七夕と梶の葉
毎年 7月、「天の川」のお菓子を見て “七夕” を思い浮かぶ方は多いのですが、「梶の葉」を表現した主菓子をいただきながら 『あぁ、七夕ですね。』と、ピンとくる生徒が増えないことを残念に思い、(超簡単にですが)今年7月 Instagramに『 “七夕” イコール “梶の葉” 』の投稿をしました。
その内容(前編)は下記の通り。↓
七夕の歴史は古い時代の中国で、七月七日に行われていた「乞巧奠(きこうでん)」という儀式に因みます。
「七夕乞巧奠」とは織姫にちなんで、金銀の針や色糸などを供えて天の二星に織物技術や、詩歌の上達を願う行事。
七夕の夜に習字や詩歌の上達などの願い事を、芋の葉上の朝露で墨をすり「梶の葉」に書く風習が日本に伝わりました。七夕には “習字上達の願い” も含まれ、昔は七夕の短冊の代わりとして梶の葉が使われていました。
乞巧奠では、願いをしたためた梶の葉を水を張った「角盥(つのだらい)」というタライり浮かべることで願いを天に届ける慣わしだそう。
師匠に梶の葉に墨で書かれた暑中見舞を見せていただいた時の感動は今でも忘れられません!
… と、いうゆうことで、今まで「七夕」イコール 「梶の葉」なのだ。と、私自身なんとなく分かった「つもり」でいました。
さらに調べると、梶の葉は「柏」と同じように『神前に供える供物の食器や祭具の「弊」としてつかわれ神聖な意味合いを持つ植物』だからだそう。
ふむふむ。「…?」。
はて。「神聖な意味合いを持つ植物」と書いてあるが、「 ” なぜ ” 、梶の葉が 神聖な意味合いを持つ植物なのか」は、どこにも書いていない。
そもそも、紙を作る代表は「楮(こうぞ)」…『何故、七夕の行事は “楮” ではなく “梶の葉” でならなくてはならないのか??その意味は?』
この疑問から私の、わかったつもりでいた「梶の葉」の謎ときの旅が始まった。
その矢先、『倭文(しずり) 旅するカジの木』という映画が上映された。
勿論早速観に行く。
なぜ人は衣服をまとうのか… 化学繊維が人間の体を覆い尽くす現代に〈衣〉の神秘的な始原を追って、台湾、インドネシア・スラウェシ島、パプアニューギニア、そして日本。日本の神話に秘められた大きな謎を解き明かすために北村皆雄監督が五年の歳月をかけて完成させたドキュメンタリー映画です。
「衣・食・住」の中の「始めに”衣”を造る手立てであった”紙から布へ”」と繋がる歴史は実に面白い世界だと識る素敵な映画でした。しかし、私の「何故 梶の葉なのか?」の疑問はまだ謎のままです。
この映画の監督・製作は私の大親友、阿部櫻子ことチャックの元上司・職場。映画上映中、チャックのギャラリー「ディープダン」でこの映画に出てくる布が三日間限りで展示されていた。そのご縁でこの映画に出演していた “紙を糸にして布を織る作家” の妹尾さんとチャックと一緒に “中国少数民族の衣装とアフリカのクバ王国の布のコレクターでギャラリスト” の梅田さんのギャラリー兼、別荘がある茨城 笠間(友部)へ、「今年5月に開催された『アフリカ クバ王国の布展』の展示をまだ観ることが出来る」というので行くことに。
車窓からは蓮(蓮根用)畑が一面!
都内から1時間半でこんなに素敵なところへ来られるのね〜
梅田さんのギャラリーのすぐ下には魯山人の別荘が移築された「春風萬里荘」がある素敵な一軒家。
『ここはパラシュートで落ちて偶然見つけたような土地なのよ』と、(80歳にはとてもみえない)チャーミングに語る梅田さん。
アフリカ・クバ王国の布への熱い解説をしていただきながら拝見できた幸せな時空間。
ちなみにアフリカのクバ王国の布も、ラフィア椰子の木の繊維でできた樹皮だった。
『この布の模様、私たちには不思議な幾何学模様に見えるけれど、実は調べてみると顕微鏡で見た人間の細胞の形とそっくりだと分かったの。きっと、彼らにはそれがみえるのだろうと想像出来るわよね』との話に深く腑に落ちる私たち。
きっと現代の文明社会では忘れられてしまった「見えないけど大切な なにか」がまだ生きているのだろう。自然と共に生きている人の想いを感じ、布フェチな私としてもとても興味深かった。
なにより “自分が好きなことを追求し続けてることを貫き通している方々” の語る言葉は一つひとつが優しく重い。
梅田さんのギャラリーの脇にも気がつけば梶の木らしいものが生えているという。映画に出演していた妹尾さんが目をキラキラさせて『私、梶の木などの見分けの目はこの映画でかなり肥えましたから』と見に行く。
梶の木も楮もヒメ楮も同じクワ科の血縁仲間。パッと見た目では良くわからないが、梶の葉の裏は、毳毳(けばけば)しているので触ると良くわかるそう。梅田さんの家の木はヒメ楮でしたが、葉の形は梶の葉と変わらなかった。
40年位前から中国少数民族などの古い服や布が大好きで収集している梅田さんは、偶然この笠間の土地と出会ったと言うが『倭文‥』の映画にあったようにこの常陸の土地は織物の神と星の神が戦った神話にある石井神社が直ぐ近くにあり、やはりこれは”縁”に導かれたとしか思えない?
