蓮心 表千家茶道教室 池坊いけばな華道教室

西武新宿線沿い西東京市田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道教室

「華道」セッションアンケート

2016年7月26日 Category: blog
2016年6月初めに女子大で「華道」の授業をさせて頂いた時のアンケートが届きました。
レポートは任意のものなのに、参加者約30名ほぼ全員が提出してくださりました。
生徒の皆さんの真面目さと理解の深さに感激です。とても全ての文章を掲載することは出来ないので、残念ですが昨年同様、文章の最初と最後、途中など省略させていただくことをお許しください。また、(略)も略させていただきます。

*華道は、私が思っていた以上に長い歴史を持つ伝統芸能であることも知りました。安土桃山時代に権力を象徴するような非常に雄大で勇ましい大砂物、大自然の景観を理想化した立花など、どれも魅力的でこれまで考えていた華道のイメージがすっかり変わりました。これまで華道とは、茶道同様に様々な作法や掟があり、私たちには難しいと思っていましたが、とても親しみやすく、ぜひ初めてみたいと思いました。

*華道のはじまりが神や仏に奉ったことからとは知らなかった。華道は花が主役であり、花の命を大切にしたり、そういった精神が素晴らしいと思った。時代によって形は異なっているけれどその時代に合わせて変化して、精神は変わらずいまに受け継がれていてすごいと思った。最近では外国人でもこういった文化に興味を持ってくれているので、外国人にとっても魅力的な文化なのだと思った。 華道や茶道は日本が誇れるものだと思った。日本人なのに、華道のとこを全然知らなかったので少し恥ずかしく思った。 日本史などでやったこととかが今日出てきてさらに深く知ることができて良かった。宋の文化を取り入れたことがきっかけで、こうして日本の文化として残っているのは凄いと思った。 いままで、日本の文化にあまり触れて来なかったので、今日の授業で少し興味を持った。日本人としてこういった文化や精神を大切にしていきたいと思った。このような素晴らしい文化や精神をこれから先伝えっていくことが大切だと思った。

*「フラワーアレンジメント」の和訳が「華道」で同じものだ、と考えていた。しかし、大きな違いがあることを知って驚いた。 また、正月に門松を飾る意味など全然、知らなかった。というよりも、なにも考えたことのなかった。しかし、神様を呼ぶためと知って、納得した。 この講座を聞いていると、日本史(室町時代)を勉強し直しているようであった。このことにより、文化を学ぶということは日本国の今までの歴史を学びなおすということになるだろう。

*活かすということはつまり生命を吹き込むことであり、華を活けるとは華に命を吹き込むことなのか!と気付きました。これを踏まえて、華道とは、花が生きた状態で表現をする、花の奥底に眠る美しい生命の力をそのまま魅力として活かす芸術であると考えました。フラワーアレンジメントの作品も部屋の装飾のいいアクセントになったりと魅力的なものですが、華道の作品は、自分の心の奥まで華の生命力、表現力が浸透する不思議なものでまたまた全く異なる魅力的なものであると感じました。演劇における自分と華道における花の役割がとても似ているなと思いました。いつか自分の表現力を駆使して華道に取り組みたいと思います。

*華道は日本の歴史や考え方に深く根付いたものであるということが、歴史を紐解くなかからもフラワーアレンジメントとの違いの説明からもわかりました。西洋の人を中心に飾り立てる文化と比較し、日本の そのもの自体の美しさを大切にするという考え方、日本人のつつましさ、奥ゆかしさを感じました。「情」という点で西洋より深く、その点においてはどこよりも人、そして自分の感覚を大切にしていると感じました。だからこそ美に対して短歌や俳句を興じたり、それが後世にも胸を打つものとして語り継がれているのだと思いました。また、建築様式との比較ですが、西洋と日本の様式の違いには「隙間」があると書かれていたことを思い出しました。余白=余韻と考える日本の考え方はあらゆるものに表れていると感じました。 今回の生ける行程をみる中で特に印象に残ったのは、生い茂った楓の葉を何枚も取っていたことです。葉が少ないほうが空間的に隙間が生まれすっきりとして綺麗でした。選んだ花を数秒眺めただけで、どう生かすか考えて、いらないものを遠慮なく切り落として作りあげていく先生の姿は当然美しく見えた反面、来年いやというほど取り組むであろう会社の人事部の方々との面接・採用と同じように感じ、少しだけ怖さを感じました。同時に花と人間が決定的に違うのは「ことば」で自分をいかようにも魅せられるということに気づきました。改めて自分は人にどうアピールして行きたいか自問自答していました。

*華道についてほとんど知識がなく、それほど興味もなかったが、今回の講義を受け、華道の奥深さに魅了されました。さす花(挿す、指す)は動作つまり、行動を表し、いける花(生ける、活ける)は生命を表しているのではないかと高森さんがおっしゃったときはじめは何を言ってるのか理解できなかったが、話を聞き、歴史などをお話しされて、納得でき、とても理解が深まりました。安土桃山時代の書院造りに「大砂物」は力強さがあり、なおかつ可憐でとても印象に残りました。また、宇宙の森羅万象、世界を花瓶の上に再現、見立てようとした「立花」、花一輪の深さを見つめる「生花」の知識を初めて知ったのですが、華道は奥深いととても興味がわきました。
実際にお花を生けてみて、どこに配置したらきれいで、どうやったら思う位置に配置できるのか、どの位置でお花を切ればいいかなどいろいろ考えながら生けるのはとても難しかったけど、とても楽しくまた生けてみたいと思えました。先生からもお褒めの言葉をいただき生け花に正解はなく、心をこめ楽しく生ければ素敵な作品が生まれるのではないかなと思いました。

