令和7年 蓮心庵「朝茶」報告:後半
令和7年 朝茶報告 (後半:続き薄茶〜道具紹介〜手紙抜粋〜まとめ)
ここからは 続き薄茶からお道具、そして皆さまのお声をまとめます。
続き薄茶とお道具
風炉先は兼中斎花押の腰地網代。
風炉釜は宗心花押「松竹文真形釜」(十二代加藤忠三郎作)。
水指は榊原勇一作の平水指。

今回の目玉のひとつは、煤竹の茶杓「節下皮めくれ」。竹を切った際の傷が長年燻されて味わいを帯びたものです。
銘を社中で考え、武田士功住職に箱書きをお願いする計画です!
どんな銘が生まれるか、楽しみでなりません。
茶入は、伊勢崎 満作 備前肩付。お仕服は青木間道。
茶碗は、14代 楽 吉右衛門 覚入 黒。銘「永寿」。(13代即中斎の箱書)。

薄茶は「続き薄茶」でさらりと。茶器は鎌倉彫、一見重厚に見える茶器ですが 手に取るととても軽く、繊細な菊彫の作品で蓋の裏に堀内宗完宗匠の花押があります。
替え茶碗は清流之絵の平。尋牛斎の書き付けがある共箱で、蓮心庵 夏の定番です。
建水は鉄黒様・引三郎作。
蓋置は榊原勇一さんの「宝尽くし」。今年の清祥会華展にいらして下さった時に直接いただいたお祝いの品で、皆さん大喜びでした。

平水指 蓋置 榊原勇一作 風炉先 兼中斎花押 腰地網代
濃茶は久しぶりに柳櫻園「祥雲の昔」、お干菓子の後の薄茶は「栂尾の昔」。

煙草盆は、溜一閑・鱗鶴透(近左作)、火入れは祥瑞、煙草入れは檀紙。如心斎好みのキセル。
この日のために梅雨前から庭の手入れや試作を繰り返し、皆で準備を重ねました。
当日は不思議なほどスムーズに流れ、4時間以内でゆったりと終えることができました。
親友で映画監督の櫻子が最終準備の金曜日から2泊3日で茶事の様子を撮影してくれました。どのような形になるのかは未定ですが、私たちにとって大切な記録となるでしょう。


皆さまからのお手紙
今回も皆さんからお礼のお手紙をいただきました。その一部を抜粋してご紹介いたします。
『夏の催しとして毎年、この山を登り切るような思いで、この季節を迎えております』と、前礼をくれた蓮心会料理長から、『少ない半東での御茶事はとても大変でしたが、Nさんと息を合わせながら、お互いが頼れること、敬うことが出来る仲間であることを、とても実感しました。自分のことばかりに精一杯であった時よりも、感じ取れる場所が少しだけ増えてきたようにも思えます。
今回は櫻子さんと、買い出しや仕込みにてインタビューを受けながら、改めて何故お茶を続けているのかを考えてみました。
何が起きてもやり遂げる。自分にとってのたくましい意志を育てているのだと思います。様々な目的に対しても、しっかりと向き合っていき、本気で自分の人生と対峙していけるという意味が込められていると思います。また 席入りでのお客様同士でも、同じ気持ちと思い、チームワークで楽しもうという皆様の心意気をとても強く感じました。先輩方が揃って参加できたことも嬉しく、先生がこの度のテーマに「仲間と語らうこと」をあげていただき、一番良い場面だったなぁと、色々なテーマのお茶事があると思いますが、自分としては一番好きなテーマでした。
この瞬間を永遠に続けたいと思うならば、自分自身がお茶を学び続け、自分でもお茶の機会を作り上げられるようになりたいと思いました。』 (S.K.さん)
『櫻子さんによる撮影も加わり 伝統とは何か 継承とは何かと自らを省みる良い機会ともなりました。(中略) 本席の掛物 山雲海月情は まさに 蓮心会の日頃の結晶のようなお言葉でした。善因善果を体現するかのように石渡先生からの教えが高森先生へと続き そこに高森先生の個性が加わって 素敵な社中が集い 良い気が満ちあふれているように感じます。私もまた お茶の素晴らしさを周囲へお伝えできるようお稽古を積み重ねて参りたいと存じます。』 (M.Y.さん)
『今回の茶事で一番思い出すのは 「お抹茶が格別に美味しかった!」という記憶です。あの時のお濃茶の味は衝撃的でした。たくさんの魅力的な情報の中で この一服のお茶が 確かに茶事のメインだと感じました。こんなお茶が点てられるようになりたい と 原点回帰に至った次第です。「青山元不動 白雲自去来」 どんな環境の中でも私らしくで良いのだ と 背中を押してくださるお言葉 先生が読んでくださり一層心に沁みました。
「山雲海月情」 蓮心庵に集まり協力して茶事を楽しめる仲間がいること 立ち返る場所があるということ それをつなぎ続けてくださる先生がいらっしゃることに 感謝いたします。』 (S.K.さん)
『改めて思うことは 茶道はチームワークだということです。亭主、客、半東がいて 皆で作り上げるということ。それが楽しいのだと思います。(中略)出会いというのは本当に不思議なものですね。高森先生と蓮心会の皆様と出会えたこと こうしてご一緒できることを嬉しく思います。本当にありがとうございます。まさに 山雲海月情 ですね。初めてお茶事に参加させていただいた時は 分からないことばかりで これからやっていけるのだろうか と思いましたが、今こうして楽しいと思えるようになったことが成長なのかと思います。
お茶室、玄関、露地、お道具、お懐石、お菓子 あらゆるものに心が込められていることが分かるようになりました。客と半東、両方の立場を経験させていただけるので 少しずつ見えるものが変わってきたことを実感しています。
生きていると色々なことがあります。会社で嫌なことがあったり、津波や地震などの災害に見舞われたり いつも平常心でいられたら どんなに良いでしょう。でも隠れて見えなくなっているだけで もともと本質は そこにあるのですね。表面の感情にふりまわされやすいですが少し立ち止まってみることは 生きにくために大切なことですね。
ただお点前を学ぶだけが茶道ではなくて、茶道を通して 自分はどう生きるのかを学んでいるのだと思います。これからも作動と共に生きていきたいと思っております(略)』 (N.K.さん)
『人生は長いようで、本当はあっという間で、日々、先生や社中の皆様にも色々な出来事が起こり、心がゆれる中でも、ひとつの事をたんたんと変わらず続けていくことを、何も変わらないように受け取り、受け入れてくださるのが蓮心会なのですね。そのありがたさを心より感じ、感謝しております。帰る場所があるというのは、支えになります。先生の今回のテーマが今の私の心境にとても刺さりました。きっと今日の朝茶の事は、一生忘れないと思います。
瀧から始まる室礼や、手間暇をかけた素晴らしいお料理、お互いを思い、さりげなく助けあう社中の皆様、そして、それら全ては先生のお人柄とご指導の賜だと思っております。』 (M.K.さん)
『ちょうど “雲収山岳青” という禅語を思い出しました。先生という太陽があらわれて 悩みや迷いという雲をけちらし、青い山岳という自分達社中のあるべき姿 本来の姿を表してくださる。
はたまた 青い山岳が先生で 自分達が 五里霧中でも くもりでも晴れでも ずっと 変わらずどっしりとそこにいてくださる
先生はずっとそんな存在で見守っていらっしゃるなと 日本昔ばなしのような世界を思い浮かべつつ 感謝の念に堪えません
自分自身が新緑 紅葉 雪山と ぐるぐる季節をめぐっても いつか どっしりとした 青い山になるよう精進いたします。』 (A.H.さん)
結びに
お手紙の一つひとつに、私の想いが深く伝わっていたことを感じ、感激しました。
社中や仲間のおかげで私は茶の道を歩み続けられています。
今回残念ながらご一緒できなかった方も、心は確かにこの場にありました。
櫻子、記録を残してくれてありがとう。
そしてご参加くださった皆さま、支えてくださった皆さまに心より感謝を込めて――。
これからも季節ごとの行事や茶事を大切に続けてまいります。
どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子
令和7年 蓮心庵「朝茶」報告:前半
令和7年 朝茶報告 (前半:玄関〜本席〜懐石・菓子〜外腰掛け〜花)
残暑お見舞い申し上げます。
7月最終の週末、蓮心庵にて夏の茶事「朝茶」を無事に開催いたしました。
今年も本当に暑い7月でしたが、8月も半ばを迎えた今思い返すと、あの頃の方がまだマシだったかも…と思うほどの暑さですね。
ご参加くださった皆さま、そして準備に尽力してくれた社中に、心より感謝申し上げます。
ようやく一段落しましたので、取り急ぎご報告いたします。
(この記事は 前半 です。後半は「続き薄茶」から「皆さまのお声」までをまとめていますので、近日中に公開いたします。)
玄関
尋牛斎宗匠の短冊 「青山元不動」。
青山元不動 白雲自去来
(せいざん もとを うごかず はくうん おのずからから きょらいす)
〈五灯会元〉
“ いつでも何をするにしても 万緑万境(周囲の色々な現象)に心をとらわれて右往左往することなく 泰然として我が道を貫き通しなさい ”
今年は、いまの自分に刺さる言葉から始めてみました。