映画で日立市の大甕(おおみかみ)神社が撮影されていた理由が少しずつ解かれていくようなワクワク感!早速、皆で石井神社へお詣りに。
石井神社の御祭神は健葉槌命(たけはつちのみこと)。日本書紀などに「開拓(武運)の神」と記述がある。健葉槌命は、倭文の里(那珂市)で倭文織(しずおり)・機織りを伝えていた神、産業の神としても信仰されている。
そして、石井神社がここへ鎮座した由来が書いてありました!
『神代の昔、天つ神が豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)を平定する際に、この地方を支配していた天甕星(あめのみかぼし)・香々背男(かかせお)だけが従わず、討伐に派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)経津主神(ふつぬしのかみ)に対して、巨大な石となり抵抗した。二神の命をうけたここ石井神社の御祭神、織物の神である倭文神・健葉槌命は、久慈郡・大甕(おおみかみ)の山でその巨石を蹴り飛ばし、天甕星を退治した。割れて三方向に飛んだ石の一つが石井の地に落ち、天甕星の祟りを恐れて倭文神・健葉槌命をお祀りした。』
そう。この落ちた石が祀られているのが、布コレクター梅田さんが偶然見つけたギャラリーのすぐそばの石神神社、なのです!偶然ではなく、引く寄せられたのでは?
神話のロマンに心踊る私たち。
沢山素敵なエネルギーをいただき、ご縁に感謝。来訪を約束し、ギャラリーを後にした。
帰り道、「何故 “梶の葉” なのか?」の謎がまだ解けない私に、”映画監督” チャックが持論を話してくれた。
『綿や絹が生まれる以前、楮や梶の木を剥いで採れる繊維はとても貴重だった。その剥いだ繊維を砧のような道具で叩き柔らかくし、細く頑丈な糸を作り、染める布に加工するまでの技術は、今の時代でいうIT技術やA.I.のようなものだった。だから布をを持った者がその時代、権力を持ち、その地を支配していたのだろう。布を作るという技術は、その時代の先端の技術だった。
いつの時代も先端を征する者が強いとされるのだ。今ならGoogle?これからはA.I.とかか? その神様たちが、倒されたのは、布より新しい鉄などの技術が現れたせい』と、チャックは説明した。
映画の中のラストシーンで踊る人たちが、大甕神社の神話を抽象的に表現していたのだと、チャック先生のお陰で整理ができました。
流石です!チャック監督!!
