日を観るときにも “美しい ! ” と感じますよね。
また、絵画や仏像など目の前で変化するものではなくとも、職人技を感じるものなどを見ても美しいと感じます。沢山の時に私たちは美しさに心が動きます。
三年目、三回目の同じこの課題に向き合った私。ひとつ閃いたことがありました。
それは、同じ風景・同じものでも、それを見るたびに思うことが少し違ったりする。 “私の心が変化している” ということに気が付いたのです。
それをその日の夜、先輩にお話したら『そうだね、美しさとは人が作るものだからね。』と。
講義の続きで「美しい」と「綺麗」とは違う。また「面白い」とも… と。はい。「美しさ」も奥が深いのです。
『花は新しい枝に咲く
新しい枝は古い幹より出る』
by あいだみつお
3日目は、傳花 五ヶ条「桜」
“Sakura” is one of the five traditional teachings.
吉野桜など山桜。Yoshino cherry blossoms and other wild cherry blossoms.
昨年に続き、2回目です。やはり、籠に合いますね。
This is my second time here, following last year.
They really go well with the baskets.
プロの大工職人のような道具を使用します。
It uses tools used by professional carpenters.


一つの命の生成発展の姿を捉える生花表現にあってこの伝花「桜」は、吉野山の景観表現となります。
自然界では山の麓から花が咲いていきますよね?山には赤松が多く、里には黒松が多い。老松が最も格好よく風情が見えるので望ましい。
「木物の花の王」です。
芽出たい祝賀に生けるが、 散りやすいので婚礼の席には不向き。華やかな花なので勿論 仏事には相応しくありまあせん。


室町時代から日本の「道」という考え方が生まれ、書院を飾る“表の花”である「立花」と同時期に“裏の花”として、「生花」の始まりとなる「抛入花」が生まれました。
その後、28世 専応宗匠から現在の45世 専永宗匠へと繋がる生花の歴史は “今”へ脈々と続いています。
『才能は“時間”』だと 先生は仰ります。
どれだけ、そのものに集中し 時間を費やしてきたか。
突然、絵や字・文章が上手くかけたり、歌や楽器で人を感動させたり、なにも勉強しないで東大へも入学出来ないことも同じ。
そして、『演じきることが大切』と。
『みんなは、もっと詩人にならなければならない。そうでなければ、ものごとは深まっていかない。自分の人生経験を総動員して。』
華道を学ぶということは、なんて人生を豊なものにしてくれることでしょう!
4日目は、「抛げ入 ・横掛け・向う掛」。これも各自、自由。
私は、一作目は 竹の一重切 (Single layer of bamboo)を置いて、白山吹 (White Yamabuki)の一種類を投げ入れに。

二作目は、浅間五郎助(六代の作) の花入に、白山吹と河原撫子の二種類をやはり抛げ入れで。

「抛げ入花」は、殆ど“茶花”と同じです。前に書いた“裏の花”ですね。あらためて「生花(いけばな)」が「生花(しょうか)」として成長したものになるまでの経由をなぞり、学ぶことができました。「又木配り(またぎくばり)」は優秀な花留めなんだなぁ…とも。
By learning this “Inserted flowers” process, we were able to trace and learn the process by which flowers grow into “Kado”.
[これは覚えておきたい歴代宗匠の生花(しょうか)のお話 ]↓
*40世 専定宗匠
生花の原型を定めた。1820年 専定自選の画集「挿花百規」
草木の生命が見せる姿勢 = “草木勝ち” (草木重視の考え方) 規矩性・陰陽二体
*41世 専明宗匠
専定が提唱した生花理論を大成。
「天・地・人」人中心の考え方 = 人が中心となる考え方。1843年「専定燕子花三十瓶之図」
*42世 専正宗匠
1904年「花の志雄理(しおり)」後の「華かがみ」(武藤松庵)。生花正風体の確立。
*45世 専永宗匠
1977年「生花新風体」発表。 40世専定宗匠の“草木勝ち”の考え方= 源流へ遡る。
専永宗匠の『人と同じじゃつまらないでしょう?』という言葉が聞こえてきそうです。
同じ1977年、今通っている京都中央研修学院が設立されました。
最終日の5日目。
「三種生け」
株分け Division←?
男株に、沖縄シャガ Okinawa Irisと 白山吹 White Yamabuki
女株に、河原撫子 Kawahara Nadeshiko