*高森先生の講義を通して、華道には自分が思っていた以上に深い歴史があることを学んだ。これまでは、華道の断片的な知識しかなかったので漠然とした一種類のものとして捉えていた。しかし、華道は、日本の歴史や当時の建築様式と密接にリンクし、時代ごとに様々な華道の形をもっていたということがわかった。例えば、宋文化を積極的に取り入れていた室町時代に、書院造りを飾る目的として立花が始まり、その後、立花は生花に転身し、草花に生命を見いだすことに価値を置くようになった。その後、近代化とともに男性の社会進出が進むと、華道は女性の教養という位置付けになった。このことに関して、私は花の華やかなイメージから華道は女性の領域にあるという認識を持っていたので、もともとは男性にたしなまれていたということに非常に意外性を感じた。

*花をいける(生ける、活ける)ということ、花を(指す、挿す)ということ、こんなにもシンプルなのに、こんなにも難しいことなのか、と思うワークショップでした。そして、その文化が、先人たちによって受け継がれてきたこと、時代が変わって,様式が変わっても、華道も常にそれと平行して、しかしながら根本は変わらずに生きてきたこと、文化の深みを感じました。花と共に居ることを「文化」にした日本の趣きが好きだ、とも思いました。日本人とは、本当に繊細で、地味を美に変化させることが上手いんだなあと考えます。そしてもうひとつ、関心させられたのが「日本人は『間』を大切にする」というお話です。私たち日本人は、空間を美しいと感じれる感性を知らず知らずのうちに宿しています。この感性って実は、とっても誇りに思えるものではないでしょうか。池で、獅子脅しが一定の間隔でカコーン、と音を鳴らすまでの間や、生け花の間。それを美しいと思える感性を大切にしたいです。

*日本の文化である「華道」についての講義を受けて、華道は人が人を思いやるように、花のこともどう生けたら美しく・魅力的に見えるか考えながら生けるということを学びました。華道は花の命が主役であり、花はもちろん葉・茎・蕾などを大切にすることで目に見えないところにも重きを置いていることがわかりました。さらに華道は空間や余白を大事にしているのでフラワーアレンジメントとは全くの別物だと再認識しました。また華道の歴史では室町時代に宋文化を積極的に取り入れ書院造ができ、この造りにより屋内が明るくなったため屋内にまつるものが増え、生け花が普及していったことを知りました。華道の歴史の深さや良さに気づけた講義でした。ワークショップでは、受講生の何人かが生け花を体験しているのを見て、それぞれ選んだ花や葉も違って本当に自分が好きなように表現できるものだと感じました。高森先生のお力も借りて皆素晴らしい作品を短時間で仕上げていて驚きました。

* 今回の講義を受けるまで、私の中での華道に対する印象は、茶道と同じように伝統的で敷居が高いものだった。また、私たち女性がするものだという印象を持っていたが、芸術的センスが問われるため、挑戦しにくいと感じていた。しかし、今日の講義の中で初めて知ることも多くあり、これらの印象はかなり覆された。 以前から華道が伝統的な文化であることは認知していたが、具体的にどのような変遷を経て現在の形になっているかは今まで全く学んだことがなかった。だが今回の授業を通して、戦争期を境に、生け花の文化の担い手が男性から女性に変わったことや、何帖もある畳の上に置くような大きな作品から、小さな作品が生み出されるようになったことなど、花道が遂げてきた変化を知ることができた。今まで敷居が高く、親しみが全く持てなかった花道が、これらの歴史を学ぶことによって心的距離が縮まったように感じた。 さらに、実際に先生や友人が目の前で生け花を実演しているのを見て、とても感銘を受けた。先生方の手助けがあっての上だが、私と同じ学生の皆さんの作品は美しく趣深いものだった。特に印象的だったのは、学生が完成させた作品に先生が少し手を加える、それもただ葉を横向きから縦向きにするだけで、その作品にたちまち立体感が生まれたことだった。そうして出来た作品は、花道に全く精通していない私からすればプロの方によるものと思うほどに綺麗であった。素人が生けたものであっても、ほんの少し手を加えるだけで花が活き活きとし、生命を感じられることに私は感動した。しかし同時に、そのひと手間で大きく変わってしまうというところに瞬間性や儚さも感じた。こういったところに、日本人だけでなく海外の方も含めて多くの人が生け花の魅力に惹きつけられるのだと思った。

*生け花は花の命が主役で、枯れている部分や蕾を使うことで過去、現在、未来など時間軸まで表現できるというのは素晴らしいと思いました。小さい頃や中学生くらいまでは、フラワーアレンジメントのような人工的できれいなものが好きでしたが、ここ数年は生け花のような自然美のようなものに心がひかれるようになりました。色々な経験をしたことで変化していったのかと感じました。私は、中学生の頃学校の授業で、週に1回1時間華道の時間がありました。 一生懸命やるのですが、どこかバランスが取れず、「空間の美」というものがなかなか上手くできませんでした。 この授業の中で先生が学生が生けたものを少し位置を変えるだけで作品の雰囲気ががらりと変わったのがとても印象的でした。