五節句の中の四番目の「七夕」という行事。何故か昔からとても興味が湧いて仕方がなかった。今回、今までと違う視線で学べたことをとても嬉しく思う。また今後も沢山の気づきがあるだろう。楽しみで仕方ないです。
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令和6(2024)年「朝茶」茶事報告
令和6(2024)年に蓮心庵で開催した「朝茶」の茶事報告です。猛暑の候に、朝方の涼しい時間の茶の湯を愉しむ茶事です。7時半席入。朝茶はいつも「続き薄」のスタイルです。
玄関に、短冊 『澗水湛如藍(かんすい たたえて あいの ごとし)』
十二代 兼中斎筆です。
この句は、『山花開似錦 (さんが ひらいて にしきに にたり)』
春の山は気が満ちて吉野の春景色を美しい、また春が過ぎれば 山は緑に覆われて、まるで錦のよう。という意味の句に続いて、
『澗水湛如藍 (かんすい たたえて あいの ごとし)』
谷川の水は 青々として 淵いっぱいに 藍のように湛えて流れゆく。という何とも素晴らしい自然の風光が浮かぶ詩文の名句です。
しかしこの句は単なる景色を叙した詩句の意味だけではありません。
実は『碧巖禄 (へきがんろく)』の第八十二則にある大龍智洪 (だいりゅう ちこう)の公案で、
『僧、大龍に問う 色身(しきしん)は敗壊(はいえ)す、如何なるか是れ堅固法身。龍(大龍)曰く、山花開いて錦に似たり 、澗水湛えて藍の如し。』です。
修行中の僧が大龍に『私たちのこの肉体と精神からなる現身(うつしみ)は死ねば直(じ)きに腐敗し、焼けば灰になってきまいましすが、金剛不滅といわれる堅固法身(法身仏のような清浄無垢で不生不滅)は、その場合どうなるのでしょうか』と、問いたことに答えたのがこの句なのです。
大龍和尚は、この修行中の僧は「金剛不滅といわれる堅固法身」の意味をまだ深く理解していないとみて、『今、美しく咲きにおうているが、一夜の嵐に吹きちってしまうあの山桜が、そのまま堅固法身の当体じゃぞ』と、示したのです。
深い公案なので解説するのは難しいのですが、わたしには「一瞬として同じ姿でとどまることのない大自然の営みのなかの美こそ、私たちと同じ生きている命の姿なのだ」と、云われているように感じました。
私たちも、大自然の営みも一瞬として同じ姿でではない。今日の日を一期一会の会にしたいとの想いをテーマに、この短冊からスタートです。
寄付の掛物は、大徳寺 立花大亀老師筆『滝』
この酷暑の中、瀧が落ちてくる風景を想像して、少しでも凉を感じていただけたら。という想いと、「この瀧の水の流れと同じように、茶の湯の道は間断(かんだん)なく流れつづける」ことを感じていただきたいと選びました。
本席の掛物は、永源寺 (篠原)大雄老師筆
『朝看雲片々 暮聴水潺々(あしたにはみるくもへんぺん くれにはきくみずせんせん)』
朝、空を見上げ雲の片々を見、夕暮れに庵へ帰り谷から潺々と沸く水の音を聴く。山奥で暮らす理想郷を描いています。が… ここは茶人。「市中の山居」というように、たとえどんな環境にいても、この心境で暮らしたいものです。
この永源大雄老師の 托鉢へ行く修行僧の後ろ姿の画賛は、稽古を始めた頃、師匠宅で拝見し、とても感動し憧れていたので、長い間探し続けてようやく見つけました。
炭点前の炭斗は、菜籠。香合は、源氏蒔絵(観世水) 不窮斎(高野竹宗陵)作。
茶懐石の献立は、
飯物に、平目昆布寿司。白板昆布を甘酢で炊いてバッテラ寿司のように乗せました。自家製辣韮(らっきょう)を細かく刻んで混ぜ、辣韮の甘酢とレモン汁でスッキリしたシャリを作りました。茗荷酢漬と、京都産すぐきの漬物を添えて。
銘々皿は、だし巻玉子、琥珀寄せ(小倉・南瓜・人参・針生姜)、ミニトマトのお浸し、隠元の生湯葉巻、冬瓜葛煮、花蓮根、枝豆、高野産の水茄子、青楓生麩。兎に角、素材の味が引き立つよう心がけます。
皆さん、盛り付けの綺麗さにうっとり。しばし眺めていました(笑)
懐石のメインディッシュである煮物椀は、玉蜀黍豆腐に 蓴菜、苦瓜、青柚を添えて。
お口直しの小吸物は、シャインマスカットと向日葵の種。
八寸は、鱧の白焼と、薩摩芋の栂尾煮。日本酒を変えてマリアージュ。
皆さんの幸せそうなお顔から、見た目にも、お口にも五感で味わえたことが伺えます。
茶懐石の最後は、主菓子。亀谷万年堂製の「岩清水」です。岩の間から湧き出る澄んだ水を表現しています。掛物の中から出て来たようだと感じていただけると嬉しいのですが… 。
主菓子をいただいた後、露地へ移ります。露地には足元の苔にも、木々の葉にも打ち水がされていて次の間へ移る前のひとときを心静かに過ごしていただけたと思います。残念ながら今年は写真を撮りそびれてしまいました(涙)
亭主の喚鐘の音を合図に、後座へ席入りします。
後座の室礼を拝見します。
風炉先 腰地 網代 兼中斎花押
風炉釜 宗心花押 松竹文真形釜 十二代 加藤忠三郎作
利休形 真塗長板
水指 高取 十四代 (亀井)味楽 蓋 塗師 鈴木表朔
茶入 備前 小西陶古 仕服 円文白虎朱雀錦
今年は二日間とも桔梗朝顔が咲いてくれました。これは奇跡です!花入れは、瓢箪。
いよいよ茶事の目的である お濃茶です。今年初めて、楽茶碗をお披露目しました。
