蓮心 表千家茶道教室 池坊いけばな華道教室

西武新宿線沿い西東京市田無駅より徒歩11分の表千家茶道・池坊華道教室

令和三年初釜報告

2021年4月2日 Category: blog

今年は桜の開花が例年より10日ほど早く、私の大好きな桜吹雪が舞うようになりました。

またまたすっかり遅くなりましたが、今年1月30・31日に開催した初釜の報告をさせて頂きます。


今年は年明け 1月8日、2度目の非常事態宣言が発令されました。私は生徒の安全を完全に守れるのか? 正直、初釜を開催して良いものか、とても悩みました。

そこで社中へ『 3月に延期することも可能だよ?』と、聞いてみした。すると生徒たちから言われました。『この事態は、きっと直ぐには変わらないでしょう。私たちがしっかり気をつけますので、先生、いつものことをいつものように続けてください』と。


皆のその言葉に背中を押され、今年の初釜を開催することを決断しました。

『東山水上行(とうざんすいじょうこう)』。「山が水の上を行く。動かぬ山が川を流れて行く。」

今までの当たり前だったことは、実は当たり前でない。どんな時でも自然に学び、逆らわず、 今、できることを コツコツと積み重ねて行く蓮心会。流石です!(自画自賛 笑) 。 

小金井公園の梅。梅の中でも一番好きな「月の桂」。


 一年前の自粛要請の頃から散歩に行く習慣がつき、小金井公園へ行く回数も以前より増えました。そんな中の一月初旬、やはり少し早めに咲き始めた梅の花を常より多く見ることが出来ました。
〈 霜や霧に負けず寒さの中、どの花よりも早く開花する 梅の花〉と、「松竹梅」に例えられていますね。
その美しさ、その健気さは、じっと苦難や試練を耐えて初めて得られるのではないか… その花の姿に、とても感動しました。

私たちの今置かれている環境とあわせ思い、どんな状態でもその中で懸命に生きる植物のしなやかな生命力に改めて気付き、深く感じ入ったのです。


そんな感動を胸に、今年の初釜の道具組を思案していた時、丁丑(1997←24年前!)に即中斎宗匠が書かれた『梅花似照星(ばいかはてれる星に似たり)』という短冊に出会いました。

これは、菅原道真が12歳の時に書いた「月夜見梅花(つきのよにばいかをみる)」という詩です。
「月輝如晴雪(月の輝くは晴れたる雪の如し) 梅花似照星(ばいかはてれる星に似たり) 可憐金鏡転(あわれぶべし きんきょうの てんじて) 庭上玉房馨(ていじょうに たまぶさのかおれることを)」


月の輝きを晴れた日の雪…月の下に咲く白梅の花を星が照る光… に例えるなんて、なんて素敵な感性でしょう!


そして、「照」という字は、まだ先の見えない今の私達の先を照らす “光 ” に感じられ、前向きな気持ちになる良い字だな〜と、思っていたら、而妙斎が書かれた『神光照天地』という、掛物に出会い‥
堀之内宗完宗匠の手づくりの茶杓『白梅』があり、
円山慶祥筆 “(白梅と)人形画” に即中斎が「献春」と賛した「瑞色」と云う華やかな掛物も!

 

「小間では尋牛斎の竹の一重切りに花は紅梅と紅白の椿だな、、尋牛の意味も皆にちゃんと知っておいてもらいたいし」

「香合は、榊原勇一さんに”傘牛“ を特別注文したし、、」

「では、これは、お薄茶席の床の間へ… 青竹に結び柳、大きな富利富利(ブリブリ)香合を紙釜敷に載せて‥」

 
.. と、自分の力ではなく、赤や白の紐が自ら生き物のようにうねり動いて紡いていくように物語が生まれていきました。
去年 縁があり、沢山の素晴らしいお道具と出会うことが出来たお陰です。それを惜しみなく、組み合わせてみました。
こんな大変な時こそ、目にも心にも舌にもご馳走を!

 

そう、この機会に主客ともに五感をフル回転させてあげましょう!

 

お庭も久しぶりに大きくリニューアルです!

亭主と客が無言で踞い、挨拶をするところ。
ここはいつも私の担当。この角度が難しいけれど、ピッタリ合う時は快感!
下:リニューアル前、中:角度をあわせて・・上:完成

沢山の竹を、一本一本タワシで丁寧に洗います。以外にこの作業を皆さん知らない。。

 露地も、3年ぶりに竹垣や門など全て作り直しました。

入り口のフェンスを竹に。
奥の竹垣を風通しの良い感じに戻しました。


懐石料理も、金子サーダ料理長と共に迷いも無く直ぐに組み立てられました。

皆も手伝い、料理教室も兼ねているようです。

細かな作業をコツコツ仕込みが命。

木の芽味噌を作るため、沢山の木の芽の青葉一枚一枚づつとり、
すり鉢で少しづつ擦るのが、実に大変でした!

 


・蟹の蒸し寿司に、錦糸卵 三つ葉 ・(クチナシで色染めた)慈姑・(生の)巻き湯葉炊き合わせ ・活車海老・独活と白蒟蒻の木の芽和え ・絹さや ・蓮根の酢漬け ・沢庵 ・辣韮 又は、牛蒡
・焼物は、鰤の水尾柚子味噌幽庵焼き 

取り分けをせず、一人づつに盛り合わせます。大樋焼の梅の立体模様。

煮物椀は、焼いた丸餅でお雑煮 クタクタに煮含めて中の芯だけ抜いた下仁田葱、山椒の隠し味で煮含めた鴨の胸肉、菜の花、松葉切りした水尾の柚子を添えて。

煮物椀。

・八寸は、金子さんの手作り からすみ と、私の炊いた黒豆を玄関の松葉に刺して。沢庵以外、全て、ここで作りました。

八寸の時間になると、ちょっとホッとします。


主菓子は、鶴屋八幡さんに特注した「誰が里(たがさと)」。 源 俊頼(新古今和歌集)の、「心あれば問わましものを 梅が香に 誰か里よりか匂い来つらん」今年は梅が歌われている詩が道案内してくれます。

開くと決めたなら、広間は思いきり初釜らしく華やかに!
平和な日常が戻って来るように願いを込めて、結び柳。

 

「濃茶席」椿は加茂本阿弥と曙。茶杓が「白梅」なので、花は紅梅を。

全てを広間の室礼で開いたので、ディスタンスは充分取れました。

薄茶は半東さんがお点前を。

名残惜しい時間です。

初釜は、「書初め」を。

 

 仕事の都合などで、稽古へ来られない方もまだいらっしゃいます。庭の手入れをしている時や、懐石の試作や準備をしているとき、そして勿論 当日も、その方々のことを思わない時はありませんでした。その生徒達の為にも、頑張ろうと誓い頑張りました。

 