「生花三種生け」は 1957年頃より生けられるようになりますが、これは宗匠が発表させたのではなく、戦後の時代とともに自然発生的に生まれたものだそうです。
三種生けの「挿口の自由性」「水際の捉え方(生まれ育ちを問わない)」「変化形の活用」など
新しい世界の到来への可能性を感じワクワクします。
一種、二種を精進して自分の活路を見せていきたいです。
人は、『知性があるから遊ぶ。そしてその遊びは成長に必要』。
ゲームも難しいから夢中になるでしょ?
京都へ5日間連泊している私たちですが、朝から夜まで本当に勉強漬け。皆で『折角だから夜桜を観に行こう!』となり、授業が終わってから東寺へGo!

東寺は私の大好きなお寺のひとつ。
美しいものを五感で感じ、深呼吸をし、疲れが吹っ飛びました!
こうゆう心の遊びは本当に大切だとしみじみ痛感しました🌸 感謝です。
報告が長くなりました。来月7月には二期が始まりますのでこの辺で。
令和6年3月 池坊 京都 春の華展〜東京 上野華展と、茶道の報告
令和6年 3月上旬、靖国神社茶会が4年ぶりに開催され、師匠正子先生の大広間は ひな祭りの室礼が素晴らしく 無事社中で楽しく務めることができました。

そして次の週末、清祥会石渡雅史先生の研究会のすぐ後、3月15日から18日、池坊中央研修学院の「春の華展」が開催されました。石渡雅史先生「生花教室」の1年生と2年生、それぞれ池坊中央学院の各教室が一年の成果を発表する学院祭華展です。(昨年令和5年の春の華展の報告は昨年9月15日にレポートしました。)
石渡雅史先生の教室は去年同様、品があり格調高い作品ばかり!

准教授 石渡雅史先生の作品は、新風体を花配りで生けていらっしゃいました。

『姿勢』
数少ない枝によっていけあがる花
見る人の心に映るものは
生命を寿ぐ姿勢
姿から 所作から
思いは伝播してゆく
↑ 先生の作品のテーマに書かれていた文章、素敵です。
私の作品は 生花五箇条の一つ、「出船」。花材は連翹。

「生花五箇条」の一つに「出船・入船・泊船」があり、「出船」は漁に出港する祝いの花です。
練習を繰り返しましたが、なかなかに難しい…はい。
京都の華展の大きな楽しみは池坊専永宗匠、専好さまの作品が拝見できることです。↓

池坊専永宗匠の作品 前期は生花新風体、後期は立花新風体。専好さまの作品は立花新風体を白磁の花器にこみ藁で作品を発表なさっていました。
専永宗匠の花の前に座ると、疲れがふぅ〜っと、抜けるのが不思議です。
さあ、疲れが抜けたところで3月中旬、我が蓮心会の利休忌。

蓮心会の利休忌で「茶カブキ」を開催するのは、4年ぶり。
「茶カブキ」とは、如心斎が制定した七事式の一つで、二つの試みの茶を頂いた後に 本茶を三服いただき、茶名を当てる式法です。
五感を研ぎ澄まし、お濃茶を5服回しいただく式法。これは、鎌倉時代から流行した「闘茶(とうちゃ)」の流れからきたものです。
3服の抹茶の味を当てるのは、かなかに難しく水曜日も日曜日も、全て当てられた方は両日一人だけでした!
さて、恒例上野東京都美術館にて「池坊東京連合会華展」が3月21〜30日まで開催されました。2日づつ5次。蓮心会からは私の他に3名出瓶させて頂きました。
2次の23・24日は和歌子さんと勇さん。二人とも自由花。