茶杓 大綱和尚「引く人も引かるる人も水の泡 浮世なりけり淀の川舟」(大徳寺黄梅院の大綱宗彦の詩) 三玄院 藤井誠堂老師のお手作り
茶碗 十四代 楽吉左衛門 覚入 黒 銘「永寿」十三代 即中斎箱
替 蛍狩 清流之絵 平 尋牛斎画賛
茶器 琉球螺鈿 中次
建水 鉄黒様 弥三郎
蓋置 表千家好 竹 一双の内
御濃茶 猶有斎好 特別挽上 楽寿の昔 柳櫻園詰
干菓子を出して、続いて薄茶も召し上がって頂きます。
御薄茶 而妙斎好 栂尾の昔 祇園辻利詰
御干菓子 薄琥珀朝顔の花 味噌煎餅 垣根の絵 亀谷万年堂
御干菓子 象彦
京都限定の「夏越し川」という御干菓子を戴いたので蒼いガラスの器に載せて頂きました。ありがとう!Yurikoさん^^
煙草盆 即中斎好 一閑 鱗透溜 五代 (川端)近左作
火入 祥瑞
莨入 琉球
きせる 如心斎好 二代 清五郎
無事にお開きになったのは11時半前。あっという間でした。
ダイナミックに刻々と移り変わる大自然の営みを想像し感じていただき、皆さんに「山里の茶室」の茶境を味わっていただけたら、とのテーマを元に玄関の句から始まった今年の朝茶。皆さん、茶事に慣れてきたとこもあり、朝茶らしくサラッと短時間ながらも、ギュっと茶の湯の醍醐味が濃縮された素敵な茶事となりました。
半東の皆さんは、滝のような汗を流しながら良く、よく頑張りました。数ヶ月前からの露地の手入れ、繰り返した試作などの準備から本当にお疲れ様。私は皆さんを本当に誇りに思います。ありがとう。
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令和6年 10月稽古日のお知らせ
*茶道教室 10月
・水曜日 2日、9日、30日 13時〜16時半 / 18時〜22時
・日曜日 6日、13日、20日 12時〜17時
* 10月 9日(水) と、13日(日) 、両日 正午から「天然忌」を開催します。
「天然忌」は表千家七代、如心斎宗匠を追善する大事な行事です。供茶、且座をします。詳しくは直接問い合わせ下さい。
人数の都合などで時間の変更もあります。直接お問い合わせください。
*華道教室 10月
・水曜日 2日、9日、30日 12時〜22時
・土曜日 5日、12日、19日 12時〜17時
* 上記茶道教室の時間に茶室での華道稽古は可能です、ご相談ください。
* 茶道・華道とも教室開講時間を明示しています。上記の時間内でご都合の良い時間に学ぶことができます。
*田無教室の『茶道体験』は 一名様 お菓子など水屋料込みで4.000円、
『華道体験』は 一名様、花代別で3.000円と致します。 花代は2.000円です。
現在「見学のみ」は承っておりませんので、ご理解くださいますようお願い申し上げます。
・吉祥寺「ドスガトス」華道教室 日時は相談可能・要予約
現在、金曜日の11時から13時半、稽古可能です。直接相談してください。
「ドスガトス」は、スペイン料理店です。この店の一角をお借りして華道教室を開催します。初心者から優しく指導しています。このHP「連絡フォーム」よりお申し込みください。 吉祥寺華道教室 1回 3500円+花代(約1500円〜)
ドスガトスH.P.→ https://www.dosgatos.jp
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よかったらご覧ください。
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令和6年 京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室、3年次 2期 7月の報告
令和6年、京都池坊中央研修学院 総合特別科 生花教室 3年次 2期 7月の報告です。今期は 清祥会支部が主管する池坊巡回講座と日程が重なったので、初日から参加することができず、3日目からの授業でした。
初日は、初伝七種傳のひとつ「牽牛花(けんぎゅうか)」朝顔のことです。
“当意即妙の代表” と云われています。蔓物なので、垂れる性質を生かして向掛、横掛、釣船、二重切の上の重などにいけます。私は船の花器へ生けました。
古く万葉の時代には桔梗のことを朝顔といっていて、平安時代の頃から今の朝顔となったそうです。
花は早朝に咲いて午後にはしぼむ 命の短さを思うと はかないともみられますが、朝な朝なに花を咲きかえる新鮮な輝きをめでて 格別の祝儀席には生けないそうですが、普通の祝儀花として生けて良いとされています。
『朝な朝なに咲きかえて…』とは、浮き世の移り変わりの無情感をも感じますが、「開花より蕾」 “今日より明日” という人の想いが素敵ですね。
牽牛花の蔓は “左巻き”と、知っていますか? 面白いですね。蔓ものの植物は自身で自立できないので、何かに巻きついて成長します。その性状を生かして、竹の小枝か萩の枯れ枝などに 左巻きに纏(まと)いつけて扱います。
開花一輪、翌朝咲くべき蕾一輪を見せていけるのがよいとされ、開花を「躰」の部分に、蕾を適当に配します。
『前日に生けて夕方戸外で夜露に当てておくと、翌朝は葉も花を上向いて自然の理に合った出生通りに巻き伸びて、生き生きとした花の姿になっているので早朝 床の間に戻し入れて飾ると良い。』はい。本当にそうなのです!