寄付
立花大亀老師筆「瀧」の掛物を。滝の飛沫を浴びていただくような気持ちで。
煙草盆 手付桶 火入れ 青楽木瓜。
本席
掛物は、「山雲海月情」(碧厳録)。而妙斎宗匠筆、即中斎箱書き。
語(かたり)尽くす 山雲(さんうん)海月(かいげつ)の情 〈碧眼録〉
“ 山・雲・海・月の情心、即ち一切の心のことで、親しきもの同士が胸中の心情、境地、心境のありったけを、お互いの腹の底まで包み隠すことなく、あらいざらいに打ち解けあい語り合う ” という意味だそうです。

実際に言葉を交わす というより、茶事においての一体感を表すもの。今回のお客様を思い浮かべ、迷わずこれに決めました。
炭斗は菜籠。香合は京都高野竹工さんの名工・不窮斎作、「月に萩」。
万年山こと相国寺の古材で作られ、有馬頼底老師の花押があります。
茶懐石と菓子7時半に席入りした朝茶。炭点前が終わる8時半前頃、濃茶の前に一汁二菜の茶懐石を召し上がっていただきます。


相変わらず、蓮心庵の懐石は一品一品が美味しすぎる。「手間ひま」しか、かけていません(笑)。

主菓子は亀屋万年堂さんへ特注。練り切りの「朝顔」。
『 2・3粒の寒天の水滴で演出するなんて、繊細な日本文化が誇らしくさえ感じました。暑いと一刀両断するのではなく、その中でも涼を工夫する、見つけるセンサーを持つ。夏の過ごし方のみならず、人生を幸せに生きる為の工夫にも通じる学びです。』 (M.S.さん)
お菓子を召し上がったら外腰掛けへ。

(M.Eさんのお手紙より)
『蝉の声がすっと静けさを縫うように響いたあの朝、炭点前が始まり空間がふわりと動き出した空気感は今も心に残っております。その後に拝見した蝉の花入の意匠の美しさに深く心を打たれました。また、腰掛けでは思いのほか暑さも和らぎ、雲が日陰をつくってくれたことにささやかなやさしさを感じました。その時そっと姿を見せた小さなヤモリも印象的でした。「家を守る」と書くおり どこか静かに私たちを見守ってくれているようであたたかな気配を感じるひとときとなりました。』
花
蝉籠に花を。毎年育てている朝顔は当日咲いてくれましたが、開きすぎて持ちそうになく…。
実は「今年はこれを」と思い描いていた花があり、前日に茶花店へ行くと奇跡的に出会えました。

「河原撫子」です。干菓子もそれに合わせて注文。庭の「姫矢筈ススキ」と「岡虎の尾」を取り合わせました。
報告が長くなりましたので、続きは後半の記事でお届けします。
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蓮心会 高森 梨津子
令和7年 蓮心庵「初釜(春の茶事)」報告
前回のblogに記載通り、2月末の「尚月会 十周年記念能会」と、3月中旬〜下旬の「池坊春の華展」・「池坊東京連合会支部華展」が開催された間の、3月8・9日に蓮心庵にて「春の茶事」を開催しました。
実は、蓮心庵で 3月に初釜を開くのは 2回目のことで、15年前の平成22(2010)年、庭の梅の木が満開になる頃「梅見の茶事」として開催しています。
今年は「雛祭り」をテーマにしました。
玄関は 而妙斎筆の「緑生春深」の短冊、そして雛人形がお出迎え。

今は亡き母の手作りの雛人形。母がパンを捏ねて制作したもので 私のお気に入りです。
後で登場する主菓子の「引きちぎり」は、雛祭りの定番。蓬が香ります。
寄付きは、玄関の雛人形がモデルになったような色紙で「桃花笑春風」、玉林院(洞雲)画賛。
白湯を召し上がっていただいた後、露地に移っていただき「迎えつけ」。これから始まる茶事への緊張のオープニングです。二日間とも穏やかな天候で気持ちの良い幕上げでした。
本席は「東山水上行(とうざんすいじょうこう)」、瑞龍山雲澤禅寺 足立泰道筆。
精神的に強い揺らぎを感じた時に励みとなってくれた禅語です。
雲門禅師が弟子の僧に『如何なるか、是れ諸物出身の処(悟りの境界とはどうゆうものでしょうか)。』と問われたとき、『東山水上行(山が 水の上を流れていく)。』と、答えたというこの言葉。
「動かざること山の如し」と習ってきた我々です。風や雨がどんなに強く吹こうが、動じることなく堂々たる姿の象徴とされていた 山が、「動かないはずの山が、川の上を流れる」って、どうゆうこと?!ですよね。
川の水は高いところから いかなる障害があろうとも無心に流れ、時には岩をも削り取るほどの大きな力を発揮して大海へと流れていきます。
「動くもの」と「静なるもの」。「天」と「地」。「自己」と「無心」。
この言葉は「自分の意識分別を断ち切ること」を教えてくれている。とのことで、自分を没入し去って「山を見るときは山」に、「川を見るときは川に」なりきってこそ、本当に川を知り、山を知る人になるという「悟りの境地」を解われています。
茶道を学び 禅語を知るなかで年々、自分自身の体験を重ね、この言葉の意味を実感するようになりました。
初釜は「前茶」スタイルでゆっくりしていただくので、炭点前のあと、前述の主菓子を召し上がっていただき、露路へ移ります。

釜:浜松真成、勘渓作。 炉縁:黒柿。
炭取:一閑 神折敷。 羽根:黒鷲。 香合:巳、和楽。
香合を拝見した後頃合いを見て 亭主は銅鑼を打ち、後座へ誘います。

整えられ、たっぷりと水が打たれている露地に心が清らかになります。
毎年京都 高野竹工さんへ注文する青竹。今年もスタイリッシュで素敵な花入を製作してくださいました。光るような青竹に、花がとても引き立ちます。
花は、姫日向水木と貝母百合。
台目棚に火襷の水指。 茶入:膳所 陽炎園 肩付。 茶杓:丹頂 宗完筒箱共。

茶碗:嶋台。 出帛紗:騎羊人物椿梅折枝文様金蘭
お濃茶:猶々斎好特別引上「楽寿の昔」柳桜園詰
小間での炭点前と御濃茶の後、再び露地へ移っていただき、室礼を8畳の広間に変えます。
初釜らしい華やぎを感じていただけたら嬉しいです。
掛物:宙宝和尚一行 「雲収山嶽青(くもおさまりてさんがくあおし)」

炉縁:唐松 川瀬表完作 風炉先:有馬頼亭自画讃花押 銀閣寺古材 曳舟
棚:及台子に、紫交趾 青海波の皆具
茶器:扇蒔絵大棗 一光作 茶杓:宗也筒箱共 銘「千草」菊蒔絵溜