↑作品の土台は椰子の乾燥素材で構成、それが「世界最古の船の形のようだ」と興味深い感想がありました。
同日、佐々木さんの小品自由花↓

黄色のガーベラが「元気」の象徴だそうです。『見てくださる方に元気と勇気を感じてもらえる作品にしたい』と頑張りました。
3次の25・26日、美礼さんは青年部席で、自由花。

グロリオーサの花とアスパラの葉を軽く生かします。
↑建築家ならではの視点で花材を生かしての製作です。
4次は私が特別席で生花三種生けで出瓶させて頂きましした。



東京清祥会の皆さんの作品が押し並べて素晴らしく、誇らしかったです。
清祥会支部長と、石渡雅史先生の自由花の作品が 特に感動したので投稿させて頂きます。
清祥会支部長、風間先生の作品。↓

石渡雅史先生のレリーフの自由花。↓

こうして無事、春の華展・上野の華展まで終わりました。
今年は 1月上旬 清祥会新年会の後すぐ京都の石渡先生の生花教室の学び、そして下旬に蓮心会「稽古初めの茶事(初釜)」、2月初旬は師匠宅茶事、中旬 清祥会青年部「立て花勉強会」、下旬は尚月会「能の発表会」、そして今回の報告へと続きました。
この数ヶ月は、怒涛の日々。Instagramへの投稿が精一杯、またパソコンとの連携が上手くいかずこのH.P.への投稿が止まっていたことに今頃気がつきました。
まだまだ報告したいことが沢山あります!続きをお楽しみに✨
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子
令和6 (2024)年「稽古初めの茶事」報告-[後編]
本年1月最終週末に開催した「稽古初めの茶事」の続きです。前編は玄関の短冊から寄り付き、露地から小間の室礼へ席入りし、炭点前と濃茶をいただいたところまででした。後編は濃茶の後、席改めのために一旦露地へ移り再び広間へ席入りしたところからです。
炭点前の後に茶事のメインである濃茶をいただいた後、ゆっくりと広間で茶懐石と薄茶を戴くこの「前茶」と呼ばれるスタイル。パァっと明るい室礼に変わるところが醍醐味です。

掛物は、建仁寺 小池心叟老師筆 (小池心叟老師は竹田益州老師に参禅し、白山道場開いた方です。)
『紅炉上一點雪(こうろじょういってんのゆき)』
川中島の戦いで上杉謙信が武田信玄に正に斬りつけたそのとき、『如何なるか是 剣刃上の事(刀で斬りつけられ、死が迫る心境はどうだ?)』と迫り、信玄はその時、刀を鉄扇で払い、『紅炉上一点雪 (熱い炉に落ちる雪のように、あれこれ物事を分別せずに運命に任せて生き切るのだ)!』と返した逸話でも有名。
赤くなった炉の上に、ハラハラと雪が舞い降りていく。熱風で融けてしまう一片もあれば、風に吹かれて炉を避けて地面に積もる一片もある。自然界の雪は、それらを狙って落ちるわけではない。
私たち人間は不安や後悔など妄想に絶えず振り回されてしまう生き物です。そんな念に修行を積むことで「生もなく死もない、執着もなく、恐怖もない」自分をつくっていくという中国 宋代の「碧巖録(へきがんろく)」の一説で『死に対する禅の答え』です。
昨年、大切な人との悲しい別れが続きました。そんな時、この一行から これからの自分の「生き方」を教えていただいた気がしたのです。
茶事では、自分で調べてくださいと伝えて多くを語りませんでした。皆さんは何を感じたでしょうか。
香合 フリフリ 紙釜敷シキテ 塗師 静峰
花入 青竹一重切 高野竹工花 梅、曙椿
茶懐石の献立は銘々皿に 真鯛昆布〆 穂紫蘇 山椒、慈姑、絹さや、
白和えは 菜花 下仁田葱 干し柿、黒豆松葉、金柑蜜煮、花弁百合根、海老芋。
飯物は、手鞠寿司。車海老 高菜 錦糸卵の三種


