蓮心 表千家茶道教室 池坊いけばな華道教室

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蓮心会 令和2年「教授者最高職授与祝い」の初釜-その2

2020年12月31日 Category: blog

(令和 2年 初釜報告のつづきです)

初座への席入りをして、掛物を拝見。いよいよ茶事の始まりです。

茶事の「初座」である「炭点前」は、台目席の室礼で。

台目席にて炭点前

桑の炉縁、釜は勘渓作の浜松真形。

神折敷の炭斗は一閑作、灰器は雲華。羽箒は野雁。

香合は、なんとも愛らしい「子」のネズミ。「大黒様のネズミ」は神の使いですね、榊原勇一さんの今年の作品です。

亭主を中心に生徒たちが選んだ全てのお道具の一つひとつから、みんなの気持ちが話しかけて来るように伝わってきます。

今回の初釜も「前茶」スタイルの進行なので、炭をつがれた後に香合を拝見し「縁高(ふちだか)」で「主菓子」を頂いたあと再び露地へ移ります。

「主菓子」は、「福寿草」でした。鶴屋八幡さんに特注で作っていただいたもの。

「福寿草」

土の中から黄色の花を覗かせているような初春を感じさせる可愛らしいお菓子でした。

最初の玄関で見かけた「福寿草」が、ここへ繋がるのですね。

お菓子の程よい甘さを堪能しながら水で清められた露地でしばし歓談していると、

「鳴物(なりもの)」と呼ばれる銅鑼の音が。

客一同、亭主の存在を感じながら蹲い聴きます。

再び「後座」の台目席へ席入りすると、床の間の掛物は巻き上げられ、そこには花。

山茱萸に紅白の椿

「山茱萸(サンシュユ)と紅白の椿」が、毎年京都「高野竹工」さんから取り寄せた青竹の一重切へ勢いよく生けられていました。

亭主の心がダイレクトに響き届いてくるようです。

「後座」の室礼は、

水指 「備前耳付、伊勢崎 滿作」

茶入 「鉄釉、橋本 豊作」

茶杓 「松風、三玄院 長谷川 寛州」

亭主の点ててくれた「濃茶」を、松楽の「島台」の茶碗でいただきます。

心を込めた濃茶が点てられます。

 お濃茶は、なんとも言えない豊潤な味で、その余韻にしばらく酔ってしまいました。

今年初、猶有斎のお好の ぎおん辻利詰「柏樹の昔」です。

「柏樹」とは、大本山建長寺管長 柏樹庵老師(吉田正道)さまからいただいた茶銘だそうです。

「茶事のメインディッシュ」である濃茶を堪能した後、一旦露地に移り、再び席入りします。そこは広間席に室礼を変えられていました。

床の間には、小田雪窓一行「日々是好日」の掛物。

森下典子さんの本を読んだことがきっかけで茶道を学びたいと思った社中が多い私の会の、この日にピッタリです。

色絵梅鶯図の香合も飾られ、五代 浅見五郎助作の窯変花入れには、紅白の梅と椿が元気よく活けられています。

先ほどの緊張感のある台目席の室礼とはうって変わり、明るく華やかなお席です。

「前茶」スタイルなので、これからゆっくり茶懐石を頂きます。

折敷には、炊きたてでまだ蒸されていないご飯、白味噌仕立ての味噌汁に結び麩、お向こうは、鯛の昆布締め。

最初の折敷

茶懐石のメインの煮物碗は「海老真薯」鈴菜、人参、柚子を添えて。

一汁三菜なので焼き物は「鯛の西京焼」。

炊合せは「海老芋、穴子、絹さや」、

「蓮根、ほうれん草の梅酢和え」の強肴、

口直しの小吸い物は「蓮の実」。流石、蓮心会です。

飯器、焼物、預け鉢など

八寸は、準備の時に私の好みを聞かれたので「香箱蟹」をリクエスト。「菜の花の昆布〆」と共に。

八寸は「海の幸と、山の幸」

茶懐石は、湯と漬物(沢庵、守口漬、柴漬)で締めくくられます。

手間暇惜しみなく皆で手作りしてくださった一品一品は、本当に、全てがしみじみと身体に沁みる美味しさでした!