花入:曜変祥瑞 六代 五郎助 花:白桃、卜伴椿、白初雁
香合:青貝 紙釜敷シキテ この青貝の香合は、以前一緒に稽古をしていた兄弟弟子さんの手作り。和紙を貼り定家の和歌が書かれています。
茶碗:大樋 九代 長左衛門 替 伊羅保 榊原勇一作 千羽鶴 陽炎園 他
江戸時代後期、大徳寺418世住職であり同時に相国寺派の管長兼任なさった宙宝宗宇(そうう)禅師は、松月老人と云う号でも知られる とても有名な方です。
書かれている通りの自然界の美しい光景「雲が晴れて山々が青々と見える」その様子を表しているのと同時に、「人の持つ煩悩が浄化され、仏性が明らかになる」という “悟り” の境地を象徴していると解釈されています。
何はともあれ、
この「雲収山嶽青」の字の、なんと迷いのない心清らかなことか!
さて。
美味しすぎるのが難点の蓮心庵の茶懐石を召し上がれ~~(笑)
今年から本格的にコロナ対応の銘銘皿を止め、本来のスタイルに戻します。ご飯を「炊き立て」「蒸らし直後」「蒸らしたご飯」と三段階で召し上がっていただきます。約5年ぶりなので、これが一番緊張しました。

向付:細魚昆布締 菜種まぶし 山葵 海苔ゼリー
汁:合わせ味噌仕立て 辛子 桜麩
煮物椀:蛤真薯 京人参 菜花 灰干し若布
焼物:鰆 蕗味噌
炊合せ:鯛の子、鶏丸、蕨、巻湯葉
強肴:空豆、車海老、白桃 白和え
小吸物:土筆 梅
八寸:蛍烏賊 桃蓮根
白湯の後は、お漬物でお茶漬け。 以上
茶懐石の後、名残りを惜しんで 薄茶を点てます。

干菓子:味噌合わせ 立雛 蕨 末富製 御薄茶:栂尾の昔 ぎおん 辻利詰
庭の梅の花が喜んでいる様子、伝わりますでしょうか?
11時に席入りした会も、15時半にはお開きとなります。あっという間ですね。
亭主は余情残心。黙ってお見送りをします。
この時、実は「この日の数時間を振り返る」というより、「この会を企画し始めた瞬間から、今まで」を、そして「これからの課題」に直面する正に「余情と、残心」の時間、なのです。
今回は例年とは違う時期に初釜として「春の茶事」を開催しましたが、“春” を感じる茶事も、新鮮だったのではないでしょうか?
蓮心庵の茶事は、社中皆の協力あってで成り立っています。いわば皆 一人ひとりが「亭主」なのです。その裏方の活躍を少し紹介しましょう~~

今回は、「菜種まぶし」にする卵作りや、蛍烏賊の目玉、口、背骨をピンセットで丁寧に取ること、また 蛤真薯を大きめの貝に綺麗に盛り付けて仕上げる。などが難問だったかな? 花蓮根は先輩から伝授されて 皆さん上手です!

いつも茶懐石の準備と、露地、茶室などの掃除を一緒に頑張ってくれる、(自称) “無形文化財保持者”の蓮心会社中。感謝です!
こうして無事、素敵な初釜「春の茶事」が3月に収まりました。前述通り お陰さまでこの後、京都、東京で開催された華展に集中することができました。
3月に卒業旅行と称して奈良・京都を一人旅したり、4月にも京都旅、そして利休忌。仕事もとても忙しかったけれど、我ながら“本当に よくやった!自分☆” と言ってあげたい昨年秋から今までの私… でした。はい。
今は、7月末の「朝茶」に向けて準備を着々と始めています。お楽しみに!
日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.とInstagramにアップしています。
https://www.instagram.com/sado_kado_ritsuko/
ご覧になれるかな?
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子
令和7年「尚月会 十周年記念能会」と京都「池坊春の華展」と上野「池坊東京連合会支部華展」の報告
令和7(2025)年 2月23日(日)、水道橋の宝生能楽堂にて「尚月会十周年記念能会」が開催されました。能の先生である東川尚史先生の私たち生徒と、先生の能楽師繋がりの方々にもご協力もいただき、十周年に相応しい立派な会が開催されました。いらしてくださった方、誠にありがとうございました。
お陰様で無事に、素謡と仕舞とも「半蔀(はしとみ/はじとみ)」を納めることができました。

半蔀の仕舞は短く それほど難しくはないのですが、怒涛の日々に呑まれてしまい、稽古しても全く頭に入ってきませんでした。しかし華展が終わった途端、頭の中が冴え、明るく照らされたようにすんなり仕舞が入ってきたのが不思議でした。やはり自分のキャパを超えた忙しさだったのですね~~

自分の中では、80点位できたかな?と安堵していましたが、皆さんが撮影してくださった写真や動画をみると、自分の頭の中と全く違う。課題が山積みです!(↑写真の解像度が良くないですが、ご容赦ください。)
「半蔀」は、源氏物語の光源氏と夕顔の君の恋物語。京の五条あたりに住む身分もわからない、夕顔の花のように可憐なこの女性に源氏はいたく心引かれ、情熱的に愛します。しかしそれも束の間、連れ出した先で 夕顔は物の怪に取り殺され、短い恋は終わりを告げてしまうというお話。
能の「半蔀」は、その源氏と夕顔の恋物語を基としていますが、物語を描くよりも、夕顔の花そのものの可憐さに、はかなく逝った夕顔の君のイメージを重ね、花の精のような美しい夕顔を造形しています。「すべては僧の夢」。という結末につながる 幻のようなしっとりした優美さが際立つ能です。
私が仕舞を務めたのは「クセ」(曲の中心となる重要な段落)の部分で、光源氏に夕顔の花を差し上げるような動きもあり、ひたすら光源氏を慕う夕顔の一途な思いが凝縮された舞。ごくゆっくりと、静かに気品を持ってしっとり舞われる舞です。先生から『ひたすら上品に “ためる” 仕舞です。』と教わりました。
仕舞を習ううちに、私は刀などを持って暴れるカッコいい演目より、この「半蔀」や「燕子花」のような優美で静かな舞が好きなことに気が付きました。
自分のキャラクターとは違うところに惹かれるのでしょうか。。。それとも実はこれが私のキャラなのか?… 笑
蓮心会社中も久しぶりに三人揃っての連吟。

三人、無本で「枕慈童」を連吟。声も良く通り、長い演目を暗記し、堂々と謡う姿はとってもカッコ良かったです!
東川尚史先生は、4年前「重要無形文化財指定保持者」に認定されています。今回の舞台では、先生の一番弟子の二人が面(おもて)を着けて能(半能)をなさりました。これは なかなかできることではありません。皆さん一人ひとり、この会で何段階もステップアップできた気がします。本当に素晴らしかったです。おめでとうございました!
(時系列でいうとこの後、3月8・9日に「春の茶事」として蓮心庵茶事を開催しました。しかしこの報告は次回させていただきますね。)
3月15〜18日は、毎年京都中央研修学院で開催される「春の華展」「学園祭」とも呼ばれている華展です。石渡雅史先生の生花教室で出瓶させて頂きました。
私は、伝花「椿一輪生け」です。「向こう掛け」に生けました。

このblogの「2025年1月池坊中央研修学院、石渡雅史生花教室3年 4期報告」で詳しく伝花「椿一輪生け」を書いているので、ここでは割愛しますね。
1月はまだ花器が決まっていませんでしたが、直前に正子先生がお持ちの六代祥瑞窯、浅見五郎助さんの窯変花入に決まりました。白い椿が映えてとっても素敵です!浅見五郎助さんも奥様と会場へいらして下さり、とっても喜んでくださりました。

卓の中でも、掛けでも、基本は一緒です。究極の世界を堪能させて頂きました。
この一輪生けは、「能」の世界と似ているなぁ… 独りごち。
雅史先生の作品、新風体。木蓮とウンベラータ、そして黄花カタクリが可愛い!