煮物椀 蟹湯葉真薯 鶯菜 京人参 柚子

焼物 鰆西京焼
漬物 沢庵 菜の花 しば漬
小吸物 松 の実 針生姜

八寸は、白魚筏焼松蓮根 木の芽
茶懐石の後、白湯をいただき、干菓子がだされ、お薄茶をいただききます。

炉縁 松葉散らし蒔絵 蒔絵師 香月
風炉先 腰金地 宗完花押棚
高麗卓 水指 染付 桶川 瓔珞文 西川徳泉作品
茶器 而妙斎好写 若松蒔絵平 村田宗覚作
茶杓 琉球
茶碗 黒 八事釜
替 辰 榊原勇一作
水注薬缶 腰黒 祥雲作即中斎好み
(この水指をようやく見つけたので初お披露目です!)
建水 而妙斎好 砂張 一ノ瀬宗也作
蓋置 染付七福絵 紀州焼葵窯 二代 竿川栖豊作 「那智黒釉」
干菓子 味噌煎餅 辰焼印 福寿草和三盆 亀谷萬年堂
干菓子器 瑞雲 象彦
御茶 而妙斎好 栂尾の昔 ぎおん辻利詰
煙莨盆 櫛形 一閑
煙莨入 杉木 高野竹工製
きせる 如心斎好 二代 清五郎
パンデミック中も休まず茶事を続けてきましたが、時間をかけないよう初釜も「続き薄茶」での開催でした。なのでこの「前茶」と呼ばれるスタイルは4年ぶり。「初めて」という生徒も半数位いました。茶懐石も4年前から各人へ銘々にしていますが、これはいつ戻せるのかなぁ?炊き立てご飯も4年作っていないと不安デス。
それししても今回の八寸「白魚筏焼」は、どうしても料理長の金子さんが作りたいと何度も試作を重ねたこだわりの逸品!