茶事の最後は、この茶事を名残り惜しむ「薄茶」の時間です。

薄茶席は華やかです。

・・・楽しい時間は、あっという間に感じます。

客は全部で11人。次客と三客に私の古くからの大切な茶道仲間の友人、そして「蓮心会」の名付け親である親友に参加していただき、後の8人は社中の比較的初心者の方が「客役」として参加しました。

半東役と、客役、そのどちらの役も大切だということを大きく理解した心配りでした。

今回の茶事の最後に、皆さんからお祝いに『宗梨百首』という、蓮の絵の和紙で手作りで装丁された一冊の本を頂きました。

「宗梨百首」

「蓮心会」とは、私が蓮の花が一番好きなので親友が名付けてくれた会の名前です。

「利休百首」という利休が言われた言葉をまとめたと云われる本がありますが、生徒たちが準備期間中に、私が日頃稽古中に伝えてきた言葉を百にまとめ、その言葉を私の茶名「宗梨」にもじって「宗梨百首」として手作りしてくれたのです。

私が伝えている言葉が百首となって・・

この贈り物に私は、ものすごく驚き、心から嬉しく思いました。

思い返すと今回の茶事は、この「蓮」のテーマが至るところにちりばめてありました。

社中18人が初めての試みに、一致団結し、見事な茶事を開催してくれました。

茶道を学ぶものとして一番大切なのは「茶事」を開くこと。招き、招かれて学ぶものと長年教わってきました。

「日々の稽古も、この茶事のための割り稽古のようなものなのよ」と伝えています。

自分が開くこことも毎回精一杯な「茶事」ですが、実はその大変さを超えたもてなす側の喜びも同じくらい大きく深いのです。

いつの日が生徒たちへも、この醍醐味を味わってもらいたいという思い、その願いが今日叶ったのです。

私は、世界一幸せな茶道教授だと思いました。

皆への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

『皆さん、素晴らしい茶事を開いてくださり本当にありがとうございました。

これは、一つの始まりです。これからこの体験を元にますます茶道を学び続けてください。』

 

時が経ち、

今春、新型コロナの感染が広がり、感染拡大防止のために私の稽古場も4・5月はお休みしました。世界中が初めての経験に、戸惑いました。

私は、稽古を休むに当たり、「この時期だからこそ出来ることをしよう」と、生徒たちへメールマガジンの発信を直ぐに始めました。私の社中は若い人が多いので、家元を離れ一人住まいをしている人が多いです。ご家族や、パートナーがいらっしゃるならまだ会話も出来ますが、こうゆうときは孤立してしまいがちです。人はひとり生きていくのは辛いものです。メールという手段ででも、横の繋がりを大切にしたいと思ったのです。

しかしもしかしたら、本当は自分が一番辛かったのかもしれません。

最初は週に一回ほど・・と思っていたメールマガジンも、時間があることに任せてどんどん膨らんでいきました。

「会えていないけど、繋がっている」。そんな実感を持てたのは、この素晴らしい茶事を終えていたからだと、今、つくづく思うのです。

実は、初釜の後、この初釜茶事がどれだけ素晴らしかったかを伝えたく、何度もパソコンの前に座りました。

そして本当は、もっと掘り下げて内面的なことを書きたいと思っていたのですが、それを表現するには、私の文章能力のキャパを、完全にオーバーしてしまいましたので、今回はレポートとして綴ることにします。

何かの機会にまた書きたいと書き溜めておきます。

茶人が一年の締めくくりの稽古で掛ける掛物に『無事』という言葉があります。

「今年も無事に、一年を締めくくることが出来、目出度いですね。」という意味です。

何も無い、と書いて「無事(ぶじ)」。

きっと茶道に携わる多くの人が、その言葉の深さを今、思っている事でしょう。

今後、自粛期間に生徒とシェアしたメルマガを少しだけですがこの「その他のお知らせ(ブログ)」のページへ掲載していきたいと計画しています。

そして、そうしたメッセージを細々とでも続けていきたいと思います。

YouTubeも企画しています。

来年への希望がたくさん湧いてきます。

有言実行。来年もよろしくお願いいたします。

まだまだ書ききれませんが、お許しください。

皆さま、良いお年をお迎えください。