きっと蓮心会の社中皆は同じ想いだったと思います、『ああ、この感動を来られなかった方々と、いつか分かち合いたい‼️ 』と。
熱い熱い蓮心会のメンバーなのです。笑 

去年のあの、社中の皆さんで開いてくださった初釜から丁度一年。

深い ふかい、一年でした。
確かに、個人的にも大変なこともありました。しかし、去年のことが無ければ見失っていたままでいた大切なことが多くあり、それを改めて見直すことができ、私にとっては実りの方が多かった一年でした。
それは、これから生きていく上で本当に大切な素晴らしい"気づき” でした。
そして、また、この一年で培ってきた蓮心会の皆さんの繋がりは、とても強くなったと感じています。
稽古場で一緒に居ることだけでは無い深い繋がりを感じています。

私たちは、茶道を通して、いつでも 一緒にいると。

今年もじっくり、学んでいきたましょう。

 

令和3年  春分

 

西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室 蓮心会 高森 梨津子

令和2年「秋の茶事」報告

2021年3月1日 Category: blog

我が家の遅咲きの梅の花が満開となりました。

『梅一輪 一輪ほどの暖かさ』

この服部嵐雪(らんせつ)さんの句は、梅が一輪、また一輪と咲く。その一輪くらいずつ暖かくなって春が本格化する。という「早春」の句としての読み方と、「梅が一輪だけ咲いた。」まだ寒い冬のさなかだが、一輪のその梅花くらいの暖かさを感じる。という「寒梅」の「一輪くらいのわずかな暖かさ」という二つの読み方があるのだと、坪内稔典さんの文章で知りました。

 

さて、緊急事態宣言の最中ではありましたが、1月最終週の週末に、令和三年の初釜を無事に納めました。今年も本当に素晴らしい茶事でした。

 

しかし・・その報告をする前に、昨年の秋の茶事の報告をしなければいけませんね。昨年は 4・5月は教室をお休みし、7月頃までは充分な稽古が出来なかったので、例年最終週末に開催する夏の「朝茶」を延期し、「秋の茶事」として9月末に二日間、開催しました。

 

秋も「名月」「菊」「秋草」「紅葉」など、茶事を開きたくなるお題は沢山あります。気候も良いですしね。

実は、私が初めて開いた「茶事」も、9月でした。
平成13年、2001年、9月19日水曜日。20年前のことです。

その頃はまだ、お道具をほとんど持っていませんでした。その頃の会記を見ると、満足でない道具の中で、でも何とか工夫をしている様子が伝わってきて、懐かしさと いじらしさが募ります。

毎年、茶事の度に少しずつ新しいお道具をお披露目し、社中と共に楽しみながらコツコツと経験を積んできました。

さてさて、話は尽きないので去年の秋の茶事報告に戻りましょう。(笑)

   

 〈 寄付き 〉
「引く人も引かれるひとも水の泡 浮世なりけり淀の川舟」
黄梅院の大綱和尚が詠われたものを、堀内宗心宗匠が曳舟の絵とともに書かれた扇面。
煙草盆は奈良漆器、火入れは青楽木瓜、灰吹は胡麻竹。

 


 〈 初座 (炭点前) 〉
即中斎一行「清風動脩竹(せいふう しゅうちくをうごかす)」

「脩竹」とは細長い竹のこと。その竹の葉が、清らかな さわやかな風に吹かれて、さらさらと葉鳴りの音を立てている。

一陣の清風が、涼しげな竹林の間を吹き抜けることによって、なお一層、さわやかな境地を表現しています。

 

大自然の中にいると、特に音に敏感になります。(人間である私が動物に戻る 好きな時間です)

川のせせらぎ、木と木のなかを風が抜け 木の葉がこすれそよぐ音、滝が流れ落ちる音、鳥の綺麗な声や、獣の鳴き声も・・

人が一緒にいる時や、日の明るい時は気にはなりませんが、日が暮れ薄暗くなった道を一人で歩く時は、聞こえるはずの無い音さえ・・とても不安な心になります。

 

多くの「音」は、片方だけでは生まれません。

白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師の創案による「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」の公案もあります。

「両手をたたくと音が出るけど、片手で鳴る音はどんな音?」このトンチとも思える問いの意味に、耳を傾けていただきたいと思います。

 


炭斗 菜籠
香合 縞柿「砧」
砧(きぬた)とは、布を柔らかくしたり艶を出す為に用いる木槌のことです。

能では世阿弥作四番目物で、もの悲しい能があります。能の師匠、東川先生にお聞きした所、「砧」は大奥物で滅多に舞えない非常〜に難しい能だそうです。


・茶懐石は、9月初旬から私とKa(サーダ)さんで献立を練り、試作を重ねました。サーダさんとは、蓮心会の料理長。日本男子です(笑)。


この時勢から取り分けをせず、「吸い物八寸」の手法を参考にそれぞれ一皿におかずを盛り付けました。

↑ 古染付のお皿へ。

・蓮の実と蓮根で炊いた「蓮御飯」炊き上がりに三ツ葉を混ぜて。
・骨までしっかり味の染みた「子持ち鮎」
・手間隙かけた「赤芋の栂尾煮」
・揚げてから冷水で油抜きした「揚げ茄子の含め煮」
・Kotさんが職人のように隠し包丁を入れ、サーダさんが何度も味を付け直してくれた「冬瓜」
・サーダさんが海老の泣き声に(可愛そう…)と呟きながら茹でていた「車海老」
・私がこだわった為にMukさんがシメジを全て半分に割いてくれた「しめじと菊葉と春菊の和物」
・季節の「紅葉麩🍁」
・漬物は、Maさんから頂いたとても美味しい「奈良漬け」と「大根」。


そして、懐石のメインディッシュである煮物碗は「萩真薯」。
Akさんが『もう明日手が上がらないっスー💦』とプチヤンキーになる程何時間も練ってくれました。
細く切った木耳を混ぜ込み、上に銀杏と茹でた小豆で萩華の様に飾りました。炙った舞茸と、鶴菜、丸い青柚を添えて。

煮物碗「萩真薯」


↑残念ながら、何故か舞茸と鶴菜が上に乗ってしまった写真しかありませんが…。


↓仕込み中の皆さんと、

仕込み中

↓エプロン姿がキマりのサーダさん

↑「先生」と呼ばれていて、私へも「そうだね~」と、タメ語でした💧笑

 

・八寸は和歌山から届いた「鱧」を贅沢に白焼きに。私にしては少し甘めにした「茗荷」とともに。

八寸:「鱧の白焼き」にと「茗荷」。


お料理屋さんのものとは、一味違う、家庭的な味付けが新鮮だったと思います。手間隙を惜しみなく隅々まで妥協なくかける茶懐石。
しみじみ、心に染みる美味しさではなかったでしょうか…。

 

そして〈 中立・後座 〉へと 移ります。


・土曜のお花は、「秋明菊」。
これは通常良くあるのものとは違い、かなり小ぶりな品種です。

小振りな秋明菊
秋明菊

・日曜は、「ホトトギス」の白。↓

白ホトトギス

この日に蕾が開きました!