茶道の朝茶事で朝顔を生けることはあっても、生花をで生けるのは初めて!憧れていたので 学べて嬉しかったです。朝茶の時の花にもするのですが、花入れに冷水を少し注いでおくと長持ちします。
2日目は「七夕七種」。
旧暦の七月七日の七夕の一日だけ許される変化形の生花です。(建前ではね^^)
奈良時代、万葉集で山上憶良が詠んだ和歌に『秋の野に 咲きたる花を指折り かき数振れば 七種の花』
『萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝顔の花』(前記の通り朝顔は桔梗)
やはり、この七種が理想です。穂がでたススキを「尾花(おばな)」と言い、七夕七種の生花にはこの「尾花」を生けます。
生け方は、真に「尾花」二本。葉を前後に振り出します。「萩」は後ろ、陽方の副に。この二つは垂れものです。通用(つうよう)ものでもあり、本数に規制はありません。
「女郎花」「藤袴」は似たような植物ですが 生きている世界で高さが少し違うので、それを表現するように中段に。女郎花はとても背が高い植物です。
躰は「撫子」か「桔梗」。
「朝顔」「葛」は、蔓もの。朝顔を使う場合は萩に纏わせたり、葛の先端を女郎花にかけたりして使うことが多いです。
置きいけに限り、花形は行。基本的には通常とら変わりなく、七種それぞれの風情の特徴を生かして、秋の気分をあらわし、趣き豊かにまとめます。
それにしても、京都で学ぶ花材(地下の花市さんが仕入れしてくださる)は、東京とは比べられぬほど全てが大ぶりで野趣味溢れていて、それらの植物を手に取り剪定しているだけで、大変勉強になります。
・・・
茶道や華道、能などを学んでいると、世界の中で、日本は特殊な芸術のセンスを持っているな、と つくづく感じます。
『日本の美のルーツは四つある』と、日本の免疫学者、東京大学名誉教授の多田富雄さんが書いておられると先生から教わりましたので、自分でも調べてみました。
まず一つには 『アミニズムの文化』
『自然崇拝、自然信仰である。日本では古来より絶対的な神は持たず、自然の中に無数の神を見つけ、それを敬ってきた。ゆえに日本では一神教は育たず、宗教対立で戦争を招くことはなかった。』
「八尾万(やおろうず)」の神を敬う多神教。
自然に思いをいたす、「自然崇拝・自然信仰」は、池坊の教えと同じですね。
二つ目は『豊かな象徴力』
『俳句や和歌は事実の記載ではなく、たった一言で世界を表現する。日本の芸術はこの象徴力のおかげで世界が尊敬する美を作り出した。能・歌舞伎や茶道・華道に至るまで豊な象徴力に支えられている。』
“リアリズムではない魅力” 。説明するのではなく表現する。他にも 俳句、和歌、狂言、歌舞伎 など。深い想像力が必要ですね。俳句も感情よりも季語が大切なところが面白いです。
西洋の芸術の成り立ちと違うな、と思うところは、日本では身分の高い方も芸を人生の傍において “道”として自分を高めていくために学んでいたところです。立花も天皇など地位が高い立場の方が池坊の坊主に習い立てていて、立花会点付けの会に天皇も参加し学んでいました。西洋で「立ち場が高い方が位の低い人から学んでいた」なんて話、聞いたことがありません。
やがて、力を持ってきた商人が立花(りっか)を略した生花(しょうか)を 床の間に生けられるようになります。
生花は立花のように華やかな姿ではありませんが、“数少なきはかえって趣き深し” と逆転の発想で、少ない種類の花でも品格があり、床の間に飾っても引けをとらない「型の美」を作り出したのです。
三つ目は『「あわれ」という美学』
『滅びゆくものに対する共感や弱者への慈悲など あわれなものへの思いが日本の美の要素になっている。強さ・偉大さ・権威などを価値とする外国とは異なる日本独自の価値観である。それは日本人の心の優しさ、美しさ、デリケートさの根源である。』