*日本に華道について知っていましたが、文化として成立しているのは日本だけであり、時代の変化と共に変容を遂げながら今日に残っていることの素晴らしさと奥深さに驚嘆しました。華道の中で使われる「いける(生ける・活ける)」という単語に意味があり、「さす(指す・挿す)」とは使い分けている点で、日本語を大切にしているのだなと感じました。時代の流れの中で池坊が発端となり「飾る文化」に「生ける文化」が加えられ、今の華道のもとが作られ続いているという流れを学び、日本の歴史との強い結びつきがあったのだと知り、驚きました。実際に生け花をやってみると、見ているだけではわからない、“生ける”ことの難しさ、想像通りにはいかないもどかしさを感じることが出来ました。

*なぜ『華道』の授業なのだろうかと疑問に思っていました。しかし当日現れた先生を見た瞬間、意味が瞬時にわかったような気がしました。美しい着物を着た、いかにも気品が漂う、物腰柔らかそうな女性がそこにはいました。まさに日本の女性とはこういうものだ、という雰囲気を体現されていたお方でした。 先生の口から語られた、華道についてのお話しは初めて聞くことばかりでとても新鮮でした。私は習い事で書道や、大学から部活で箏曲を始めたのですが、畳文化の習い事に親しんでいたものの、花を活ける華道と言うは全く別の分野という存在でした。 花を活ける文化というのは”日本だけ”というのは、その意味や歴史を聞くと納得できるものでした。 室町時代に宋文化を取り入れ、徐々に日本の和室の原型が出来ていき、六角堂池坊が、「命を活ける文化」として日本の華道の原型を誕生させた。 のちに自国の文化として大成したと言えど、日本はやはり中国の影響無くしては語れないのだと思いました。 華道がどうして日本独自の文化になり得たという答えに私は、日本人には花を見つめる心があるからかなと感じました。先生がフラワーアレンジメントと華道の違いについて質問されたとき、全く答えが浮かびませんでした。フラワーアレンジメントは西洋のイメージがあり、華道は日本のイメージです。それは人間が主役か花が主役か、で異なるというと答えに胸が打たれました。前者は花の一番綺麗なところだけを用い、後者は葉も茎もつぼみも用いるとのことでした。華道は”花の命”を表現する文化と言っても過言ではなく、その儚さをいつくしむ心が日本文化らしいと感じました。  そしてワークショップで、先生が活けてくださった花を実際に見ました。紫陽花を用いていたのですが、一番綺麗に咲いている花の部分だけではなく、虫に食われた葉の部分や、茎を巧みに使い、見事花瓶の中に、美しい風情を感じられるよう表現されていました。花の咲いている綺麗な部分だけでなくとも、このように上手く活ければ花に命が宿ったように活き活きと輝きを感じられるのだということに、華道の素晴らしさを感じた瞬間でした。 この授業を通じて、自分の中にあった華道の堅いイメージが払拭され、いつか機会があれば私も体験してみたいなと思いました。

*今回の授業は個人的にとても興味がありました。茶道の経験はあったので華道もやってみたかったからです。実際に華道を体験してみて感じたことは自由に花を主役に生ければいいんだということです。今回はアジサイを主役に生けました。花の高さや葉っぱの生かし方が特に苦戦しました。先生のアドバイスを参考に綺麗に花を生けることができたのは本当にいい経験になりました。一番印象に残ったのは、フラワーアレンジメントと生け花は主役が違うということです。花を主役にする生け花は昔からあるもので部屋を明るくするものであることは今の価値観でも変わりはないと感じました。花は命あるものなので生けた後より生けた瞬間を楽しむものなんだなあと、この経験を通じて学びました。日本の文化に触れる機会はなかなかないのでこのような授業に参加できて本当によかったです。

*今回の授業は個人的にとても興味がありました。茶道の経験はあったので華道もやってみたかったからです。実際に華道を体験してみて感じたことは自由に花を主役に生ければいいんだということです。今回はアジサイを主役に生けました。花の高さや葉っぱの生かし方が特に苦戦しました。先生のアドバイスを参考に綺麗に花を生けることができたのは本当にいい経験になりました。ワークショップで一番印象に残ったのは、フラワーアレンジメントと生け花は主役が違うということです。花を主役にする生け花は昔からあるもので部屋を明るくするものであることは今の価値観でも変わりはないと感じました。花は命あるものなので生けた後より生けた瞬間を楽しむものなんだなあと、この経験を通じて学びました。日本の文化に触れる機会はなかなかないのでこのような授業に参加できて本当によかったです。