   

両日、「金華山ススキ」と共に、「鮎篭」へ。先程の懐石の鮎と繋がりますね。
「金華山とは、中国の?」と店の人と話していましたが、後から親友のSakさんが、『宮城にも岐阜県にも金華山はあるので、きっと岐阜の金華山だよ』と調べてくれました。


〈広間の室礼〉


・風炉先「松葉紋金箔金雲」
・釜 宗心花押「松竹文真形」
・竹台子の一つ飾りに細水指は陽炎炎の「糸瓜耳付」
・茶入 如心斎好「阿古陀」
・茶杓「銘 山花」宗完作
・濃茶茶碗は、一客一碗で五つ。続き薄では、同じお茶碗がわたる様に半東さんが心してくれました。


・土曜のみ( 7名の為)薄茶碗「杣山(そまやま)焼き」。南口閑粋(みなみぐちかんすい)」作の「秋草と、菊と鶴」の二つが、初お目見え。


・茶器 加賀蒔絵「むさし野」
・建水「焼〆鉄黒様」
・蓋置「武蔵野」乾山写

・御濃茶「猶有斎好 特別引上 楽寿の昔」柳櫻園詰
・御菓子器「真塗縁高」
・御菓子「菊きんとん」鶴谷八幡製
・干菓子は紅葉漆絵の「青漆爪紅四方盆」に末富さんの琥珀合わせ「月に兎」と打物「菊」二色
・薄茶「柏寿の白」祇園辻利詰

・煙草盆は一閑作「溜 鱗透」
・煙草入「寄竹」
・火入「祥瑞」灰吹 染竹
・きせる「如心斎好」

 

↑懐石の様子


↓前日の庭

↓庭師としてもプロ級のサーダさん。大活躍です💪


飛石を造り直しです。

土曜は雨に弄ばれましたが、それもまた勉強となり、新たな気づきも沢山あり収穫でした。

今回は、今年の初釜の成果をとても感じました。今後もさらなる学びの為に皆さんに半東参加をお願いしたいと思います。
何処に旅行へ行くより楽しいので、是非、有給休暇をご活用ください。

特に今の情勢では、海外に行くことも叶いませんので、この時期を「チャンス」と切り替え、この「日本」に、留学してください!


参加した方は思い出し、参加出来なかった方は想像して楽しんでください。

次回に初釜の報告をしますね。


蓮心会 令和2年「教授者最高職授与祝い」の初釜-その2

2020年12月31日 Category: blog

(令和 2年 初釜報告のつづきです)

初座への席入りをして、掛物を拝見。いよいよ茶事の始まりです。

茶事の「初座」である「炭点前」は、台目席の室礼で。

台目席にて炭点前

桑の炉縁、釜は勘渓作の浜松真形。

神折敷の炭斗は一閑作、灰器は雲華。羽箒は野雁。

香合は、なんとも愛らしい「子」のネズミ。「大黒様のネズミ」は神の使いですね、榊原勇一さんの今年の作品です。

亭主を中心に生徒たちが選んだ全てのお道具の一つひとつから、みんなの気持ちが話しかけて来るように伝わってきます。

今回の初釜も「前茶」スタイルの進行なので、炭をつがれた後に香合を拝見し「縁高(ふちだか)」で「主菓子」を頂いたあと再び露地へ移ります。

「主菓子」は、「福寿草」でした。鶴屋八幡さんに特注で作っていただいたもの。

「福寿草」

土の中から黄色の花を覗かせているような初春を感じさせる可愛らしいお菓子でした。

最初の玄関で見かけた「福寿草」が、ここへ繋がるのですね。

お菓子の程よい甘さを堪能しながら水で清められた露地でしばし歓談していると、

「鳴物(なりもの)」と呼ばれる銅鑼の音が。

客一同、亭主の存在を感じながら蹲い聴きます。

再び「後座」の台目席へ席入りすると、床の間の掛物は巻き上げられ、そこには花。

山茱萸に紅白の椿

「山茱萸(サンシュユ)と紅白の椿」が、毎年京都「高野竹工」さんから取り寄せた青竹の一重切へ勢いよく生けられていました。

亭主の心がダイレクトに響き届いてくるようです。

「後座」の室礼は、

水指 「備前耳付、伊勢崎 滿作」

茶入 「鉄釉、橋本 豊作」

茶杓 「松風、三玄院 長谷川 寛州」

亭主の点ててくれた「濃茶」を、松楽の「島台」の茶碗でいただきます。

心を込めた濃茶が点てられます。

 お濃茶は、なんとも言えない豊潤な味で、その余韻にしばらく酔ってしまいました。

今年初、猶有斎のお好の ぎおん辻利詰「柏樹の昔」です。

「柏樹」とは、大本山建長寺管長 柏樹庵老師(吉田正道)さまからいただいた茶銘だそうです。

「茶事のメインディッシュ」である濃茶を堪能した後、一旦露地に移り、再び席入りします。そこは広間席に室礼を変えられていました。

床の間には、小田雪窓一行「日々是好日」の掛物。

森下典子さんの本を読んだことがきっかけで茶道を学びたいと思った社中が多い私の会の、この日にピッタリです。

色絵梅鶯図の香合も飾られ、五代 浅見五郎助作の窯変花入れには、紅白の梅と椿が元気よく活けられています。

先ほどの緊張感のある台目席の室礼とはうって変わり、明るく華やかなお席です。

「前茶」スタイルなので、これからゆっくり茶懐石を頂きます。

折敷には、炊きたてでまだ蒸されていないご飯、白味噌仕立ての味噌汁に結び麩、お向こうは、鯛の昆布締め。

最初の折敷

茶懐石のメインの煮物碗は「海老真薯」鈴菜、人参、柚子を添えて。

一汁三菜なので焼き物は「鯛の西京焼」。

炊合せは「海老芋、穴子、絹さや」、

「蓮根、ほうれん草の梅酢和え」の強肴、

口直しの小吸い物は「蓮の実」。流石、蓮心会です。

飯器、焼物、預け鉢など

八寸は、準備の時に私の好みを聞かれたので「香箱蟹」をリクエスト。「菜の花の昆布〆」と共に。

八寸は「海の幸と、山の幸」

茶懐石は、湯と漬物(沢庵、守口漬、柴漬)で締めくくられます。

手間暇惜しみなく皆で手作りしてくださった一品一品は、本当に、全てがしみじみと身体に沁みる美味しさでした!

