蓮心 表千家茶道教室 池坊いけばな華道教室

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「桃の節句」

2017年3月3日 Category: その他のお知らせ
「灯りをつけましょぼんぼりに、
 お花をあげましょ桃の花・・・」
萌え出た草木が勢いづき、「いや生(お)い茂る」弥生(やよい)月。

梅や水仙など、冬の厳しい寒さの中に懸命に開く草木から、連翹や菜の花など明るい花草木が目につくようになりました。そんな自然界の徐々に移りゆく姿に気付く時、心も朗らかに温かい気持ちになりますね。

三月三日の「ひな祭り」は、「桃の節句」ともいわれ、ひな人形や桃の花を飾り 女の子の健やかな成長と幸せを祈りお祝いする行事です。
桃は中国原産で、古来から邪気を払い長寿を約束する仙木、仙花とされています。
桃の花の美しさは「紅(くれない)にほふ」と讃えられる女性の象徴。雛祭りには欠かせませんね。

この時季、茶道では「桃花笑春風」「柳緑花紅」に代表される語句の掛物を掛け、茶花は桃に合わせて菜の花、姫土佐水木などを床の間へ生けます。
海松貝(みるがい)模様の炉縁、貝合わせ香合、菱餅形の水指や蓋置きなど 春らしい道具や、雛祭りに関連する室礼(しつらい)を楽しみます。
お菓子は「引千切(ひきちぎり)」と云う蓬餅を引きちぎった様子の主菓子 や、雛あられ、貝尽くしの干菓子などが茶室を華やかに盛り上げます。
「春の野」と云う主菓子もこの頃の定番です。

華道では、桃の花やスイトピー・麦を合わせた自由花や、生花では桃の一種や桃と菜の花で二種、 また桃に雪柳、ラッパ水仙などで三種も素敵です。 他にも赤目柳や木蓮、山茱萸、小手鞠などの枝ものにフリージアや春蘭などの春の草花を取り合わせて楽しみます。
華道の生花を学んでいると良くわかるのですが、桃は木に面白い特徴があります。 伸びた枝先が途中で留り、その直ぐ下から新たに横枝が丸く伸びていきます。それを繰り返して育っていきますので、桃の木は遠くから見ると「丸〜るい」イメージなのです。
梅や桜や木瓜などとは枝ぶりが全く異なります。


 さて、毎年雛祭りが近づくと 子供の頃に母と一緒に過ごしたひと時を懐かしく思い出します。
家のは小さな雛段でしたがその小ささが好きで、箱から一つずつ人形のパーツをとり出して丁寧に組み立てていきました。(この写真はイメージです)
近所のお姉さん達は一番上段の「お内裏様」と呼ばれる花嫁花婿のような男雛、女雛に夢中でしたが、何故か私は上から二段目の三人官女が持つ長柄の銚子や、三段目の五人囃の小鼓や笛、また脇にある桃や橘の木などの小道具がとても好きでした。
今思うと、家のは桃ではなく桜の花だったと記憶しています。あらためて日本人形屋さんを覗いてみると桜が多いように思います。桜も「魔除け」「邪気払い」の力を持ち、橘は「不老長寿」を願う役割もあるとのこと。どちらも健やかに過ごすための象徴なのですね。

この五節句の一つ、雛祭りが今の様に設定されたのは江戸時代中期。
五節句には 一月七日[人日]、三月三日[上巳]、五月五日[端午]、七月七日[七夕]、九月九日[重陽] がありますが、この頃に一般庶民の間でさまざまな文化が繁栄したのですね。
ひな人形もこの頃から「座り雛」となり、嫁入り道具となったことで豪華なものが作られるようになったそうです。

  「雛まつり」のルーツを私なりに少し調べてみました。

古くは「上巳(じょうし)の節句」と云い、旧暦三月上旬 巳の日、古代中国(後漢)ではこの日に水辺で身体を清め、酒に水を注ぐ祓禊(ふっけい)(みそぎはらえ)の儀式があったそうです。
それが平安時代に日本に伝わり、和紙で人の形を切り抜いた形代(かたしろ)を作り、それで身体を撫でたり、息を吹きかけたりして身についた穢れを移して川に流す風習となったようです。
『源氏物語』の須磨に巻にも、源氏の君が祈祷師を頼んで人形を海に流すという件がありましたね。
また、この「水」と「酒」の厳かな儀式を娯楽にしたのが「曲水宴(きょくすいえん)」で、今も京都上加茂神社などで庭園の曲水に盃を浮かべ、流れ着くまでに詩歌を詠むという雅な遊びが催されています。