石渡雅史先生の生花教室の作品です。

(華展会場の様子や他の方の作品は今年 4月9〜10日のInstagramにアップしています。)
石渡雅史先生の生花教室の作品は、皆さんの作品には品があり、凛としています。それも能と一緒で私の好きなところなのです。
やはり私は「品格」「凛」「優美」な人なのか、それともそれが「憧れ」なのか。(笑)
今年の能を初めて観にいらしてくれた生徒さんと後で話したときに、『先生のテーマは、まさに “美” ですね!』と云ってくれたことがずっと頭に残っています。それは確か、です。
春の華展の片付けをし、すぐに帰りましたがその直後、友人からT.V.の撮影補助の要請。スタジオでサリーをマネキンに着せたりアイロンかけたり、レイアウトを手伝ったりの一日仕事。こちらも華展で頭も気もHaiになっているので出来ましたが流石に疲れました~~. しかし、さすが一流のテレビ番組制作スタッフ群の動きは素晴らしかった。華展運営とまるで一緒!どの世界でも一流の働き方は気持ちがいいな、と感じました。
さて、3月21〜30日まで上野で開催される「東京支部連合会華展」。私の出瓶は1次の21・22日なので、20日が生け込み。
大体の構想は頭の中にはありましたし、練習もしました。しかし花は生き物。会場で受け取る花材を開けて「あら; どうしましょ」の連続なのです。
今年も昨年と同じ「生花三種生け・株分け」の指定席です。
「軽やかに」が私のテーマでした。

ベネチアンガラスの水盤に細かい白いしを張り、雪柳・琉球シャガを男株、女株にカトレアを生けました。
風にあそんで飛んでいってしまうほど軽やかに。そんなふうに感じていただけたたら幸せです。
社中の和歌子さんは 5次に立花新風体を出瓶しました。

華展は何度出瓶させていただいても慣れるということはありません。毎回真剣勝負です。しかし、一回でも多くその体験を重ねていると、確実に “腕” と “根性” は ついてきます。実はその “根性” の積み重ねこそが “道” に繋がっているのかもしれません。「好き」ならなんだかんだ言いながらも続けていけますからね。
そんな「好き」を見つけられたら、それは かけ甲斐のない「財産」なのでしょう。
私が長年経験してきて、人さまからみたら一見全く違う世界に思われがちな「ウインドサーフィン」「デザイン」「バレー(踊る)」などと、私が今 伝えている「茶道」「華道」の世界。実は、私の中ではちゃんとシンクロしているのです。
その話、いつか書きたいと思いつつ このblog書くだけでも日が暮れてしまう私です(涙;)
では、次は今年春の初釜の報告へ。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子
日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.にアップしています。(個人的な投稿も。)↓
Instagram↓
2025年 1月 池坊中央研修学院、石渡雅史生花教室 3年 4期報告
2025年の池坊中央研修学院 総合特別科、石渡雅史生花教室 3年目、 4期(1/20〜24)の報告です。
前回報告しました「東京清祥会支部華展」の最終日、全ての片付けを終え、その余韻を味わう時間も全くなくその足で新幹線に飛び乗り京都へ上京。はい。
雅史先生も90瓶の作品の監修をしてくださり、相当なお疲れだと思われますが 、翌日月曜朝、パリっと切り替えてそれを全く感じさせない表情で『おはようございます。』と授業が始まりました。先生もまだ我々と同じ「ハイ」状態なのかもしれません?笑 引き続き お花三昧の幸せな一週間が始まります。
どんなに疲れていても お花を生けると、元気になるのは不思議です。花の命に元気をいただいていることは間違いありません。
初日は「枝垂れ柳と椿」。大籠や薄端、御玄猪に生けることが多いです。

枝垂れ柳は、両方に垂れるので「両垂れ物」と呼ばれます。因みに「片垂れ物」は、山吹・萩などがあります。
柳は木物の扱いをするので、根締には椿・山茶花・菜花・水仙・寒菊、また小葉と共に蕗のとうなどをとり合わせます。
↑スッキリと生けあげましたが、花屋さんから入手した時はこんなに大きいのです↓ 私の身長の二倍はあります。

柳は一本で「真」「副」をつくります。どうしても付き枝で副がとれない時は2本まで許されます。『見立てる目』を持つことが一番重要です。
根締は、椿↓

根締の椿は、柳の「真」と向き合うように生けます。
2日目は「水仙」。“ 陰の花は水仙に限る” と言われ、初伝で許される七種伝の一つ。陰の季節とは、秋分から春分までのことを云います。なので、春分までは他の植物の根締には使えません。春分以降は残花となり、根締にも、また水仙の根締に金盞花を生けても構いません。
祝儀の花で、婚礼の席など特に改まった席に用います。
初伝の伝花として花形がしっかりと伝承されています。
しかし! 我々は 生花教室の三年生~~! 今までの学びの集大成としてこの「伝花」の「型」が出来る前、 45世 専定宗匠の水仙を学びます。
今の私たちは、水仙を生ける「正解」を知っています。専定さまが生きておられた時代から“今”までの間に、どんな軌跡があったのか。それを探る旅のような稽古です。先ずは、専定生花(下図)の真ん中の絵図を花配りで 寸胴花器へ。(右写真は横から撮影)

専定生花の絵図

花器を変えて、↑専定生花絵図の真ん中と、左の絵図を探ります。↓

専定宗匠の絵図は伝えられていますが、花留など詳しい記録はありません。なので「自分で考える。」それが先生からの今回のお題です。左は竹で前後2本で花留め、右は石で留めました。
古典立花も同じですが、その頃の宗匠や、生けた方々の時代や気持ちを想像して生けるのは、ゾクゾクする楽しさがあります。絵画や他の芸術の世界と同じですね。
水仙は婚礼の席に相応しいと学んでいたので、十数年前、茶道の生徒の結婚式に水仙の立花を生けたことを思い出しました。披露宴会場で水仙は輝き、新郎新婦を寿いでいました。水仙立花を生けるのは大変ではありますが、生ける間中、その上品な芳香に包まれ、とても癒されるので疲れを感じる事はありません。
また祝儀の席の一番に代表されるのが清祥会華展で出瓶させていただいた「松竹梅」です。「松竹梅」を三瓶並べて生けるときは、中央に松、向かって右に竹、向かって左に梅を並べます。ただし、竹は笹の葉が直ぐに乾燥してしまうので華展向きではないのです。
「万年青」も祝儀、特に婚礼に相応しいとされる植物です。万年青は、一年中緑を保つ常緑植物で、古い葉株の中から新しい葉が次々に生じ、共に生育するため、「万年も家が栄える」「相続が絶えず続く」との意味があるからです。
起源を調べてみると、江戸城の本丸が完成した慶長11年、三河の長嶋長兵衛という人が「天福の霊草」として家康へ献上したそうです。その後、徳川家が長く安泰であったことから、万年青は陰陽道で建築・転移に「吉」であるとされ、大名、旗本など武家をはじめ全国の町民にも広がり、現在も縁起の良い植物とされているそうです。
(余談ですが)私はスペインへ旅行した時、お世話になった友人のスペイン人宅の庭で万年青を見つけたのでその場で生けさせていただき、その由来を紹介しました。当然花入れや剣山などあるわけは無く、深めのお皿に石で固定させ生けました。とっても喜ばれ、その大きなお宅の全ての部屋にお花を生けて欲しいとリクエストされ、大きなお家の何倍も大きな庭に咲く花を好きに切り、各部屋を飾りました。厳しい環境の土地でない限り、植物は世界中に育っていますし、流通しています。どの国でも花を部屋の中に飾ることを楽しんでいますが、日本には花を生けることの意味や先人の想いまでをも受け継いでいる “花の文化” があることを知っていただくことができ、私も嬉しかったです。
中国では万年青の葉を熨斗の代わりに用いるそうで絹で万年青の形を作るとも。万年青の実のない時期には、仮の実を作ります。池坊の資料館で、珊瑚で作った万年青の実を見たことがあります。
では、反対に祝儀にN.G.な植物とは・・・
芍薬の花は、祝儀の花ですが、婚礼に限ってはN.G.。芍薬は素晴らしく美しい花ですが花びらが “はらはら”と散ります。「散る」「落ちる」「別れる」が連想されるものは縁起が悪いとされているからでしょう。山吹など、“実をつけないもの”もN.G.。日本人はそうしたことを とても大切にしますよね。また、婚礼には紫色は用いません。これは、古い時代の日本建築は室内照明が暗いからで、黄色か白が良いとされていました。
3日目は、1年生から3年生の全員、「梅」が課題です。
梅は池坊の“大道”。梅は「真」「行」「草」いずれの姿に生けることが出来、「どう生けても良い」ので “一番楽しい・美味しいところ”と先生は言います。だからこそ『生花(しょうか)って何なんだ?』を問われます。
池坊の教えに『定まりたる枝葉もなし』 とありますが、それは「決まりきった形や型にとらわれず、目の前の植物を尊重し相談して、その場に応じた姿を表現すのが大切にしなさい。」という意味。「型」は基本であり、覚えることも大切ですが、いつまでもそれに縛られてはいけない。それはあくまでも出発点だ。ということですね。
こうした池坊の学びと経験を積んでゆくと、創造性はもちろん、柔軟性も養われていくのです。それは どれだけ私の人生を助けてくれたか計り知れません。
梅には「瑞枝・寿枝(ズバエ)」と言われるまっすぐ上に向かって勢いよく伸びる緑の枝があり、その枝を「来年咲く“未来”の象徴」として「あしらい」に生けます。薄端へ生けました。