*講義を受け、華道という文化そのものについて非常に理解が深まったと同時に、日本文化についても考えることができた。華道について、これまではその長い伝統からどことなく保守的で敷居の高い印象を持っていた節があり、植物を操る人造的な芸術だと思い込んでいたが、今回の学習でそれらが全く払拭された。まず、日本における華道文化の起源は室町時代に遡り、さらにその原点は中国にあるということだが、それ程長きにわたってこの文化が日本において継承されてきた理由について考えてみると、そこには自然を愛し、美の原点は自然の中にあると捉える普遍の美的感覚があるのではないかと思う。表現技法である「立花」や「生花」は、自然の景観、あるがままの姿を屋内で再生させることを実現しているからだ。植物そのものが持つ美しさを最大限に活かしながら、ひとつずつ大切に生けていくという過程に非常に感銘を受けた。また、現代に至るまで、伝統を重んじながらも新しい表現や技法を取り入れ、常に進化し続けているという自由で柔軟な部分も華道文化の継承や発展に大きく貢献しているのではないだろうか。国際化が急速に進んでいく今日を生きていると、自分を取り巻く環境には国境がなくなりつつあるように感じることがある。それは異文化と共生していくという点では良い影響を及ぼしているが、一方で自分自身のアイデンティティーや文化に対する認識を薄れさせてしまうこともあるように思う。そのような時にこそ改めて自分たちの文化に実際に触れることが重要で、そうすることによって私たちは再びその大切さや偉大さに気が付くことができるのだと感じる。

*華道の講義を受けて、華道は高貴で近寄りがたいイメージという今までのイメージが変わり、挑戦してみたいと思うようになった。「花を飾ること」と「建築様式」は密接に関わっていて、華道は命を生ける文化であり、花をいけることや花をさすという動作に色々な意味が含まれていることがわかった。また、華道の花を主役として花を人に見立てているところに日本文化を感じた。講義後のワークショップでは、少しの素材だけで作品を作ることができること、シンプルなところが逆に良さとなっていること、活ける位置を変えるだけで作品全体に大きな変化が出てくることなど様々なことを感じ、華道の楽しさに触れることができて楽しかった。

*今回の授業で日本の伝統文化である「華道」について学べたことは、私にとって色々な発見があってとても良かった。「さす花」は漢字で表わすと挿すや指すであり、「いける花」は漢字で表わすと生けるや活けるであることを知った。ここには大きな違いがあり、「さす花」は行動を示していて、「いける花」は人を思いやるように花の生命をいかしていることを示している。言葉の表現ひとつでここまで意味が変わってくるのは日本語の醍醐味であり、英語のように他の言語に比べて言葉の表現力があるから、日本人には趣深い心があると思った。華道の歴史がこんなにも古くからあるものだとは思わなかったし、その時代の文化に合った形で華道は活きてきたのだなと思った。 全体を通して、今まで華道について学ぶことがなく日本の伝統文化の一つという認識であったが、授業を受けて日本人特有の奥深さや風情が出ていて決してなくなってはいけない文化だなと感じた。どうしても現代では、ウェディングのときなどにフラワーアレンジメントで装飾をしたり、海外の文化を取り入れたりしていることから、なかなか自分から行動しない限り華道に触れることは少なくなってきているが、日本の文化の原点に立ち返ることも重要なのではないかと思った。

*今まで私は花を綺麗に配置を考えて飾り、自然に無造作に生えている庭とは違い、置物として見ることができる作品にすることを生け花なのだと考えていましたが、それは全く違うのだと気付かされました。生け花は花自体が主役であり、花の命に趣を置いていることを知りました。なので、常に一番花として良い状態を保とうとしたり、全ての方面から見て、綺麗である必要はないのだと感じました。花の命は蕾の若さから花開いて成熟した雰囲気、そして、老いて散るこの時間の経過までもが華道では表現として扱われることに、昔も今も変わらない日本人の心を感じることができました。桜に日本人が心うたれたり、花見として桜を見に行くことが恒例となっているのかと考えた時に、この華道が大切としている花の命と共通したものを私は感じました。日本人は人の一生、生まれてから老いて散るまでに思いを馳せるのだと思いました。そして、花を見て自分自身の人生について振り返ってみて、花と自分を重ねるのだと考えました。華道は人の人生を表している貴重な芸術であり、その芸術を見て感じることにより、私達が人生について考える機会を与えられているのだと思いました。このような人の人生と重ねることができる華道では、花一輪の生について人を思いやるように大切に扱うということを学びました。現在の花の状態だけでなく、未来や過去の見えない部分についても考えて生け花をしているのではないかと考えました。また、花を考えるという面から、花のイメージについても考え、生け花をしているのだと考えました。人も人それぞれその人のイメージというものがあると思います。それは人と花の共通点の一つであると思いました。そして、華道とフラワーアレンジメントとは大きな違いがあることに驚きました。 今日学んだ、生け花の特徴は人の言語の特徴に似ているように感じました。私達は会話において間というものを大切にしていると思います。常に一定で抑揚無く話すのではなく、間をあけることや抑揚をつけることで、何を言いたいのかという話題の中心を捉えることができると思います。これは生け花の空間の作り方と似ていると考えました。何をメインにするか、そして、メイン以外のものをどのような活かし方をするかと考える過程は私達の会話における言葉のつむぎ方に非常に似ていると感じました。メインの大きな花にあたるのは会話上で話題にしているトピック、そしてメインを引き立てる花は、ニュアンスなどを変える言葉に似ていると思います。例えば飴が5つしかないと5つもあるでは、飴が5つ並んでいる写真を見たりすることには違いはありません。しかし話している人がその写真をどのように受け取っているか、ニュアンスは真逆と言えるでしょう。ここで言う「〜しか」と「〜も」はメインの話題、つまり飴というワードではないが、大きな影響を与えていると考えられます。これが生け花でいうメインの花でない、草や葉や茎などの活かし方と同じあると感じました。また生け花の余白、空間は作者の心の表れであるととれると感じました。その余白を大切にすることにより、想像の余地を与えられていると考えました。これは日本文化独特の特徴であり、会話においても余地を残す、言葉を濁すなど、相手に委ねる部分があり、共通点があると感じました。 生け花だけが作品ではなく、置かれる空間も含めて作品なのだと思いました。それは私達が発話状況、環境、相手などを考えて言葉を変えたりする試みと似ていると考えました。発話状況を知ることにより理解が一つに定まるということはよくあり、会話に環境がどれだけ影響力があるのかと考えさせられることがよくあります。 今回の授業で生け花を実際にさしている場面を見学して、動作、行動を感じることができました。ゆったりとした時間の中でも、メリハリのある行動がとても印象的でした。