茶懐石を手伝ってくれた社中は『パクっと食べちゃわないで、十分味わってくださいね!』と念を入れていました。笑
一つひとつの素材そのものの味を最大限に引き出す術も整い、今年は特に全てにおいて完成度が高かったです。
最後に皆さんから頂いたお礼のお手紙からひとつ抜粋させていただき報告を終わります。(長文ですが許可を得てそのまま投稿させて頂きます〜 ^^;)
拝啓
梅の花がそろそろ花を咲かせる季節となりました。
あと一息で春本番です。
さて、先日は「稽古初め」の茶事にお招き下さいましてありがとうございました。
今回で何度目になるかわかりませんが いつも初めて招かれたような新鮮な気持ちで茶事に参加させて頂いています。
今回は久しぶりに衝立を立てて「小間」という小さな草庵のような茶室に見立てて濃茶を頂くスタイルがコロナ以降久しぶりに行われました。
茶事に招かれると、いつもこの「茶事」というものを 古の侍たちは、どう受け止めたのか、ここに何をみよう、感じようとしていたことに思いが至ってしまうのですが、最も大きく感じるのは、例えば、江戸時代は実際の大きな戦いのない時代になっていたものの、武士たちは常に帯刀して暮らし、茶室はその「刀」を置いて、人と人が向き合う空間であったということです。このことは「茶事」「茶室」を、「空間」を考える上で非常に大きなことだったのではないか、と思います。
帯刀する故に「侍」であった人たちが、それを持たずに会う場だったということは、人間そのものが、その人が持っているものが容赦なく見えてくるはずです。
こうゆうことから書き始めたのは、何と言っても今回が「小間」の空間で行われたのが印象的だったからです。
人と人との距離が狭く、空間はまさに参加した人たちの雰囲気や人柄で作られていました。人の思いや感じていることが、そのまま空間に流れ出して新たな空間を作っているような密な空間でした。
ふだん全く別な場所で異なる生き方をしている人たちが「小間」のような小さな空間で肩を寄せ合ってひとつの腕を回してお茶をのむということが特別と言わず何でしょう。不思議なことです。
この「空間」の共有と「茶碗」の共有。これを敢えて求めていくことの意味をどうしても考えたくなりました。
もうひとつ、このことを考える上でどうしても気になるのは、「武士の身体感」です。
武士としてきちんと鍛えていた人なら、私たちとは異なる身体感覚を持っていたと思います。
刀を扱うのに長けていたならば、自づと現代人と身体感覚は変わってくると思います。そういった身体に敏感な人たちが敢えて「小間」のような小さな空間で「空間」と「茶碗」を共有していたということは、私たちが先日、感じた以上の何らかの「交流」が かつては、茶事の場、茶室の中で行われていたのではないかと思うのです。神秘的なこととしてではなくて、日常的なこととして、です。
茶の文化が続いてきたということは、日本文化の核のような交流がそこで行われて来たのではないかと思います。
「美」「侘び」と言葉で表現され尽くせない何かが、そこにあったのではないか。実は今は、もうそこでは行われていたのではないか、そんな感じです。日本から消え去った文化がかつてそこにはあった。そんなことを考えるのも何か楽しくなる。「小間」という空間にはそんなちょっと興奮状態になってしまい色々妄想をしてしまいました。とにかく大変有難い機会を頂いたというのが、いちばん簡単な感想です。
あとは、高森先生が茶事で掛けられたお軸「東山水上行」「紅炉上一點雪」、美しい映像的な禅語で、心に残りました。「東山水上行」に関しては友人パルバティが同じようなことを話していたこと、さらに、インドの神様ハヌマーンが薬を採るために山をまるごと運んでくるのですが、そういった大きなスケールを見てうれしくなりました。逆に「紅炉上一點雪」の変幻自在振りな視点の変化も、この茶事になんとも言えない味わいを与えていたように思いました。私たちの一歩一歩がどこに向かっていようと一歩一歩行くしかないのだということを改めて感じさせてもらいました。
今回の懐石も大変おいしうございました。特にクワイとかユリネとかシンプルな煮物は存在感が素晴らしかった。
偶然か意図したものかは分かりませんが、クワイは芽が出ている姿が「芽出たい」のでお正月のオセチに食べるそうですが、今年の干支の甲辰の「甲」の字は田んぼから芽が出る姿が「甲」という字だと言われます。クワイと甲が「象徴」で同じような意味を持っているのも、あとから考えると何か示し合わせたようで面白い。
とにもかくにも、このような場を設けてくれている高森先生に心から感謝です。どれだけ準備が大変か、愛情がないとできないことで有難く感じています。
さらに、茶事の度に、七夕のように何度も社中の皆さんとお会いでき、場を共有できること、本当にありがとうございます。
細かいことを挙げると他にも色々書きたいのですが、書いていると春になりそうなので、この辺りで筆を置かせて頂きます。
本当に春を迎えるまであともう少しかかりそうです。どうぞご自愛下さい。
心から感謝を込めて、ありがとうございました。
敬具
2024年2月11日
便箋 8枚にびっしり書かれた御礼の手紙。ライブ感が半端じゃないでしょう?
私の親友、通称チャックさんからです。彼女は私の弟子ではありませんが、もう何十年も私が茶道華道に取り組む姿を見、茶事へ参加し応援してくれている心の友です。
参加した皆さんからそれぞれに素敵なお手紙をいただきました。手紙は本当に嬉しいです。私の何よりの宝✨です。
私が学んできた全てを、伝えていくことを改めて誓います。
ありがとうございました。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子