茶事の最後は、この茶事を名残り惜しむ「薄茶」の時間です。

薄茶席は華やかです。

・・・楽しい時間は、あっという間に感じます。

客は全部で11人。次客と三客に私の古くからの大切な茶道仲間の友人、そして「蓮心会」の名付け親である親友に参加していただき、後の8人は社中の比較的初心者の方が「客役」として参加しました。

半東役と、客役、そのどちらの役も大切だということを大きく理解した心配りでした。

今回の茶事の最後に、皆さんからお祝いに『宗梨百首』という、蓮の絵の和紙で手作りで装丁された一冊の本を頂きました。

「宗梨百首」

「蓮心会」とは、私が蓮の花が一番好きなので親友が名付けてくれた会の名前です。

「利休百首」という利休が言われた言葉をまとめたと云われる本がありますが、生徒たちが準備期間中に、私が日頃稽古中に伝えてきた言葉を百にまとめ、その言葉を私の茶名「宗梨」にもじって「宗梨百首」として手作りしてくれたのです。

私が伝えている言葉が百首となって・・

この贈り物に私は、ものすごく驚き、心から嬉しく思いました。

思い返すと今回の茶事は、この「蓮」のテーマが至るところにちりばめてありました。

社中18人が初めての試みに、一致団結し、見事な茶事を開催してくれました。

茶道を学ぶものとして一番大切なのは「茶事」を開くこと。招き、招かれて学ぶものと長年教わってきました。

「日々の稽古も、この茶事のための割り稽古のようなものなのよ」と伝えています。

自分が開くこことも毎回精一杯な「茶事」ですが、実はその大変さを超えたもてなす側の喜びも同じくらい大きく深いのです。

いつの日が生徒たちへも、この醍醐味を味わってもらいたいという思い、その願いが今日叶ったのです。

私は、世界一幸せな茶道教授だと思いました。

皆への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

『皆さん、素晴らしい茶事を開いてくださり本当にありがとうございました。

これは、一つの始まりです。これからこの体験を元にますます茶道を学び続けてください。』

 

時が経ち、

今春、新型コロナの感染が広がり、感染拡大防止のために私の稽古場も4・5月はお休みしました。世界中が初めての経験に、戸惑いました。

私は、稽古を休むに当たり、「この時期だからこそ出来ることをしよう」と、生徒たちへメールマガジンの発信を直ぐに始めました。私の社中は若い人が多いので、家元を離れ一人住まいをしている人が多いです。ご家族や、パートナーがいらっしゃるならまだ会話も出来ますが、こうゆうときは孤立してしまいがちです。人はひとり生きていくのは辛いものです。メールという手段ででも、横の繋がりを大切にしたいと思ったのです。

しかしもしかしたら、本当は自分が一番辛かったのかもしれません。

最初は週に一回ほど・・と思っていたメールマガジンも、時間があることに任せてどんどん膨らんでいきました。

「会えていないけど、繋がっている」。そんな実感を持てたのは、この素晴らしい茶事を終えていたからだと、今、つくづく思うのです。

実は、初釜の後、この初釜茶事がどれだけ素晴らしかったかを伝えたく、何度もパソコンの前に座りました。

そして本当は、もっと掘り下げて内面的なことを書きたいと思っていたのですが、それを表現するには、私の文章能力のキャパを、完全にオーバーしてしまいましたので、今回はレポートとして綴ることにします。

何かの機会にまた書きたいと書き溜めておきます。

茶人が一年の締めくくりの稽古で掛ける掛物に『無事』という言葉があります。

「今年も無事に、一年を締めくくることが出来、目出度いですね。」という意味です。

何も無い、と書いて「無事(ぶじ)」。

きっと茶道に携わる多くの人が、その言葉の深さを今、思っている事でしょう。

今後、自粛期間に生徒とシェアしたメルマガを少しだけですがこの「その他のお知らせ(ブログ)」のページへ掲載していきたいと計画しています。

そして、そうしたメッセージを細々とでも続けていきたいと思います。

YouTubeも企画しています。

来年への希望がたくさん湧いてきます。

有言実行。来年もよろしくお願いいたします。

まだまだ書ききれませんが、お許しください。

皆さま、良いお年をお迎えください。

令和二年 蓮心会 「教授者最高職授与祝い」の初釜報告~①

2020年12月30日 Category: blog

令和二年 蓮心会 初釜- その1

(今年も残すところあと数日となりました。以前このブログへ書きましたが、今年はじめに生徒が開いてくれた「初釜」のレポートを記載します。)

一昨々年の令和元年暮、私が「教授者最高職」をいただけることとなり、京都の表千家不審庵にて執り行われるその授与式に参加させて頂きました。

2019年12月31日のブログに書きましたが、一生に一度の本当に素晴らしい機会でした。『これがゴールではありません。これからが本当の勉強のスタートと思い、今まで同様に益々勉強を重ねて行ってください。』と、お家元直々からのお言葉は今も昨日のことように思いだされます。

教授者としての「最高職」を授与することを生徒たちへ知らせた時、社中の代表から『先生、おめでとうございます!この度のお祝いの気持ちを我々社中で何かの形にしたいと考えています。以前からの企画として、来年(令和2年)秋に蓮心会で大寄せの茶会を開くことは予定していますが、それとは別に、私たちで先生だけへの何か特別な企画をしたいと思っているのです。』と、言われました。どうやら社中たち皆で少し前から相談していたようなのです。

そこで、『あら私、蓮心会社中 みんなだけの力で茶事を開いて、そこへ私が招かれるのが夢なのよ。』『初めから完全じゃなくても良いじゃない?茶事を企画するだけでも勉強になるわよ?』と、 即答したところ、

最初は『わ〜〜、何も想像出来ません、先生、そ、そんな大変なこと、私たちにできるのでしょうか・・?』と、一旦は怖気ついていたものの、流石、私の社中です。

腹をくくって『よし、やってみよう!』ということになり、私へのお祝いの気持ちを、お目出度い“初釜”に託して茶事を開いてくれることになったのです。

日時は相談されたその日から4ヶ月後の、今年 令和二年(2020年)、1月26日日曜日と決まりました。

さあ、それからの蓮心会社中の皆さんの働きが、凄かった。

大寄せの茶会ではなく、正式な「茶事」、それを開催することが どれだけ大掛かりなことか、想像出来ますでしょうか。

しかも今回は、生徒に料理人がいるので、その彼を中心に自分たちの手で作ろう!ということに。

今回社中で開く初めての茶事でのこの「亭主役」を引き受けてくれたのは、蓮心会で一番長く稽古を続けているAさん。

Åさんへの社中皆の信頼は厚く、皆、Aさんを中心に何度も案を出しあい、またAさんも皆を信じ、全ての社中が、それぞれに満遍なく「茶事」を学べるように分担し、困ったことがあれば相談に乗りつつ、基本的には任せているようでした。

全員の意見をまとめて進行することは本当に大変なことだったと思います。

懐石担当のメンバーは、何度も試作を繰り返していました。

「あーでもない、こうでもない」と言い合いながら作業するその姿は、真剣ながらも とても楽しそうで、今回仲間に入れない私は、ちょっと羨ましく思いました。

↓ 懐石準備中の社中のみなさん

そうして準備を重ね、前日にはリハーサルをし、当日客へ入れない人も客役・亭主側の役を体験できるようにも配慮していました。

↓ リハーサルの様子

炭点前のリハーサル

↓ 茶室の準備の様子

社中一人ひとりが各自できる限りの力を結晶し、一人ひとりが自分の役割を一所懸命に取り組んでいました。

私はできる限り横から口を出さないよう見守っていました。

さて当日。

懐石準備の架橋です。

私は皆が台所や茶室で準備にてんやわんやしているのを横目に自分の部屋から着物を着て玄関から外へ出、門の前に集まっている方々と一緒に客として案内を待ちました。

寄り付き自分で白湯をご馳走になり、露地草履に履き替え、露地へ案内されました。

・寄付 「子 福無量」東福寺の前管長 福島慶道老師筆

 これは、丙子 平成9年(1997)。24年前ですね。

 竹手付きの煙草盆の中に青楽木瓜形の火入れがありました。

  そして、玄関には「福寿草」の鉢。

↓ 露地草履を履き、露地へ移ります。目に入る全てに水が打ってあります。

社中全員で、手入れされた露地の苔の素晴らしく美しいこと!