*空間を重要視するのが日本独特の美なのだと分かった。そして、「華道」は花の部分だけでなく蕾や葉や茎、さらには枯れている所も使用していけるのだと知った。それは単に綺麗に活けるだけではなく、蕾になり、花が咲き、やがて枯れるという花の一生を表現しているのだと思い、本当に花の命に重きを置いており、花に心を尽くしていることがよく分かった。また、以前「華道」をについて扱ったテレビ番組で講師の方が「花をいける際に左右対称にするのはあまりよくない」というようなことを言っていた。その時はよく分からなかったが、今回の講習を聞いて、左右対称にするとやはり人工的な感じが出てしまい、自然で生き生きとした花の良さが十分に表現できないからなのではないかなと思った。 ワークショップでは、基本的な花のいけ方やさらに美しくいけるためのポイントなどを学べたことが大きな収穫だった。例えば花瓶にいける際に花が滑って安定しない時は茎を切って花瓶の中につっかえ棒のように入れて花を安定させると良いということや、楓は少し茎を弛ませ、枝の下の方の葉を取り、枝の分かれ目をきれいに見せるいけ方を学ぶことが出来た。どれも特別な知識や技術は必要としないアドバイスで、簡単に取り入れられるものだと思った。メインの花から選び、それに合わせて2,3種類の草花を選んでいけていくのが基本的なやり方のようだが、端から見ていて私には美的感覚が無さ過ぎて何をどう合わせるのが良いのか分からず、すごく難しそうだと感じた。しかし、私は高校の3年間茶道部に所属しており、その時も入った当初は作法についてもお茶の道具についても全く分からず覚えるのが大変だったが、作法や道具のことを学んでいくと徐々に楽しさに変わっていき、お茶会に行っても緊張はあったが楽しめるようになった。なので「華道」も初めの内は感覚が分からず難しいかもしれないが、慣れたらきっと面白くなるだろうしはまるだろうなと思った。

*華道というものが、花を「生ける」芸術だということがわかりました。 花弁の部分だけでなく、葉や茎の部分を使うことで、若い花の瑞々しさ、枯れゆく花のわびしさなど、花のさまざまな生き様を切り取り表現しようとした「華道」、人間を引き立てるために花の持つ力を用いた「フラワーアレンジメント」、両方の違いも知ることができました。

*これまで私は「花をいける」ということについて深く考えたことが全くありませんでした。それゆえに始めは「華道」と聞いてもただ単純に花をうまい具合に綺麗に生けていく、というイメージしか浮かびませんでしたが、華道の主役は花そのものであり、空間や余白を大切にすること、そしていつでも満開の花を使うわけではなく、蕾や少し枯れてしまった部分も使うことで過去や未来も表現し得るという大きな違いにとても驚きました。「華道は、花の持っている自然の中の美しさを最大限に表現するもの」という高森さんの言葉がとても印象に残っています。実際に、ワークショップでは2〜3種類ほどの決して多くない種類の植物でとても洗練された作品が創られていましたが、それがまさに花を「生ける(活ける)」ということなのだと考えました。 華道のような日本文化が何百年も受け継がれているということは、実はとても凄いことであり、大切にされるべきものであると思いますが、私たちは普段それに気付くことはあまりありません。しかし、例えば元旦に多くの家庭で飾られる門松が神に向けた家の目印であり、家が長く繁栄し、続いていくようにという思いを込められて受け継がれている文化であるように、気付かないだけで、日常生活の中にも日本文化を見ることは出来ます。今回の講義・ワークショップは私にとって、文化に止まらず、当たり前のように倣っている日本の習慣も受け継がれてきたものだということを考え、これから様々な文化や習慣に日常的に興味を持とうと考える機会となりました。