太い苔木は、副方をナタで削り配りに生けます。

梅も正式には三世を生けます。花がついた枝を「現在」、苔むした苔木を「過去」、次の年に伸びて花を咲かせるズバエは「未来」の象徴です。
我々池坊人は、ズバエを未来の象徴として寿ぎますが、植木屋さんにお聞きすると、この枝は「徒長枝(とちょうし)」と言い、選定するものだそうです。なるほど、確かに。
最終日は、自由研究か草の花形、又は学園祭に生ける花の試作。私は学園祭の試作として「椿一輪生け」を学びます。「椿一輪生け」も水仙と同じ、初伝で許される七種伝の一つです。
最小、極小の花枝で、池坊の生花を完全に生け表した、代表的な花形です。

花が過ぎ実になるも落ちず、翌年の花が咲き実るまで実を保ち続け、同族の繁栄をはかる椿は、芽出たい限りで、祝儀の花とされます。
「椿一輪に自然界の営み・季節感や空間との調和・命の流れや空気の動きなど、全ての想い込める。」池坊の美意識をたった一輪の椿の花と、3枚半の葉で表現するという、池坊の教えの中で究極的に省略された美観の演出。極めて高度な精神性と技術を要する表現なのです。
専永宗匠が良く仰います。『花の向こうにある、見えない自然を感じさせなさい。』
たった一本の椿を生けるだけ…なのに、なんて奥深い世界なのでしょう。
私は、再来月3月に池坊中央学院で開かれる「春の華展」でこの「椿一輪生け」を「向こう掛け」生けることが決まっているので、しっかり学びます!
↓「椿一輪生け」を向こう掛けに生けます。まだ花器が決まっていまいので、仮に竹の器に生けてみました。三杯生けましたが、どれも満足出来ませんでした。

この「椿一輪生け」は、大抵、卓の内に生けることが多く、「掛け」に生けたものは今まで見たことがありませんでした。そこでもう一度伝書を読み直すと「掛けにもよし」とあります。今まで何度も伝書を読んでいたのに、全く気が付きませんでした。思い込みは良くないと改めて学びました。

三年間の授業が終了し、5日目は修了式。「蛍の光」は毎年歌うたびにウルウル(涙)してしまいます。「ありがとう。通わせてくれて。深く感謝します先生!三年間、しっかり学ぶことができて本当によかった。よくやった、自分!」ウルウル(涙・涙)
三年間、お世話になったお友達の家へ、恒例のお花のプレゼント。

梅の香りが部屋中に!

椿も喜んでいます。

長々と書きました。読んでくださった方、ありがとうございます。
2月末は、尚月会10周年記念能会。3月は春の茶事(初釜)、そして上野での東京連合会支部華展。そして、利休忌。
今年はいつもに増して充実した春〜〜。頑張ります!
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子
「東京清祥会支部設立25周年・石渡正子師卒寿記念華展」の報告
令和7年1月18日(土) 19日(日)、東京美術倶楽部にて、「東京清祥会支部設立25周年・石渡正子師卒寿記念華展」を開催しました。
コロナが流行る年の前の11月にホテルニューオータニで開催してから、5年ぶりの支部華展です。
東京美術倶楽部での支部華展開催は、三回目。この会場は江戸時代から代々続く美術商も所属し、日本の優れた美術品の保存・活用を行う施設。2階には本格的な日本庭園と茶室と100畳の和室があり、表千家や各流派の家元が初釜など正式な茶会を開く伝統と格式を誇る空間です。
一年前から企画に入り、この華展に向けて会員一同、真摯に花と向き合い、各自が出瓶したいと思う花の稽古に励みました。
参加者は総勢90名。その中で私の社中は私を含め9名、出瓶させて頂きました。

大きく4部屋あります。
下↓ 写真上段右が正子師匠の新風体立花の作品。中段は私たち石渡雅史先生の生花教室に通っている同期で床の間に、左は松竹梅の「松の真」、右は「梅の真」、真ん中は「枝垂れ柳と椿」を展示させていただきました。三段目左は風間支部長の古典立花、右が石渡雅史先生の生花新風体。

私をこの伝統文化の世界へ導いてくださった美佳さんも。

池坊専好さま、専宗さま、雅史学院長の三人揃っていらしてくださり、出瓶者一人ひとりにとても丁寧にご巡視くださいました。
会場は二日間で 約2千人のお客様で賑わいました。ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました!
蓮心会の皆さんの作品を紹介します。先ずは私から。
伝花「松竹梅」の「松真」を薄端花器へ。『松竹梅 生方之事』は、お許しの五箇条の伝書の一番初めに伝えられている生花です。

池坊の原典『専応口伝』の中に「専ら祝言に用べき事」の筆頭に挙げられているのが 松・竹・梅で、この三種が祝言第一の花材とされています。祝儀の席に最も相応しい取り合わせであるとともに、その生け方に特別な習いがあります。
松竹梅の生け方は立花の内容と相通づる感覚の上に構成されます。竹を水平に切るのは、“その先” があることを象徴しています。
家元で正月に開かれる初いけ式以外、一月に華展が開催されることは滅多にないと思うので、皆さんが松竹梅や枝垂れ柳と小菊などの作品を見る機会は少ないと思い、生花教室の同志でこの伝花にしようと決めました。
和歌子さん 「立花 新風体」。

薔薇を主にフィロレンドロン、リューココリーネ、青文字、ベロニカ、シーグレープ、エレンジューム、レッドウィロー、バーゼリア、沖縄シャガ。
亜希さん 「立て花」。

梅、沖縄シャガを主に桔梗口の花入へ。
佐々木さん 「生花 新風体」。

南天、梅の寿枝(ズバエ)と苔木、カトレア。
八幡さん 生花 三種生け。

石化柳、アレカヤシ、フリージア。
美礼さん 「自由花」。

流木を組み合わせて作り、五葉松、オンシジューム、水仙、デンファレ。
奈月さん 「小品自由花」

ピンクの椿、スイトピー、レッドウィロー、霞草を変形花器へ。
金子さん 「小品自由花」。

竹の花器へ 老松、椿、水仙、水引。
友里さん 「小品自由花」

コノテヒバ、ガーベラ、デンファレ、ヒペリカムを水盤花器へ。
皆さん、自分で考えて、それぞれの個性を精一杯発揮することが出来ました。
そして皆さんが花に託したメッセージが観覧してくださる方に伝わる素敵な作品に仕上がりました。
正子先の支部華展には、必ず添釜として茶席を設けます。立礼席がCafeのように日本庭園を眺めながらくつろげる素敵な空間となりました。