清々しい空気が充満していました。

清められた露地
隅々まで水が打ってあります。
苔の美しいこと!

初めて自分の家の露地を客として歩きます!

蹲踞で清めます。
床の間を拝見。

亭主が蹲踞を清め、無言で向かいつけの挨拶があり、私たち客は蹲踞で手と口を清め、席入りします。客として自分が作った露地を歩き、茶室へ席入りするのは初めてです。

今回は、全ての準備を生徒たちに任せていたので、自分の庭ではなく、本当にどこかの御宅の茶事へ招かれた気持ちに切り替えられました。

茶室の室礼を拝見し、亭主との挨拶。

Aさんとは、長い間に過ごした稽古時間はありましたが、こうして面と向かって対峙することは初めてかもしれません。

Aさんと私の間に過ごした今までの長い年月の記憶が一瞬にして蘇り、この日を迎えられるために彼女がどれだけの苦労を重ねたかを想像し、その喜びに感極まってしまい、しばらく言葉を失ってしまいました。

床の間に掛けられていたのは、『関 南北東西活路通』。瑞光院 前田宗源の一行。

実は今回のおめでたい席に、私から用意した掛物があったのですが、それを提案したところ、Aさんから、『先生のお気持ちはとてもありがたいのですが、どうしても私、そして私たちたちにとっては この掛物の方がふさわしいと思うので、こちらを掛けさせていただきたい』と、選んだものです。

‘この関所を通ったら、南北東西、何処へでも活路は開けるよ’

(長くなりますので、今回はここまで。つづきへ)

 西武新宿線沿い 西東京市 田無駅より徒歩11分の表千家茶道教室・池坊華道いけばな教室

 蓮心会 高森 梨津子

令和元年 清祥会華展

2020年1月3日 Category: blog

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、11月23・24日にホテルニューオータニ東京にて開催され令和元年の一大イベント「東京清祥会支部華展」の報告です。前回、東京美術倶楽部での開催から 6年ぶりでした。

「東京清祥会支部創立20年」と私の師匠である「石渡正子師准華老職」を祝う華展です。一流ホテルで華展を開くのは珍しいのではないでしょうか?製作中、ホテルの方が何度も控え室を覗きにいらして『はぁ・・こうやって製作されるのですね、勉強になります。』と(笑)

出瓶総数76瓶、その中で私と社中 5名出瓶させて頂きました。

私の作品。寛永年間、高田安立坊雲泰の絵図を元に。
弟子の作品。砂物立花。
正風体立花。菊が見事です。
生花 新風体。
自由花。入り口正面に。

皆、精一杯自分の生けたいイメージを明確に持ち、自分の力で生けあげました。よく頑張りました。

自分も含めて 6年前に出瓶した生徒も、その間の成長がしっかり自覚できました。

正子先生の茶道社中「雅風会」の皆さんでの添え釜も大好評!次期家元 専好宗匠もご巡視にいらしてくださり、当日の祝賀会も本当に素晴らしく 夢のような二日間、(準備期間を含め四日間)でした。

「花」心にみつる道と技
池坊専永宗匠直筆
華道の花と、茶花の花。
専好宗匠の御巡視、盛り上がりました。

次期家元専好宗匠様は、お一人ずつ丁寧に作品をご覧くださり、丁寧で的確なお言葉をくださいます。

私は、自分が生けた古典立花への思いを『自分が稽古を始めた頃、先生が生けていたこの古典立花に憧れ、「いつかきっとこのような素晴らしい花を立てられるようになりたい」と目指して33年頑張って稽古を重ねてきました。』と伝えたところ、とても感動してくださり、祝賀会でその時の話を皆さんの前でしてくださいました。『師から弟子へ、そしてその弟子がまた弟子へと伝えていく世界。まさに、心にみつる道と技』です、と。

正子先生も、支部設立20周年を振り返り『辛いこと、悲しいことは一つも無かった。ただ、花が好きで、ただ一所懸命 いい花を生けたいという思いだけの日々でした。いい花を生けたいと思うからこそ、健康でいて、気持ちよく勉強に行かせてもらえるように家族とも仲良くする。一つ一つの小さな積み重ねで今がある』と。

先生との33年間の日々が蘇り、その胸に響く言葉に涙が溢れてきました。清祥会一同、感謝の気持ちで一杯でした。

両日で五千名を超える大変大くのお客様にいらして頂き、深く感謝いたします。

本年も、しっかり稽古を重ねていきます。

来年三月に上野東京都美術館にて恒例の華展も開催、華展デビューを控えた弟子も特訓中。どうぞ楽しみにしていてください。

日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.とInstagramにアップしています。

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表千家教授職の授与

2019年12月31日 Category: blog

今年 平成31年は、5月1日から令和の時代に変わるという二度 正月があるような華やかな年でしたね。 おめでたいニュースも多々ありました。同時に、震災や事故 事件も数多くありました。復興にまだまだ時間がかかると聞いています。華道で使用する花材への影響からもヒシヒシと感じ、心を痛めております。

ごく当たり前のように同じ毎日、毎週、毎年を繰り返せるということが 実はかけがえのない “幸せ” なのだということに、年を重ねるほどに深く感じ感謝をします。あらためて一日一日自分の出来ることを大切に丁寧に生きていきたいと思います。

 さて、私の令和元年を振り返ると、大変目まぐるしくもありましたが幸い、毎年繰り返す行事を無事に終えることができました。

特筆すべきことの一つは今年、表千家の最高職である教授職を授与させて頂くお許しを家元から頂き、令和元年10月25日、京都不審庵での式へ出席させていただいたことです。それはそれは、素晴らしい一日でした。

京都 表千家 不審庵にて。

表千家の家元「不審庵」は京都 小川町寺の内にあります。表千家を象徴する門は紀州徳川家から寄進された門構えと石碑。中は通常非公開ですが門構えと石碑は小川通りから見れます。運が良ければ門弟が水を撒いている姿が見られるかも?門構えはとても重厚感があり、内側からヒシヒシと緊張感が漂っています。「不審庵」とは「不審花今日春」の禅言から採られたそうです。

(因みに、同じ敷地内の裏に門を開き千家の茶の湯を伝えている裏千家は「今日(こんにち)庵」。近くの武者小路通りで千家の教えを伝えているのが、武者小路千家「官休庵」です。)

日本の伝統文化である「茶道」を集大成させた 千利休。その震源地である不審庵は、日本一の茶道の本拠地。と いうことは 世界一の「茶の湯の聖地」。

 この表千家不審庵の門を始めて潜ったのは25才、短期講習会に参加した時でした。短期講習会とは、「若い世代の方に本物を見、本物を体験してもらう」ことを目的に表千家が冬と夏に開催してくださっている合宿のことです。その時の一週間の素晴らしい体験が今の私を作り、あの一日一日の感動が今でも私を支えてくれています。