*まず、華道とフラワーアレンジメントの区別が恥ずかしながらついていなかったが、全くもって質の違うものであることを学んだ。 草花それ自体の持っている持ち味を十分に生かし、時には余白部分も生かすという華道の考え方は、日本的な「美」の考え方を凝縮しているように感じる。花の命を生かす、「いける」という考え方も含め、今まで考えたことのなかった世界が広がっていた。つい華美で装飾の多いものに魅力を感じてしまうが、シンプルな美をしっかりとしっかりと受け止められる人間でありたい。 また、華道において華やかなものが悪であるというわけではないのが魅力的な点であるとも感じた。見せていただいた自由花の写真などはとても華やかであった。華やかであることもまた、花の魅力であり、それぞれの花の魅力を生かすことが重要であるという考え方が深い。これは、花を人に例えるという考えとつながっているように感じた。人も、華やかな人もいれば楚々とした人もいる。それぞれによさがあり、その良さを最も引き出すスタイリングがある。これは人も花も同じことであるだろう。最近「量産型」という言葉を聞く。確かに、大学でもよく似た女の子たちを見るように思う。もっと一人一人の良さを生かすことができるように思うのは私だけだろうか。折角すっきりとした美人なのに目を無理に二重にしている人を見ると、なんとなくもったいない気がしてしまう。華道においては花の良さを人に例えつつ生かすという発想があるのに、昨今人のよさのモデルは画一的になり、花のようには生かされないというのは大いなる矛盾をはらんでいるように感じる。華道の考え方が広がれば、もっと世間は生きやすくなるのではと考えてしまった。 そして、華道が歴史を吸収してどんどん変わっているというのが、興味深かった。日本の美の概念は時代、特に為政者の意向を反映し、華やかな物と簡素な物の間を移り変わっている。そしてついには、庶民が価値観を決定する社会になっていく。華道はその間を軽やかにくぐり抜けて、現代にいたるまで新たな美の形を作り続けているのだと思うと、その時代その時代で華道の新たな形を作り上げた人たちに対して尊敬の念が芽生える。また、今後は先生の様な方たちが形を守りつつ発展させていくのだろうと感じる。今の日本の在り方を華道はどのようにうつすのか、50年後、100年後、華道はどのような形になっているのか興味深いと考える。

*今回、初めて華道というものに触れました。今まで、華道というのは格式が高く、私たち一般人はなかなかやる機会がないものだと思っていました。しかし、今回授業で講義を受け、もっと身近なものだと感じることができ、機会があれば自分もやってみたいと思いました。いくつもの花の組み合わせで成り立っていると思っていた生け花も、1輪の花と花瓶だけでもしっかりとした作品として成り立っていて、花の「生」というものを強く感じました。日本の伝統文化である華道。おもてなしの精神が存分に詰まっているように感じました。私は日本人でありながら、自分の国の文化をよく知りませんでした。グローバル化が進む中で、他国のことばかりを気にしていましたが、まずは自分の国の伝統や文化を知ることが第一であると気づかされました。日本の良さをもっと知らなければ、他の国の人に伝えることもできません。

*花が大好きで華道にも以前から興味がありましたが、実際に目の前で花を生けるのを見るのは初めての体験でした。冒頭のさす花、いける花の話で「”花を挿す・指す”という言葉にはどちらも手へんが使われており動作を表すのに対し、”花を生ける・活ける”という言葉は生命を表すのだ」という言葉が印象的でした。 花の命が主役で余白や空間という概念を重んじる華道の違いに日本人らしさが表れているなと思いました。私は葉や茎、つぼみ、時には命の終わりを迎えようとしている枯れ葉をも用いる華道のほうに魅力を感じました。そのように感じるのはやはり日本で生まれ育った証なのだろうかと思うと同時に、花を主役に”花を生かす”という華道の文化を誇りに思いました。このような気持ちになれたことで改めて花や日本が好きになり、とても有意義な講義だったなと思いました。 最後に、高森先生が「異文化交流をする際には、まず自国の文化を知り、その魅力を外国の人に伝えることが出来なければならない。そのためには日本に留学に来たつもりでたくさんの事に興味をもって、積極的に学んでいってほしい」とおっしゃっていました。日本に留学に来たつもりでという表現にとても納得したので、まだまだ知らない日本の文化を積極的に学んでいきたいです。

*『花を生けるとき、多くの花材の中から選び、必要なものを判断し、決断して切ったり矯めたりを実行し、自分の作品を造りあげています』という部分に感動しました。 わたしが華道を習っていたころは(本格的な華道ではなくあくまでも子供たちに文化を触れさせるための目的だったのかもしれませんが)、幼かったということもあり、花を生けることに細かいことは何も気にしていませんでした。 しかしそのような表現を聞き、わたしは当時の自分はもっとひとつひとつ考えながら生けていたら今の自分の物事への考え方は違っていたのではないかと思いました。 外国への憧れが強い日本人ですが、やはり自分も含めて、まずは母国について何かひとつでも深く語ることができるようになるべきだと感じました。 せっかく、海外から注目されるような独特な文化を多くもっている日本なので、もっと自国を好きになっていきたいと思いました。