滅びゆく者への共感、人の世の無常、不完全な美。完全なものは壊れていく「もののあわれ」。思うようにならないものを笑ってしまう「おかしみ」…
日本は負けている方を応援する美学なのです。室町時代から戦国の影響で民衆が虐げられてきました。それが「人の世の無常」「もののあわれ」「不完全な美」の美学を生んだのです。私が能を学んで最初に知り、感動したのは「弱者が主人公」ということでした。
また桜の花びらが散るゆく姿、紅葉し朽ちていく美しさ、冬に葉が散る寂しさに美を感じるのは、実は日本独特の感性なのです。
そして、四つ目はそれらを技術的に包み込む『匠の技』
『美術はもちろん、詩歌や芸能でも細部まで突き詰める技の表現がある。「型」や「間」を重んじる独特の美学である。それはまた日本の優れた工業技術のルーツでもある。』
上記三つの日本の美学の特徴を、美術はもちろん、詩歌や芸能までも、細部まで突き詰め、技術的に包み表現する匠の技があります。
「型」「間」を重んじる独特の美学、優れた技術のルーツを日本人は持っています。
この四つの特徴が、日本の美しさを世界でも独自なものにしていてきたし、日本人の行動の規範にもなってきた。と書いていました。深くうなずけますね。
授業で先生が『キリスト教は「人は罪深いもの」という教えなので、教会で懺悔をしますが、日本人は懺悔しない。「それで良いんじゃない?」と肯定して生きていく。非常に変わっているよね。』と、笑っておっしゃっていましたが、本当ですね。こうしたお話を聞くとその歴史の違いが良くわかります。
最終日は新風体か三種生けかの自由選択でした。今回は「唐糸草(からいとそう)」を主役に生かしたかったので、同じ小さなピンク点が爽やかな花と合わせて ガラスの沓形花器に、新風体を生けました。二つともフワフワした花材(花の名前思いだし次第記入します)なので、黒い葉で作品の空気感をひき締めました。
「生花 新風体」は 専永宗匠より 1977(昭和32)年、① 生活環境の変化、② 花材の多様性、③ 自由と多様化を求める心 から発表されました。
発表される前までは、「現代生花・三種生け」と呼ばれていたそうです。
生花三種生けのスタートは、『違いのあるものを取り合わせる・それぞれが違うものの出会いの対比』から。
古くから伝承されているものも大切に伝承しながら、それと共に、時代の変化に適応した新たな風を入れて伝えられてゆくこと。伝統文化を学んでいると決して古いものを学んでいるのではなく、「いつも、“今” を学んでいる」という感覚を持ちます。“伝統とは今の積み重ね” なのだと実感します。
「型」はあっても命ある草木は一つとして同じ枝葉はなく、大切なのは個性を受け入れて 生かすことです。
『和をもって 尊しと成す』。聖徳太子が云われたと伝えられているこの言葉、実は『個性を持つそれぞれが、ぶつかり合える状況が発展的なのだ』という当時としてはかなり “新しい考え方” なのだそうです。素晴らしい!
実技に入る前に、先生から『新風体は、正風体からの制約が解かれて、色々自由が許されているけど、「今の私たちがどう感じるか」「違和感が無いようにすること」が大事』、また『挑戦しすぎると、崖から落ちるからあまり変わったことはしないほうが良い。』と、教わりました。
先生、私は「崖から落ちるかも… ってことに気づかず、気がついたら超えちゃってた(汗;)」ってタイプですが、大丈夫でしょうか… 笑
池坊の学びについて書きたいことは、まだまだ沢山ありますが、今回はここまでにします。
次回 3期は 10月中旬。11月は京都七夕華展があり、なんと私は生花教室の選抜席に選ばれました!古典立花の教室でも選抜席に出瓶させて頂きましたが、大変名誉なことでございます。はい、頑張ります。
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