立礼席も連日大勢のお客様で大好評。雅風会の皆さま、ありがとうございました!
↓前日の生け込み風景もアップしましょう。

みなさん、本当に良く頑張りました。
初日はホテルニューオタニにて、祝賀会。

来賓の皆さまから素晴らしい祝辞をいただき、品があり寛いだなかで、とても美味しいお食事を皆さんで頂きました。
会期中は確かに大変ではありましたが、まるで夢の中にいるような(ハイ状態だったのでしょう?)不思議な二日間でした。
最終日の次の日から京都の学校が始まるので、そのまま京都へ移動。という、強行スケジュールに疲れを感じる暇もありませんでした。はい。笑
京都の生花教室の授業も今期で最後。次はその報告ですね。
では、また。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子
令和6年11月京都旧七夕会華展報告
京都・池坊本部で開催する代表的な華展は「春のいけばな展」と「いけばなの根源 池坊展」の二つです。
「春のいけばな展」は、題名通り毎年春(3月)、京都中央研修学院の修了記念・文化祭の華展。各教室の特徴がよく分かり、それぞれの特色が楽しめます。
毎年 11月に池坊会場(京都中央研修学院・家元道場)と 大丸京都店で開催されるのが「いけばなの根源 池坊展」。この華展は華道家元四十五世 池坊専永宗匠、次期家元 専好さま、青年部代表 専宗さまの作品をはじめ、全国の華道家による作品が 約900点 展示される池坊最大のいけばな展です。
この華展は「旧七夕会(きゅう たなばたえ)」と呼ばれ、江戸時代初期に御水尾天皇が宮中で七夕の立花会を催したことに由来する最大・最古のいけばな展です。
平安時代以降、宮中で七夕の日に様々な行事が催され、その一つとして花がたてられていたからです。しかし「七夕」は7月7日。なのに 何故11月?と、不思議に思われるでしょう?
はい。私が聞いた話では…『旧暦なので、新暦では8月初旬頃。京都の暑さは厳しく、花が保たなかった。9月に・10月に延期したけれど、その季節は農繁期。といって12月は皆忙しい。そんな経由で11月に落ち着いた。』確かに。11月は花材も豊富ですしね。とても真実味がある説です。
毎年この「いけばなの根源 池坊展」で、お家元がその年の池坊のテーマを発表し、そのテーマの華展が一年かけて 大阪・東京・札幌・仙台・名古屋・福岡を巡ります。
今年のテーマは『 花 命 みらい』。
池坊いけばなの根底にある 生成発展 する “いのち” の美しさと向き合い、“みらい”への希望を花に託して一瓶に表現する。
関西万博でも「いのち輝く 未来社会」が謳われていますしね。
…すっかり前置きが長くなってしまいました(^^;;
実は この旧七夕会華展に「石渡雅史先生の生花教室の代表」として選抜していただき、出瓶させていただきました! とても名誉なことなので報告致します。
私の作品は、木瓜の一種生け。薄端花器へ。

先生にアドバイスしていただき、凛とした作品となりました。
石渡雅史先生の作品。↓

“生成発展” とは、「古いものが滅び新しいものが生まれる」「勢いよく発展し続けること」。絶えず活動し、変化し成長していく様子を指します。
生花(しょうか)は特に、この『生成発展する “いのち”の美しさと向き合い、“みらい”への希望を花に託して一瓶に表現する』花形なので、今年の『花 命 みらい』のテーマそのものですね!
専永宗匠の作品。↓道場席の宗匠の作品の前に座ると、とても癒されます。

大丸京都店の専永宗匠の作品。↓

道場席の専好さまの作品。↓

道場席の専宗さまの作品。↓

このような素晴らしい華展へ雅史先生の生花教室の代表として出瓶させていただく機会をいただきましたこと、深く感謝いたします。
この三年間、生花教室での石渡雅史先生の講義・教えは、基本を徹底的に教えてくださることも勿論ですが、特に興味深かったのは、先生から毎回いただく「お題」です。
初年度は『皆さんにとって “美しい” とは?』でした。
改めて考えたことも無かった突然の問いかけに皆、驚きながらも色々な意見が出ました。
私は直感で『一所懸命生きている姿』と答えましたが、クラスの皆さんから「夕日」「山嶺」「満月」「新緑の水々しさ」「仏像」「車」「友情」「所作」「計算式」「金の価値」… などのように実際に生きていなくても美しいと感じるものは様々あり、とても面白かったです。
先生のお答えは『美しいとは、正しいもの』でした。私はそれを聞いた瞬間、少し違和感を覚えました。何故なら「”誰が判断した・何に対する” 正しいもの」なのかが、分からなかったからです。
その後 先生から『 “美しい”とは、快い・快感・感動=正しい=“真理” 。』『正しいとは、理に叶う姿。道理(筋)が通っている。』『大自然の秩序』『真理を目指しましょう。』と聞いて少し納得しましたが、私の心の中ではまだこのお題は課題として燻り続けています。
二期目は『人は “何故” 花を生けるのか?(今、世の中はSDGSと謳われているのに。命あるものを搾取してよいのか?)』でした。これはいつも私が考え続けていることでもあるので、教室の皆さんの色々な意見が聞けてとても興味深かったです。
実はこの課題が出された前日、『何故 こんなに花を生けること、勉強することが楽しいのだろう』と 考えていたところでした。そしてその日、友人に紹介され初めて会った方から、最近 最愛のご主人様を亡くしたと聞きました。その瞬間、その方に「花を贈りたい!」という気持ちがどうしようもなく湧き、遅い時間で店も閉まっていたので道端に咲いていた地味だが美しい花を お辞儀をしてから手折り「仏前に供えて欲しい。」と手渡しました。その時私は『何故人は 故人へ花を贈りたいのか?』と自問していました。
太古の昔から死者に花を手向ける習慣があったことが分かっています。
これは理屈ではなく、『美しく咲く花の命も私たち人間の命も同じ』という節理が無意識に働いているのでしょうか。
花の命と私たちの命。同じ命。
… 実はこの華展会期中、大好きな妹が病気で他界しました。
悲しみと向かい合いながらも「いのち」を懸命に生けることでなんとか、乗り越えられた気がします。
私の人生の中に『華道』があって良かった。続けてきて良かったと、心から思いました。
そんなこんなの事情で、ブログの更新が全く出来ずにいました。お許しください。しかし丁度、今!東京華展は2025年5月21日〜26日・日本橋三越で開催中です!なんとタイムリーで素敵な偶然(笑;)
折角なので、専永宗匠や専好さま、専宗さま、雅史先生、そして石渡正子師匠の作品を順次アップします!
専永宗匠の作品。↓

昨年11月の大丸京都店の作品が都市を巡り、季節に寄り添いながら変化してゆく姿も素敵なのです。
専好さまの作品。↓

専宗さまの作品。↓

石渡雅史先生の作品。↓

光と影までが演出されているようでした。
2次・石渡 正子師匠の作品↓

シラビソ・松・柘植・鳴子ゆり・笹百合・山アジサイ・クロトン・スプレー菊
「山静かにして、太古の如し」
喧騒の現代に生きて、私達はふと深山幽谷の静寂を夢みます。
しかしながら、その自然界では、草木は常に風にそよぎ、水は不断に流れ、生き物はあるがままに生きぬいています。
一見静寂に見えるなか、「輝くいのち」を表現したいと願っています。
静かな山の中にいるかのようでありながら、その静けさの中に「輝くいのち」のエネルギーが満ち溢れる作品。今年も全く年齢を感じさせない先生の作品に元気を頂きました。
令和6年はこの後 納会を無事に終え、新しい年を迎えることが出来ました。次は令和7年1月の「東京清祥会華展」の報告をします。お楽しみに。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子
令和6年 京都で学びの後に。
(令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室、3年次 3期(10月)の報告と一緒に書いていたら、長くなってしまったので 分けます。)
さて、学校で使った花材などで最終日は、お世話になった友人宅に お花をた〜くさん!部屋中に飾ります。


そして今回、学校が終わった後に、京都でお世話になっている友人と久しぶりに一泊旅行へ行くことにしました。目的地は淡路島。
淡路島へ向かう道中、「ちょっとだけ寄り道‥」と徳島まで。京都から車なら直ぐなのね~~鳴門公園で鳴門の渦潮を海上散歩なかなかの迫力!友人が選んでくれた淡路島の Air bndは景色が最高ですこぶる快適 。夜は「さと味」で美味しいお魚のお造り。ベラ・タイ・鮑、天ぷらやお寿司も堪能!車海老の頭と尻尾は塩焼きにしてもらいました〜締めは穴子の押し鮨。ここの茶碗蒸しが魚の出汁が引き立って絶品でした♡