(確か、当時の写真が一枚だけあると思うので、見つかり次第アップしますね ~~)

まさに その私の原点であるその場所に教授者となり再び座る日が来るとは、、その時は当然想像もしていませんでした。

不審庵の方々からの素晴らしい授与式が進行する間、今までの稽古の日々が私の頭の中に走馬灯のように脳裏に浮かんできました。

 茶道を全く知らなかった私が、先生宅の茶室に始めて体験に参加した時の驚き。フリーでデザインの仕事をしていた私がよくプレゼンで活躍させていたのが「床の間」の写真。『御社が伝えたいことをこの床の間のように、シンプルにまとめてみましょう!』なんて、良く知りもしないのに言葉巧みに使っていた。その「床の間」が、目の前に。思っていたより、かなり奥行きがある。

掛物は、「閑座聴松風(かんざして松風を聞く)」。先生から『ただ座って松風(しょうふう・松を渡る風の音)を聴くという意味よ』と教わりました。

言われて注意してみると釜から「ごぅ〜 っ」と、かすかな音が。

『これは、自分が静かな気持ちでいないと聞こえないのよ』と。どなたもお話をしない「し〜ん」と静けさが充満している茶室。

 しかし.. 私は目の前のお釜から、ブンプク茶釜の絵本に書かれているように、ポンっと狸のシッポや顔がでて来るんじゃないかとの想像が止まらなくなり、ひとり、笑いを抑えるのに必死だったことを覚えています。そう、風炉の季節でした。

こんな感じ?(笑)

茶道を学ぶ前は、私も「茶道・華道はお嬢様のためのお稽古事・花嫁修行」と思っていました。

でも、よく考えると千 利休が活躍していた戦国時代に女性が嗜んでいたとは考え難い..

はて?では「茶道」って、どんな世界なのだろう?

 旅行が好きな私は、色々な場所へ行き、現地の方から自国の文化を誇らしげに紹介され、そして必ず『では 日本の文化を紹介して』と。それに答えられないことほど恥ずかしいことはありませんよね。外国の方で日本好きな方は、私たちより詳しかったりしますし。

そう、そんな私だったので 直ぐにお稽古を開始。「これは単なる女性の為の花嫁修行だけではない!」と いうことだけは、直感でわかったのです。

とにかく、全てが新鮮で楽しくて、初めの10年は先生の吉祥寺教室の全稽古と週末 曙橋でのお寺での稽古など出来る限り通わせて頂き、その日以外は仕事。という目まぐるしい日々。

しかし「茶道が好きで好きで仕方ない」「まだまだ学びたい」という気持ちが一瞬も失せることがないまま「コツコツ」、気がついたら33年。

一日も休まず「地道」に稽古を積み重ね、この度 表千家教授職の授与に至りました。

(前置きが長くなりました。)

この度 不審庵での授与式 では、昨年宗旦になられた而妙斎宗匠と家元を襲名された猶有斎のお二人から授与されるという幸運にも恵まれました。

授与式では、猶有斎から直接「猶有」の名前の由来をお聞きすることができました。

平成10年2月に大徳寺管長、福富雪底老師より「猶有斎」の斎号を受け、宗員を襲名されました。

「猶有」とは、『猶(なほ)有(あら)じ』。

中国『傳燈録』の『猶有這箇在なお這箇の在る有り)』からとられたものだそうです。

「這箇」は、(きりがない)という意味で、さらに進めばまたさらに先があり、きりがなくあるという意味で、「努力をずっと続けて行きなさい。」という意味だそうです。

『皆さんも、本日 教授職を授与したことが終了ではなく、これからが勉強の始まりだと思って益々勉強に精進して欲しい。自分もさらに学び続けていく所存です。』と仰って下さいました。

本当にありがたく、深く胸に響きました。

授与式では、25年前の短期講習で担当の先生だった貫名宗匠が薄茶を点ててくださりました。感無量です。その時 総長だった(故)木下宗匠の非常~に厳しい雰囲気(でも実は愛情深い)は 決して忘れることはないでしょう。講習会最終日に私が代表として木下宗匠からお濃茶を頂いたことも忘れ得ぬ思い出です。

この度の教授職を得るに至り、改めて先生方の教えの姿勢をしっかりと伝えていきたい と心に誓いました。

私の元で稽古を始め、続けている生徒はみな、どこかしら が昔の私に似ています。

昔の自分に先生が根気強く、茶の湯の教えを指導してくださったように、今、同じことを全く同じように生徒に伝えている自分がいる。

ここ数年、私の生徒から短期講習会へ参加する者も出てきました。現在、次期講習会を目指して特訓中の生徒も続々と。こうして微力ながらも文化を繋げていけることに つくづく幸せを感じます。

これは、ひとえに師匠の教えのお陰です。

人から人へ、心を伝えていくことの楽しさと その重み。

全てのことに対して深く「感謝」しています。

ありがとうございます。

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五節句、「重陽の節句」

2019年9月27日 Category: blog

 九月初旬の茶席では、菊を型どったお菓子や菊の絵が書いたお道具が見られるようになります。

お菓子も写真の様な『姫菊』というお菓子。

「姫菊」という種類の菊がある訳ではなく、
お姫様の様に可愛らしい、という意味です。

あら、秋だから菊・・と思っているだけではありませんか? 生徒に何気なく「菊の節句」の話をしたのだけど、ピンときていない様子。これは知らないと勿体無い!ちゃんと理由があるのです。

皆さん、『 “重陽の節句” って聞いたことある?』

まあ、これは知らなくて当然です。現代の日本に全く根付かなかったから。私も茶道を習いだして初めて知ったことの一つ。でも、知らないと残念な とても素敵な五節句の最後の一つ何です。

『では、五節句を 全部言える?』と 聞いたところ、『敬老感謝の日、とかですか?』・・ガクッ、そもそも『 “五節句” が分からない(汗;)』とのこと。はい。

では、分かるところから言ってもらいましょう。

『う〜ん・・「ひな祭り」ですか?』

『そうそう!三月三日ね。それと?』

『え〜っと、「子供の日」?』

『はいはい、五月五日「端午の節句」ですね〜、それから?』

『ん・・? お、お正月?』

『一月ね、一月七日は「人日(じんじつ)の節句」と云われます。あと、二つ。』

『三・五・一、、ああ、「七夕」ですね!』

『七月七日、そう、「七夕」、「乞巧奠(きっこうでん)の節句」です。これは中国の伝説が 今も同様に日本に伝わっているようです。さあ、あと一つ。』

『むむ、む・・11月11日 ですかぁ?』

『おぉっと、いき過ぎた!』

と、嘘のようにでき過ぎた会話が九月初旬の稽古場で水曜、日曜のともに、実際にありました(笑;)。

さて、では五節句について 簡単に書いていきましょう。

・ 一月七日、『人日(じんじつ)の節句』。七草粥をいただきます。

・ 三月三日の『桃の節句』。桃の花を飾り、ヨモギをいただきます。桃の節句については、2017年3月3日ブログに 詳しく書いたので、良かったらご覧ください。

・ 五月五日、『端午の節句』。菖蒲湯に入り、花菖蒲と兜を飾ります。粽を 頂きますね。

・ 七月七日、『七夕』。子供の頃、笹に願いを書いてつるしましたね。(七夕の「乞巧奠(きっこうでん)」や「梶の葉」については、また書きたいと思っています。)

さあ、そして、九月九日。『重陽の節句』と云います。

これは、一体どんな節句なのでしょう?