*今回の華道セッションを受けるまで、生活の中で華道について深く知る機会はほとんど無かった。恥ずかしながら、華道は和風に生けた花でフラワーアレンジメントは華道を洋風にしたようなものだとしか考えていなかった。 華道は変わりゆく花々の姿をその時々に楽しみながら長期的に花の魅力を味わうという印象を受けた。 花開いた様子のみが中心となるのではなく、つぼみの段階や枯れ始めている段階についてもまた違った趣を感じることができる。また、それぞれの花の育ってきた環境や、その花から感じるとることのできるイメージをありのままに表現し、その花らしさを作品に活かすということから、華道は人生と似ているのではないかと感じた。人生も若い頃があって今という時があり、やがては年老いていくが、その時々で良さがあり、大きな時間の流れの中で味わいが変化していくのであると思う。このように、生命の一生を長期的に見て、過ぎていく時間の中に美しさを見出そうとするという点で、人生と華道は似ていると感じた。 日本の文化として華道について知り、実際に華道をなさっている高森先生がどのように花々の個性を活かして生けていくのかという様子を拝見したことによって、日本人として世界に誇れる日本文化について触れ、自然を大切にし、自然と共に生きていく日本の文化の特性について気が付くことができた。華道は世界に誇れる日本文化であるということを実感したので、より深く華道について学び、実際に体験する機会を持ちたいと感じた。自分は比較文化副専攻を履修しているが、文化比較という視点からも自然の流れを大切にする日本文化として華道をとらえ、西洋的なフラワーアレンジメントとは違う点を学ぶことができたので、非常に貴重な経験になった。

*今回、華道のワークショップでの経験は私にとって初めてのものであり、貴重な時間でした。私は今まで華道はテレビでしか見たことがなく、私自身お花が好きでよく近所で摘んだりして花瓶にさしますが、「花をいける」ということを意識したことはなかったです。しかし、この講義を受けて「華道とは何か」「花をいけるとは何か」を学びました。華道の歴史は長く、長い間日本の生活を飾ってきたのです。それは「命を生ける文化」へ受け継がれています。私が一番印象に残っているのは「さす花」と「いける花」の違いです。 華道では「いける花」、生ける、活ける、つまり「生命」を大切にしてるのです。華道での主役は人ではなく「花」です。どうやっていけたらこの花は一番輝くのか。どの向きが一番きれいに見えるのか。この花の美しさを引き出せるのか。私は華道の事はまだあまり知らないけれど、高森先生が常に花の事を思い、考えていけていて、だからこそ美しい作品になるのだということはすぐにわかりました。そこには花に対する「愛」を強く感じ、華道において、センスや才能よりもまず大切なのは花に対する愛情なのではないかと感じました。こんなにも美しい文化が日本にあることをとても誇らしく思いました。

*今回、言語文化論の授業で華道の講義を受けて、自分自身の日本文化に関する知識のなさを再認識しました。日本の小学校や中学校、高校では歴史の授業を通して華道や茶道、書道などの日本文化について学びますが、実際に体験する機会はほとんどないので、今回の華道の講義はとてもよい機会になりました。現在国際化やグローバル化が叫ばれている中で、私たち日本人は欧米の文化を学び、取り入れることに必死になり、自国の文化を積極的に学ぼうとすることはほとんどありません。他国の文化をより深く理解するためにも、自国の文化を学ぶことはとても重要な意味を持つのです。また、日本人にとって日本文化を知るということは日本人としてのアイデンティティの形成においてもとても重要です。このように考えると、今回の華道の講義はとても有意義なものになりました。一時間半という時間では少し物足りない部分もありましたが、偉人たちが作り上げてきた日本の文化を、少しでも知り、また体験できたことはとても良い経験になりました。

*高森梨津子氏の華道、それは私の思っていた「格式の高い、由緒ある日本伝統的な芸術」とは異なっていた。私は華道とは時代に受け継がれる伝統芸術でその一端を知るだけでも深い教養と知識、見聞が必要であると思っていました。なぜなら、直接的に日本文化を体現する芸術であるからです。今や世界に注目される、趣があり美しい日本文化はそれを生んだ国日本の人々が背負い世界へ正しく発信しなくてはならないものであると感じています。よって華道を知ることはそれだけで敷居が高く感じていました。しかし、この授業で高森先生が話してくださったこと、そして実際に身近な東京女子大学に咲く花を花瓶に生けてみる、これらを通して華道の美しさ、親しみやすさを感じました。また、とくに印象的だったのは、数名が教室の前に出て皆を代表して花を生ける際、挙手して名乗り出る学生は至極控えめでなんだか自信がなさそうだけどやってみよう。そんな風に思いながら前に進んでゆきましたが、いざ実際に花瓶に生け始めるとなんと生き生きとした表情、そしてその無駄のない美しい自然体の動作に驚きました。完成すると皆に見せておりましたがなんと自信に満ち、すっきりとした表情をしているのでしょうか。私は華道の見えない力を感じました。


私の講義の後に東京大学の大学院へ留学しているYさんに「華道」のテーマでプレゼンテーションしていただきました。Yさんは4年間違う流派で華道を学び、そして池坊華道と茶道を学びに私の教室へ通っています。その内容は本当に素晴らしく、講義を聞く同じ大学生へも過大な刺激があったようです。その感想は私のことではないので憚れるのですが、代表して3名分のみ記載させていただきます。