淡路島は若狭、志摩と並び、日本古代から「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、平安時代まで皇室、朝廷に海産物を中心とした御食料を貢いだ国。人徳天皇の項には毎日飲む水までもが、この島から水までもが朝廷に運ばれていたそう!朝廷お墨付きの淡路島の食材!
なんといっても淡路島は古事記、日本書紀に綴られた国生み神話ゆかりの地。最初に誕生したのは「おのころ島」。古事記・日本書紀によると、おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神は、日本列島を次々に産んでいく。その中で最初に生まれた島が「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」こと、淡路島であると記されています。おのころ島神社へお参りしたら、近くに天の浮橋(あめのうきはし)もある。『神代の昔、国土創世の時に二神はお立ちになり、天の沼矛(ぬまほこ)を持って海原をかき回すに、その矛により滴る潮が、おのずと凝り固まって島となる、これが自凝島(おのころじま)。二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先ず淡路島を造り、次々と大八洲(おとやしま)を拓かれた』と記載されています。天照大神を祭る「葦原國(あしはらこく)」の神話の伝承地は、畑の真ん中にポツンと。
その後、瀬戸内海国立公園「成ケ島」へ、渡し船で5分。ここは照葉樹林の森、池、干潟、岩礁、砂地、塩沼地、アマモ場など多様な自然環境が残されています。ハマボウやハママツナなどの貴重な海岸植物、ハクセンシオマネキやアカウメガメなどの貴重な生物が生息する尊い自然が残る宝島だとか。
最後に素敵な建物が気になる「農家レストラン陽 燦燦」へ。建築家 坂 茂氏の設計でした。坂 茂氏の「禅坊 靖檸(せいねい)」は、北淡路の森に突如現れるヨガと座禅のリトリートとして有名です。この島は、「パソナ」の会社が移り色々と開発が進んでいるようです。
東京へ帰ったら色々大変だけど、この久しぶりで楽しかった旅行を胸に、頑張ります〜〜感謝♡
そして、翌日月曜日は28日!大徳寺で利休さまの月命日で開かれる月釜が開催される日。毎月28日に大徳寺の何処かの塔頭で開かれている「月釜」は、初心者からプロの方までどなたでも参加できる素晴らしい茶会です。
私の師匠は過去三回、玉林院で開かれました。その時、 半東として参加させていただいたことがありますが レベルが高くて、とても勉強になるので京都に来るときに上手く日程が合えば伺うようにしています。
といってもなかなかその機会には恵まれないのが現実ですが。今回はバッチリ!参加しない手はありません。笑
京都在住の蓮心会京都支部長、私の表千家短期講習会卒の同期、蓮心会社中の料理長金子さんの二人は日帰りで参加。4人で「興臨院」「瑞峯院」「聚光院」「玉林院」の四席席入りすることができました。
聚光院では皆で利休さまや茶の湯にまつわる方々の墓参りをしたり、お茶人冥利に尽きる幸せな時間をたっぷりと過ごしました。各席で2服戴くので、4席分のお抹茶8杯と4種類の主菓子と干菓子(汗)。もう甘いものは… と思っていたのですが…

大徳寺の塔外のお寺を散歩していたら、何やら美味しそうな醤油と白味噌の香り…その先を見ると お団子を焼いているではないですか!こんな美味しそうな匂いの前を素通りできるわけがありません。勿論いただきましたよ〜〜
よく学び、よく遊んだ10月下旬。東京に帰ったらまた怒涛の日々に流されてしまうことは必須ですし、来月の七夕華展もあり、大変ではありますが、エネルギーをたっぷり吸収しましたので、乗り切れそう?
次は、旧七夕華展の報告でしょうか。納会や、来年の初釜の試作もしなければ。
あっという間に今年も幕を閉じますね。無事に一年を過ごすことができることに日々、深く感謝しています。
日々の稽古や、生徒の作品、またプライベートもInstagramとF.B.にアップしています。(上記は11月13日に Instagramにアップしました。)
https://www.instagram.com/sado_kado_ritsuko/
よかったらご覧ください。
令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室、3年次 3期(10月)の報告
令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室。3年次3期は 10月21〜25日に開催されました。
あ〜(汗)… 3年間で終了する総合特別科。この3期が終わると 残る一期しかありません!今期も悔いのなき様、しっかり学びましょう!
1日目は、「40世専定宗匠」の残された絵図を元に、自由研究。私は「茶の木」と「小菊」の二種生けを選びました。


専定(せんじょう)宗匠が活躍された 1820(文政3)年、宗匠は『挿花百規』という本を刊行されました。
40世専定宗匠という方は、いわゆる「天才」。理屈ではなく、心の目で植の見本質を見抜き、それぞれの植物の「出生(しゅっしょう)」を生けることができる方。出生とは「それぞれの植物が内在し持っている性格」です。
その宗匠が、『ボクが 皆んなが理解できる様に、生花の 100のルールブックを作るよ。そしたら みんな、分かるでしょ?』というのがこの『挿花百規』。
『いやいや、宗匠、絵本として見るにはとても素敵!しかし、この内容は凡人の我々には直ぐには理解できかねます・・・』という世界。「一見簡単そうに見えても、とても簡単には真似出来ませんし、とても難しい」のです。よく調べてみると実際、『この本は簡単に、真似してくれるなよ〜』と、書いてあります。笑
この本の絵図の内容のほとんどは基本的に「前副(まえぞえ)」です。
現在の生花の教えは、基本的に「後ろ後方」が「副」ですので、少し混乱してしまうかもしれません。しかし、これを学ぶと「生花( しょうか)」という「形」が、今の型に構成されてくるその片鱗を窺うことができます。
「生花( しょうか)」が生まれ始めたのは、寛永 3(1750)年 36世専純の頃。この頃『水際(みずぎわ)』・『花器から命が発生する姿』の発明があり、「抛げ入れ」から「いけばな」へ発展していきます。
生花の型には、「真(しん)」「副(そえ)」「躰(たい)」という『三儀』の役枝の働きがあり、大切にその働きを心得なくてはいけません。
40世専定・41世専明の時代から、「真」は『人(じん)=ひと』、「副」は『天 (てん)』、「躰」は『地(ち)』、と伝えていくようになります。
それまでの時代は、「真」は「天」。すなわち「自然界」が中心。「副」は「人」でした。「天」が真ん中、すなわち「人」中心の考え方ではなく、「草木」の姿が決定する、今の『新風体』の考え方に近かったのです。
皆さん、ついていけてます?笑 いつでも教室でお伝えいたしますよ~~
2日目は、「木瓜」の「上・中・下段」の変化形。

下の花材から枝選びをします。ここが一番大切。

木瓜、「躰」の花。

「変化形」とは、『生花別傳』で、『上・中・下 三段流し枝』で、「真・副・躰 又は あしらいを強く働かすこと」。「花律の変化」を生けます。



3日目は、初日と同じ「専定宗匠」の絵図から「秋の燕子花」。


生けた燕子花は次の日、見事に花を咲かせました~~

他にもいくつか「秋の燕子花」の絵図があります。


ため息がでるほど、素敵です!木瓜などもそうですが、特に燕子花は、生けてもいけても奥の深さを痛感させられます。
花を生けることは、「型」も大切ですが、なるべく本数を少なくして陰陽をよく見る「見立て」が大切❗️
何より 自分が手にした枝から発想するセンスが必要。
『植物に環境を与える』
その枝をどう生かせるか、
生きている環境を作ってあげる。
環境を取り戻す = 立つ枝、横になびく枝。環境から切り離された枝に環境を提供する。
先生の名言
『フォーカスを合わせ、ノイズを消す』
4日目は、「自由課題」。3年生になると、自由課題が増えました。今まで学んできた成果を発揮していきたいです。
私は、来月11月に開催される池坊旧七夕華展で、この教室から「選抜席」に選ばれるという誠に光栄な機会を頂きました。なので、一杯でも多くその練習をしたいと思ったので「木瓜」の一種生けにしました。


5日目は、毎期「三種生け」か「新風体」の自由選択。私は「三種生け」を。
本当は、「株分け」を学びたかったのですが、今回は「分けない方が良い」とアドバイスいただきました。