まず、『重陽(ちょうよう)』とは、「陽」が重なる、という意味。中国の陰陽思想では、奇数を「陽」、偶数を「陰」としているので、一の位で一番高い九の数字が重なるということで五節句の中でも特に縁起の良い日 なのだそうです。

では、何故「重陽」が「菊」の節句なのか。それはやはり、中国の風習が元となっています。

 菊の原産地中国では、古くから不老長寿の象徴とされていて、日本には奈良時代末期に渡来したといわれています。旧暦九月九日は新暦十月の中旬、まさに菊の美しい季節。

中国ではこの日に菊の花を飾り、菊酒を酌み交わし、お互いの長寿と無病息災を願う習慣があるそうです。それが日本へも伝わり、「菊花の宴(うたげ)」として宮中で行われ始めたそう。

また、前夜から蕾の菊の花に綿をかぶせて、菊の露と香りをうつしたものを菊の被綿(きせわた)といい、翌朝、その綿で顔や体を清めると若さが保たれ長生きでいられるとする風習も。女性なら誰でもキュンとなりますよね。

「被綿(きせわた)」を模したお菓子。

丁度 重陽の節句の頃、京都へ越した生徒がこんな可愛らしいお土産を持ってきてくれはりました。

嵐山、虚空蔵 法輪寺の茱萸袋。

と〜っても良い香りがします!『先生、九月九日の重陽節会の日のみ、配られるという超レアものなんですよ〜』と。おおきに。ありがとう!

「茱萸袋」とは?茱萸(グミ)を入れるの?説明の紙が中にありましたが 難しく書いてあり・・はい、調べました。

茱萸袋とは、「かわはじかみ(山椒)を詰めた赤い袋」なのだそう。この赤は厄除けの意味があるそうです。

古代中国の言い伝えに、「九月九日に災いが起こるが、茱萸の枝を肘に巻いて高い所へ登り、そこで菊の酒を飲めば難を逃れられる」という予言があったそう。この予言を守り人々の命は助かったが、ふもとの家畜は死んでしまったとか。

その古事から、重陽の節句の日には、高い所へ登り、魔を祓う風習になったとか。(あ、前回のブログで書いた 中国人の生徒が『ピクニックへ行きます』と言った話は、もしかして、ここからなのかも⁈)

他の節句と比べて、新暦ではまだ菊の花が咲かないので 日本では残念ながら馴染みが薄いものとなった節句。

でも、知ると素敵な節句と思いませんか?10月には露地菊も咲き始めるでしょう。

私は、10月京都で菊の古典立花を勉強してきます。菊の香りに包まれて。楽しみです!

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「仲秋の名月」と、「後(のち)の月」

2019年9月15日 Category: blog

 中国から伝来したお月見の日、旧暦8月15日。空が高く、芒や秋草が咲く夜空に月が最も美しく感じられる季節です。

残暑厳しい昨今でしたが、旧暦では 8月下旬から10月上旬が秋。その丁度真ん中なので「仲秋の名月」と呼ばれているそう。今年は9月13日、存在感のある素晴らしい名月を望めることができましたね。皆さんも夜空を見上げましたか、

中国では、月餅のお菓子を家族で食しお祝いするそうで、最近は ピクニックをして外でお月見を楽しむとも聞きました。
日本では秋草を飾り、月見団子や里芋・果物類などを供えて鑑賞する習わし。お団子の形、関西と関東では多少違いがあるようで、江戸の団子は丸型、関西では先が尖った小芋型だとか。

 

仲秋の名月の頃、お茶席では『名月』という名の里芋を模したお菓子を頂きます。

まさに、『芋名月』ですね。

初めてこのお菓子を見たとき、私には何故 里芋が「名月」と関係あるのかが 分かりませんでした。そこで、師匠に尋ねると「まるで里芋のようにまん丸のお月様ですね。」という表現だとか。『大昔は、食べ物で一番丸い形が里芋だったのよ。』と 聞きました。なるほど。

どうやら 里芋は、一株で小芋、孫子と際限なく増えることから、子孫繁栄の縁起物ともされていて、古くから種々の祝い事に用いられていたそう。里芋を蒸して「衣かつぎ」にして供えていたのかな‥?

さて、このように中国から入ってきた仲秋の名月、満月を愛でる「十五夜」の他に、日本独自の風習として、一ヶ月後の旧暦九月十三日に「十三夜」を愛でる月見の風習ががあるのをご存知ですか?
『後(のち)の月』といって今年は新暦の10月11日。

まん丸になる少し前の 十三夜の月の形に因んで『栗名月』、地方により『豆名月』とも云うそうです。ちょうどその頃に食べ頃になる栗や豆をお供え物にしたのでしょう。
この風習で面白いところは、九月に見た同じ場所からお月様を観て祝うことが大事で、両方みないと「片見(かたみ)月」といって「かたみ」にかけて忌み嫌われたこと。

「秋に二回、同じ場所で お月見をする」日本独自の風習・・?
 それは何故、なんの為・・?

調べてみると、この時期は秋の収穫まっ盛り。秋の実りを収穫する そんな大事な時に「土地を離れてはいけない。」との戒めを、「観月」をするという風流な習慣として伝えるという日本人独特の遠回しな教えだとか。
先人の「自然」と「人間」のかかわり方は、なんとも豊かですね。

また、仲秋の名月は「十五夜」=芋名月=お団子15個
後(のち)の月は「十三夜」=栗名月=お団子13個 お供えするとか。細かい!

日本人らしい、粋なセンス。しかし これも沢山の諸説あり、その話を書いているとキリがないので 続きは稽古場で。

『あぁ、そういえば、十五夜の時 母が里芋を毎年蒸してくれていました〜、そうゆう意味だったのですね〜』と思い出す生徒も。

ん?やっぱり あなたも「月より団子?」

はい。食欲の秋、存分に楽しみましょう〜(笑)

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令和元年「朝茶事」

2019年9月11日 Category: blog

令和元年の夏、早朝に涼を味わう茶事「朝茶」は、例年より少し早めに開きました。

水をうち、清められた露地。
客は、寄付きから露地草履に履き替え 茶室へ移動します。
露地には、煙草盆。『一服どうぞ』と亭主のおもてなしです。
煙草盆の火入れの火は、亭主が直前に作ります。

茶事のメインは「お濃茶」。なので 先ずは炭をつぎ、お湯を沸かします。「炭点前」です。炭斗は利休好みの油竹網代。今年の香合は、(かや)の木に “翡翠(カワセミ)” の絵が書かれた扇面。初夏の風を感じます。まだ薄暗い室内に、炭の燃える赤い火は 幻想的です。