「流し雛」の風習は、今でも鳥取県や奈良県、兵庫県、岡山県などの地域で行なわれていて、
その様子をテレビで見たことがあります。
とても幻想的な風景でした。

実は日本でも、古代から農耕儀礼として人の形に作った「人形」を撫でて自分の罪や穢れを移し、息を吹きかけて海や川に流す風習や、幼子に病気や災いがふりかからぬよう天児(あまかつ)・這子(ほうこ)と呼ばれる「人形」を枕元に置いて災厄を移し負わしたり、お守りにしたりする独自の風習があったそうです。
また同じ頃、貴族階級の幼女たちは、男女一対の「人形」や「調度品」でままごとをする「ひいな遊び」がさかんでした。(「ひいな」は「雛」のことで、小さくて可愛いものをさします。)いつの時代も女の子が人形を好んで遊び、紙製の人形に衣装を着せて、その美しさを競い合ったあこがれの縮図だったのでしょうね。


  こうした中国伝来の邪気を払う風習、平安時代の宮中行事「曲水の宴」、そして日本古代からの民族事例が合わさって、女の子の健康と幸せを願う気持ちを「人形」に託して祝う形が現代の「雛まつり」の原型ではないか、ということがわかりました。

このように 紐解いてみると、「人の穢れを移して海や川に流すことで災いを取る」という本来の意味が潜んでいることがわかりました。

その昔、一所懸命組み立てた可愛いお飾りなのに、急いで片付けてしまうのは偲び惜しいと グズっていた私ですが、『お節句が終われば早く片付けるように』『早く片付けないと縁遠くなる!』と云われてきた意味に合点がいきました。
(正直に白状すると、片付けはちょっと面倒くさいとの理由もあったのですが・・汗;)

では、飾る時期を早めればいいのでは?と、調べてみると、地域で様々なしきたりが残っているようです。一番ピンときたのは、二十四節季の「雨水(うすい)」に飾ると良いとの説。今年(H29)の雨水は二月十七日でした。
雨水とは 雪が雨に変わる、雪や氷が解けて水となる。という意。「水温(みずぬる)む」と云う言葉が茶席でもよく聞かれる時節です。「雨水に雛人形」、来年は覚えておくことにしましょう。


さて、おひな様を飾る時「男雛、女雛、右か左か?」が不安になる方多いですよね。
関西と関東で逆だとか?さて、どちらなのでしょう。
その答えは京都の地図を理解する必要があるようです。
まず、内裏(だいり)雛は、京都御所「紫宸殿(ししんでん)」を模して完成されたものです。
その紫宸殿から見た左、右を根拠に考えられますので、「向かって右に男雛、向かって左に女雛」。そして左大臣は向かって右、右大臣は向かって左。また 左近の桜は右に、右近の橘は左に飾ります。『左近の桜・右近の橘』。
京都の人々は御所を中心に暮らしてきましたから、銀閣寺のある向かって右の方が左京区、嵐山の方が向かって左で右京区なのです。
左京は東に位置し、太陽が昇る「陽」の方角、右京は西で太陽の沈む「陰」の方角でもあります。
陰陽道の思想も根強い京都、「邪気を払う」ことをとても重視しているのです。

雛祭りゆかりの食べ物である「菱餅」も、陰陽道では女性の象徴であり、紅は桃花の「魔除け」、白は遠山の雪で「清浄」、緑は母子草やよもぎで、草葉の強い香りが邪気を払い「健康」を表すと信じられていたそうです。
「雛あられ」は貴重な米粒を使い、加熱してふくらませ紅白黄などの糖蜜をまぶしたもの。祖先の少女を雛祭りに参加させる道しるべにしたというやさしい言い伝えもあるとか。
奥が深くて探求し尽くせませんね!

中国では、この日は どのように過ごすのでしょうか?
今度、中国の方に聞いてみることにしましょう。


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