*日本は古来より中国の影響を大いに受けており、中国から取り入れた多くの風俗・風習が、現代に及ぶまで私たち日本人の生活に深く浸透している。中国と日本は言うまでもなく非常に密接に結びついている関係にある。今回の講義では、日本の文化について関心を抱いてくださっている中国人の方と一緒に華道について学んだことで、両国の深い結びつきをより身近なかたちで感じることができた。また、Yさんの諸活動に関するお話を聞いて、中国出身の彼女が日本の文化に対して興味を持ち、学んでいるということについて非常に嬉しく思った。また、同時に、日本文化が他国の人々からも評価されているということで、改めて自分の文化に誇りを持つことができた。この経験は、私自身にとって非常にすばらしいものとなったと思う。多文化を有する人々と混ざって華道というひとつの文化を見つめることで、「日本に特有の文化」という側面に焦点を当てて理解を深めることができたからだ。この体験から、異文化間での交流を通じることで、人々は相互の文化を理解するだけにとどまらず、自身の文化に対しても認識を深めることができるのだと思った。まず私自身については、高森先生やYさんのお話を伺って日本文化に対して新たな思いが芽生えた。一方、Yさんは日本文化としての華道を学びながら、華道の原点であり、かつ自国の中国が持つ文化に対して改めて誇りに思うだろう。互いの文化の共通する部分、そうでない部分について理解し合いながら、今後も中国と日本の文化交流が更なる発展を遂げていくことを望んでいる。

*Yさんのプレゼンテーションは実にすばらしかったです。東京大学のTEDに参加したと知り、いかにうまく言葉を操り人を説得させるプレゼンをしてくださるのだろうと思いましたが、想像以上に楊さんの華道に対する想い、感じたことが自分のことかのようにストレートに伝わってきました。華道を通して感じたことの中で、人と人とが助け合い、皆で華道をするという言葉に感動しました。そののちの、楊さんの好きな言葉、「己事究明」にははっとさせられました。己自身の真実を究明することが華道でできる、そう気づかされ、華道の尊さを感じました。

*Yさんは、自分の国の良さを知った上で日本のことを学んでいて、私よりも日本の良さを知っているように思いました。日本と中国を繋ぐ架け橋になろうとしている姿はとてもかっこよかったです。そして、Yさんがしきりに口にしていた「縁」という言葉。様々な縁を大切にしている楊さんのように、私も縁を大切に、そして繋がりを大切にしていきたいと思いました。


非常に長くなってしまってすみません。読んで下さった方、ありがとうございます。
二年にわたり、大学で講義をするという貴重な体験をさせてくださった先生に深く感謝いたします。
「池坊」の看板を背負うかぎり、間違ったことを伝えてはいけないと 私も非常に勉強しました。
何年学んでも尽きないこの世界。きっと、ゴールというものはないのかもしれません。
けれど、だからこそ学び続けていく姿勢そのものが大切なのだと信じています。
学生のころ、全く勉強などせず野山水辺を遊び廻っていたわたし。もしかしたら「今」学ぶために体力を蓄えていたのかもしれません(笑)。「遊び」の中には沢山の“発見”や“気付き”があります。
忙しい毎日だからこそ、少しだけ自然を感じて生きて行きましょう? 実は目の前にまだまだ沢山 “自然” はあるのです。


日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。 https://www.facebook.com/


西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室
蓮心会 高森 梨津子
 

女子大学で華道講師

2016年7月25日 Category: blog
 今年6月 昨年に引き続き、西荻窪にある女子大学にて「華道」の講師を務めさせて頂きました。
先ずは、許可を得て学生と一緒に花材を採集。  花採取
広い構内。色とりどりの紫陽花や荻、一見地味だけど味わい深いお花が沢山あります。

講義は、
① 何故、花をいけることが「日本文化」?
② 「華道」と フラワーアレンジメント との違い
③ 「花を飾ること」と「建築様式」
この三つのポイントを軸に、池坊は「一輪の花の中にある私たちと同じ貴重な命を扱う教え」だと伝えました。人が人を思いやるように草木を思いやる。どんな環境で行きてきたのか、光を好むのか陰を好むのか・・
そして、形だけではなく どのように生けたらその命が輝くように見えるのかを大切にしている、と。

古今東西、世界中の人が花をいけています。
しかし、この花を生けることを「文化」「道」として伝承しているのは “日本”だけです。

ではこの日本で「花を生けること」が いつ、どのように「日本文化」として成立して行ったのか。
今年作ったビデオを上映し、説明しました。
   レクチャー4 レクチャー5
平安〜鎌倉〜室町〜安土桃山〜江戸〜〜現代までの時代の流れを7分のビデオで説明するのはかなり無理がありましたが、時代背景と共に人の心の求めることが変化し、それが建築物・文化に表わされるようになってきたということは伝わったようです。
「華道」の歴史は、そのまま「日本の歴史」なのです。
講義の後に生徒が 身近な器に実際に花を生ける実演を。私はほんのちょっとだけ、手直し。
     実演

今年は、私の講義の後、家に稽古に来ている中国からの留学生Yさんが「華道と私」を“縁”というキーワードでプレゼンテーションしてくださりました。同じ学生としてのYさんが真摯に「日本文化」を学ぶ姿に学生達はとても刺激をうけたようです。

後日、この「華道セッション」授業のアンケートが届きました。
とても感動する内容ながらかなりの長文なので、おって紹介させていただきます。


何も知らなかった私を育てて下さった師匠がいてくださり、今の私がいます。
その、恩返しのためにも 伝えて下さったことを そのまま手渡すことのお手伝いが少しでも出来たなら、こんな幸せなことはありません。
そして今回このような貴重な機会を作って下さった女子大学の先生に深く感謝致します。
ありがとうございました。


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