炭が湧くあいだ、夏は一汁二菜の茶懐石。
茶懐石には必ず日本酒。酒の肴、八寸は「穴子白焼きとプチトマト浸し」。
茶懐石の最後に主菓子。「草の露」鶴屋八幡さんへ特注しました。
お菓子の後は一旦露地へ。広間で喚鐘(カンショウ)を鳴らし 後座席に案内。
我が家の朝茶は「後炭」を省略し、「続き薄」で濃茶と薄茶を点てます。
茶事の主目的である「濃茶」は、皆で一緒にいただきます。
干菓子は、末富製 琥珀「流水」打物「青楓」。表完さんの一葉盆へ。
今年は3名(男性2名・女性1名)が、茶事デビューしました。
茶事の最後は、亭主の無言のお見送りでお開きとなります。

茶事は、約四時間で行うのが理想とされています。茶道の普段の稽古は、この「茶事」の為の学びです。先ずは、良いお客様になれることを目指します。そのためには、招く側の勉強も必要ですよね?両方の立場や想いを主客共々、共有するわけです。素敵な世界と思いませんか?

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徒然に平成を振り返りブログ

2019年4月22日 Category: blog

久しぶりにブログを書きます。昨年(平成30年) 4月30日の蓮心会茶会報告以来であります。FBやInstagramに投稿はしているのですが、少しずつ振り返ってみましょう。

五月、池坊東京華展、師匠である正子先生の素晴らしい作品は今でも脳裏に焼きついています。

平成30年 石渡正子先生の作品

六月、茶道勉強会として「茶会記勉強会(水曜)」、自分で会記を書いてみることで 茶会へ参加する楽しみが増えたそうです。タイミング良く靖国神社茶会もあり。

会記について解説の後、茶会を設定し 大奉書に筆で書いてみます。

京都池坊学園にて「池坊歴史講座」、清祥会華道研究会「生花(杜若)」。

江戸時代の絵図などから池坊の成立ち、専好様の活躍など紐解きます。
鶴の花器に杜若を生けました。

七月、池坊巡回講座、朝茶事。昨年の猛暑は思い出すだけで冷や汗が出るほどでしたね。朝顔がその二日間だけ、奇跡的に咲いてくれました。

手入れした庭も朝露にしっとり。
蝉の竹籠に、大輪の朝顔。
どんどん開いていきました。
二日目。もう、いじらしいったらない!

八月、「茶会記勉強会(日曜)」、朝茶事。

九月、靖国神社茶会、茶道「茶花ワークショップ」。

茶花についてレクチャー後、それぞれ好きな花入を選び生けてみます。
床の間に飾るとさらに花は生き生き!
これは数年前の「茶花ワークショップ」。希望あれば、いつでお開催しますよ。

十月、天然忌、お知らせに書いてある通り「供茶」「且座」「花寄せ」など。

天然忌とは、表千家七代 如心斎の徳を偲ぶ忌日です。

十一月、表千家家元襲名記念茶会、「猶有斎宗匠」が家元となり、大徳寺で素晴らしい茶会が開かれました。本当に素晴らしすぎて、当日発熱しました(笑)、

一人だったので、全席堪能できました。
大徳寺の三門、金毛閣。この上に利休様の木像が祀ってあります。

京都本部で開催される「旧七夕会池坊全国華道展」、この華展が、今年(平成31年) 3月大阪〜5月東京(日本橋三越)〜6月札幌〜9月名古屋〜10月福岡 と巡ります。

京都 七夕華展 池坊宗匠さまの作品。
次期家元、池坊専好さまの作品。なんと、
三面から違う作品として鑑賞できます!
池坊 専宗さまの作品。

京都池坊学園にて池坊歴史講座。年間二日間づつ二回、高度な講義でした。

十二月、清祥会華道研究会「生花(正風体)」。

木瓜の一種生け。

一年間の締めくくり、茶道納会。

納会では、七事の「廻り炭」をして「火相」を学びます。
その後私も相伴して「納会」。
献立の定番は「埋み豆腐」「柚子の砂糖和え」「鰯の甘露煮」「漬物」
そして手作り「胡麻豆腐」。
まあ、全て手作りなのです。
師は走る「師走」。

そして本年一月、清祥会新年会、蓮心会初釜。

「平成最後の初釜」という事で、今年の初釜は「ゆずり葉」をテーマに開きました。

これがゆずり葉。この葉をイメージしたお菓子を特注しました。
この名の由来は、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから。その様子を 親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りに使われるそうです。
小間濃茶席、「万作」と紅白の椿。
初釜にはこの掛物と「結び柳」が定番。
広間は及台子で華やかに。
初釜は一汁三菜、これは八寸。
蒸し鮑と花百合根。
制服姿の男子は今年 庭師になるべく就職を決意。
代々、この伝えが受け継がれますように。

二月、初釜、清祥会華道研究会。

「立花(新風体)」。

尚月会春の能会。今年も蓮心会から3名謡に特別参加!添え釜も四年目となり、皆に余裕を感じました。やはり、継続が肝心なり。

継続の成果?「土蜘」を連吟。

先月三月、靖国神社茶会、上野東京都美術館での池坊連合華展、

美術館での華展は池坊のみ。
私の作品「入船」。
「漁が終わり帰港する船」の表現です。
生徒の作品、生花三種生け。
「糸芭蕉・雪柳・パンジー」
華展初出瓶、生徒の作品「小品自由花」。
生徒の作品、つつじ 一種生け。

と、利休忌。

「茶カブキ」お茶を当てる「闘茶」が起源の式法。日曜は4名正解。
水曜は正解者なし。
利休さまの徳を忍んで、私も一献。
利休忌の定番「筍ご飯」「朧澄まし汁」「蕨」、
そして「揚げ昆布」「獅子唐」「漬物」の一汁一菜。

そして今月四月。私はこの他 時間があれば主人の仕事も手伝っていますから、なんでしょうかね・・この慌ただししさ。しかしもう何年も変わらないですし、変わらないどころか、年々予定は増えていくようです。

「慌ただしい」は「心」と「荒い」、「忙しい」とは「心」を「亡くす」と書きます。なのでその言葉はなるべく使わないようにしていますが、、重々気をつけなければいけませんね。はい。元気な限りこの素晴らしい日本の伝統文化の世界を伝えていくお手伝いができたら幸せです。

今、このブログを書きながら、(そうか私、徒然に “平成” を振り返っていたのだ)と気がつく。なので このタイトルに。すっかり長文になってしまいました。ブログ更新のレイアウト方法も変わってしまったのでまだ慣れていず、締まりのない感じで残念。

ブログへの投稿は相変わらず 滅多にできないかもしれませんが、令和も是非FBやInstagramをご覧くださいませ。

さて、来月も上記記載の通り令和元年5月22日〜27日、日本橋三越7階にて「池坊東京華展」が開催されます。是非いらしてください。初心者の方で希望があれば、華展の同行も可能な日時があります。ご相談ください。

日々の稽古や、生徒の作品、ワークショップの様子などをF.B.に(たまに)アップしています。
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Instagram も始めました。
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お楽しみください。

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