「山茱萸」の赤い実と、「岩シャジン」の白花、とっても可愛い♡

一度、アップしたブログですが、あまりに長すぎるので分けて投稿することにします… 笑^^
続きをお楽しみください〜〜
日々の稽古や、生徒の作品、またプライベートもInstagramとF.B.にアップしています。
https://www.instagram.com/sado_kado_ritsuko/
よかったらご覧ください。
西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子
七夕と梶の葉
毎年 7月、「天の川」のお菓子を見て “七夕” を思い浮かぶ方は多いのですが、「梶の葉」を表現した主菓子をいただきながら 『あぁ、七夕ですね。』と、ピンとくる生徒が増えないことを残念に思い、(超簡単にですが)今年7月 Instagramに『 “七夕” イコール “梶の葉” 』の投稿をしました。
その内容(前編)は下記の通り。↓
七夕の歴史は古い時代の中国で、七月七日に行われていた「乞巧奠(きこうでん)」という儀式に因みます。
「七夕乞巧奠」とは織姫にちなんで、金銀の針や色糸などを供えて天の二星に織物技術や、詩歌の上達を願う行事。
七夕の夜に習字や詩歌の上達などの願い事を、芋の葉上の朝露で墨をすり「梶の葉」に書く風習が日本に伝わりました。七夕には “習字上達の願い” も含まれ、昔は七夕の短冊の代わりとして梶の葉が使われていました。
乞巧奠では、願いをしたためた梶の葉を水を張った「角盥(つのだらい)」というタライり浮かべることで願いを天に届ける慣わしだそう。


七夕「梶の葉」の飾りもの。なんと、メルカリでも流通していました!
師匠に梶の葉に墨で書かれた暑中見舞を見せていただいた時の感動は今でも忘れられません!

… と、いうゆうことで、今まで「七夕」イコール 「梶の葉」なのだ。と、私自身なんとなく分かった「つもり」でいました。
さらに調べると、梶の葉は「柏」と同じように『神前に供える供物の食器や祭具の「弊」としてつかわれ神聖な意味合いを持つ植物』だからだそう。
ふむふむ。「…?」。
はて。「神聖な意味合いを持つ植物」と書いてあるが、「 ” なぜ ” 、梶の葉が 神聖な意味合いを持つ植物なのか」は、どこにも書いていない。
そもそも、紙を作る代表は「楮(こうぞ)」…『何故、七夕の行事は “楮” ではなく “梶の葉” でならなくてはならないのか??その意味は?』
この疑問から私の、わかったつもりでいた「梶の葉」の謎ときの旅が始まった。
その矢先、『倭文(しずり) 旅するカジの木』という映画が上映された。
勿論早速観に行く。

なぜ人は衣服をまとうのか… 化学繊維が人間の体を覆い尽くす現代に〈衣〉の神秘的な始原を追って、台湾、インドネシア・スラウェシ島、パプアニューギニア、そして日本。日本の神話に秘められた大きな謎を解き明かすために北村皆雄監督が五年の歳月をかけて完成させたドキュメンタリー映画です。
「衣・食・住」の中の「始めに”衣”を造る手立てであった”紙から布へ”」と繋がる歴史は実に面白い世界だと識る素敵な映画でした。しかし、私の「何故 梶の葉なのか?」の疑問はまだ謎のままです。
この映画の監督・製作は私の大親友、阿部櫻子ことチャックの元上司・職場。映画上映中、チャックのギャラリー「ディープダン」でこの映画に出てくる布が三日間限りで展示されていた。そのご縁でこの映画に出演していた “紙を糸にして布を織る作家” の妹尾さんとチャックと一緒に “中国少数民族の衣装とアフリカのクバ王国の布のコレクターでギャラリスト” の梅田さんのギャラリー兼、別荘がある茨城 笠間(友部)へ、「今年5月に開催された『アフリカ クバ王国の布展』の展示をまだ観ることが出来る」というので行くことに。
車窓からは蓮(蓮根用)畑が一面!

都内から1時間半でこんなに素敵なところへ来られるのね〜
梅田さんのギャラリーのすぐ下には魯山人の別荘が移築された「春風萬里荘」がある素敵な一軒家。
『ここはパラシュートで落ちて偶然見つけたような土地なのよ』と、(80歳にはとてもみえない)チャーミングに語る梅田さん。
アフリカ・クバ王国の布への熱い解説をしていただきながら拝見できた幸せな時空間。



ちなみにアフリカのクバ王国の布も、ラフィア椰子の木の繊維でできた樹皮だった。
『この布の模様、私たちには不思議な幾何学模様に見えるけれど、実は調べてみると顕微鏡で見た人間の細胞の形とそっくりだと分かったの。きっと、彼らにはそれがみえるのだろうと想像出来るわよね』との話に深く腑に落ちる私たち。

きっと現代の文明社会では忘れられてしまった「見えないけど大切な なにか」がまだ生きているのだろう。自然と共に生きている人の想いを感じ、布フェチな私としてもとても興味深かった。
なにより “自分が好きなことを追求し続けてることを貫き通している方々” の語る言葉は一つひとつが優しく重い。
梅田さんのギャラリーの脇にも気がつけば梶の木らしいものが生えているという。映画に出演していた妹尾さんが目をキラキラさせて『私、梶の木などの見分けの目はこの映画でかなり肥えましたから』と見に行く。

梶の木も楮もヒメ楮も同じクワ科の血縁仲間。パッと見た目では良くわからないが、梶の葉の裏は、毳毳(けばけば)しているので触ると良くわかるそう。梅田さんの家の木はヒメ楮でしたが、葉の形は梶の葉と変わらなかった。

40年位前から中国少数民族などの古い服や布が大好きで収集している梅田さんは、偶然この笠間の土地と出会ったと言うが『倭文‥』の映画にあったようにこの常陸の土地は織物の神と星の神が戦った神話にある石井神社が直ぐ近くにあり、やはりこれは”縁”に導かれたとしか思えない?
映画で日立市の大甕(おおみかみ)神社が撮影されていた理由が少しずつ解かれていくようなワクワク感!早速、皆で石井神社へお詣りに。

石井神社の御祭神は健葉槌命(たけはつちのみこと)。日本書紀などに「開拓(武運)の神」と記述がある。健葉槌命は、倭文の里(那珂市)で倭文織(しずおり)・機織りを伝えていた神、産業の神としても信仰されている。
そして、石井神社がここへ鎮座した由来が書いてありました!

『神代の昔、天つ神が豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)を平定する際に、この地方を支配していた天甕星(あめのみかぼし)・香々背男(かかせお)だけが従わず、討伐に派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)経津主神(ふつぬしのかみ)に対して、巨大な石となり抵抗した。二神の命をうけたここ石井神社の御祭神、織物の神である倭文神・健葉槌命は、久慈郡・大甕(おおみかみ)の山でその巨石を蹴り飛ばし、天甕星を退治した。割れて三方向に飛んだ石の一つが石井の地に落ち、天甕星の祟りを恐れて倭文神・健葉槌命をお祀りした。』
そう。この落ちた石が祀られているのが、布コレクター梅田さんが偶然見つけたギャラリーのすぐそばの石神神社、なのです!偶然ではなく、引く寄せられたのでは?
神話のロマンに心踊る私たち。
沢山素敵なエネルギーをいただき、ご縁に感謝。来訪を約束し、ギャラリーを後にした。
帰り道、「何故 “梶の葉” なのか?」の謎がまだ解けない私に、”映画監督” チャックが持論を話してくれた。
『綿や絹が生まれる以前、楮や梶の木を剥いで採れる繊維はとても貴重だった。その剥いだ繊維を砧のような道具で叩き柔らかくし、細く頑丈な糸を作り、染める布に加工するまでの技術は、今の時代でいうIT技術やA.I.のようなものだった。だから布をを持った者がその時代、権力を持ち、その地を支配していたのだろう。布を作るという技術は、その時代の先端の技術だった。
いつの時代も先端を征する者が強いとされるのだ。今ならGoogle?これからはA.I.とかか? その神様たちが、倒されたのは、布より新しい鉄などの技術が現れたせい』と、チャックは説明した。
映画の中のラストシーンで踊る人たちが、大甕神社の神話を抽象的に表現していたのだと、チャック先生のお陰で整理ができました。
流石です!チャック監督!!
五節句の中の四番目の「七夕」という行事。何故か昔からとても興味が湧いて仕方がなかった。今回、今までと違う視線で学べたことをとても嬉しく思う。また今後も沢山の気づきがあるだろう。楽しみで仕方ないです。
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